堅物判事は、家出少年クリスティは、存在しないと判決を下した。

岡田 悠

第1話 堅物判事は、家出少年クリスティは、存在しないと判決を下した。

「家出少年クリスティは、存在しない。故に、控訴棄却とし本法廷を閉廷する」


堅物として有名なハンフリー判事は、今日も勤勉実直に職務に当たっていた。


ここは異世界。


中世ヨーロッパを彷彿とさせるが、大半の人は、魔法も剣も使わない。


しかし、人が集えば、争いごとは後を絶たない。


その調整役として、地方の名士の一人であるハンフリーは、判事の仕事をしている。


彼の言うことは、常に正しく、平等である。


今日も堅物ハンフリー判事は、商人のナットが提訴してきた事案について判決を下した。


「そっそんな馬鹿な!!今目の前に!」


「閉廷だ」


「あの……どうして?ハンフリーさん?」


「クリスティ、ぼくは、君に求婚をする。結婚してくれ」


法廷は、瞬く間に凍り付いた。


堅物で通ったハンフリーが、被告人の薄汚れた少年に膝まずき右手を差し出しプロポーズしたのた。


『家出少年』クリスティは、その右手にそっと触れた。


法にこそ触れないが、あからさまな性癖の告白。


長年ともに働いてきた書記官は、額に手を当て眩暈を訴える始末だ。


法廷に来ていた商人ナットの弁護人は、


「職権乱用!!私利私欲に偏った判決だ!!ここに家出少年クリスティがいることこそが、立派な……」


クリスティの手をしっかりにぎったハンフリー判事は、弁護人に怒号を放った。


「何度も言わせるな、エディンバラ!ここにいるのは」


法廷にいた全員が、ハンフリー判事の言葉に息をのんだ。





ハンフリー判事は、地元のジェントリー、いわば名士だ。


その品行方正な態度、勤勉実直、絶対的な公平性、つまり、ハンフリー判事は融通のきかない堅物だった。


金品には目もくれず、日夜この街のために働いている。


「一体何が楽しいのか?」


人々は陰で彼を揶揄する。


ハンフリー判事の楽しみ、この街を散策すること。


石畳が整備されてはいるが、緑が多く、季節の移り変わりを楽しませてくれる。


それが、ハンフリーの散歩が楽しい理由だ。


そして、なじみの店とは言いたくはないが、町唯一の酒場で一人静かに酒をたしなむ。


実に、いい。


「独り身の堅物判事の唯一の楽しみが酒とは、アル中まっしぐらだな」


「店主、オーダーで呼んだ覚えはない」


「呼ばれなくても、自分の店だ、片付けや、清掃に余念ない。イイ店主だろ?」


「客の悪口を堂々という店主がか?」


「いいや。独り言が大きいだけだ」


だから、ハンフリー判事は、この店をなじみの店といいたくない。


だが、けっして大きくもない町に、飲食店はここ一軒だけ。


にがにがしいビールの味が口内にひろがる。


昼間のビールは腹がふくれるために飲む。


人がうわさするほどハンフリー判事は、きちんとした人間ではない。


だが、ジェントリーと判事という立場がそうさせているのだ。


店の外には緑があふれ、風も心地いい。


午後からの裁判は、この地を本来はおさめる有力者エブロン家のもめ事だ。


エブロン家は、男爵を有する家柄。


しかし、エブロン男爵の2番目の奥方が、嫉妬深く、強欲なうえ、金にうるさい。


もともとは、エブロン男爵の愛人だったが、最初の妻が病死し、直ぐに男爵と再婚した。


地元では、前妻は殺されてたのではないかといわれている。


だから、午後の裁判はあれる。


エブロン男爵に隠し子がいる、だからその母親、つまり浮気相手の不貞裁判だ。


圧倒的に被告人が不利だ。


公平性もあったもんじゃない。


被告人の女は、衆人環視の中、はしたないとかいやらしいとか罵られるのだ。


酒でも飲まなきゃやってられない。


飯なんか食って腹を満たす気になれない。


ここは、ビールの炭酸で腹が膨れてくれた方が都合がイイ。


ああ、ビールがうまい。


スーっと鼻から口に抜けるビールのさわやかな……


「臭くない」


「そうだろう?やっと気づいたか?ぼんくら判事め」


「どうして」


「そんなことは、てめぇで考えろ判事様」


石畳には、荷馬車や人が行きかう通り。


公衆衛生上感心しなかったが、がない。


とは、馬糞。


必ず馬糞は落ちているもの。


馬を動力として使っている限り、必ず付きまとうものだ。


だが、落ちた馬糞を馬の持ち主が回収することはない。


なぜなら、自然現象だからだ。


だのに、見渡す範囲に馬糞はない。


この店主が拾っているわけではない。


そんなにまめな男ではない。


ハンフリーは、ひとたびになると無意識に目がいく。


裁判所へ向かう道中、趣味の散歩をかねて歩く道にも馬糞は落ちていない。


誰かが街の衛生を保持しているのだろう観察を続けた。


裁判所へついてしまった。


ハンフリーは、憂鬱な仕事を思い出し、ため息をついた。


憂鬱な気持ちは当たった。


やはり、エブロン家の裁判はひどいものだった。


原告は、エブロン男爵夫人、被告は、教会のシスターだった。


しかし控訴は棄却した。


理由は、浮気目的で教会へエブロン男爵は、通っていたわけではなかった。


教会へ寄付をしていた。


娘のために。


酒場では、この話題でもちきりだった。


酒の肴にはうってつけの話題だ。


しかも、みなが心よく思っていない相手が、コテンパンにされてのだ。


被告の弁護人にではなく、ハンフリー判事によって。


「つまり、エブロン男爵夫人。貴方は、前妻のご令嬢を教会の孤児院に押しつけた。さすがのエブロン男爵も娘を不憫に思った。だが、貴方の手前、堂々と会いにも行けず、娘にも嫌われたと思い、男爵はこっそり寄付をするふりをして様子を見に行っていた。それを教会のシスターと浮気をし、金までせしめていると勘違いして、裁判所へ提訴したという訳だったーーあれは、よかった」


あははははははは。


あの店主が、わたしのモノマネをして店の客を笑わせている。


「何度同じことを繰り返す、モノマネ自慢か?」


「いやぁ、あのエブロン男爵夫人の顔をといったら」


「でもよぉ、なんだって金カネうるせぇのか」


「エブロン男爵家は、火の車だ」


「ここを領地していたはずが、今の男爵が、切り売り切り売りして金を作っていた。前妻がいらしたときはまだよかったが、今の奥方になったとたん拍車がかかり、今や、お屋敷だけだろ」


「あそこも都会の金貸しに抑えられているらしいぞ」


今夜は、一段と騒がしい。


店を出ようかとハンフリーが考えていると、思わぬ情報を手にした。


「そういやぁ、あの子は、まだやってるのか?」


「ああ、


「たすかるよな」



「なんだってやってるんだ?」


「何かの実験らしい」


「おお!ヤベえのか?」


「いや、なんでも、燃料になるらしい」


「ええ!?」

「いやいやいや」


「燃料になるなら、馬やロバの持ち主はとっくにやってるだろ」


「そうだよなぁ、あははははは」


燃料?


ハンフリーは、考えた。


ありえなくもない。


良いアイデアだ。


「ちょっとスマン」


「はっ、ハンフリー判事?」


「馬糞拾いの子は、いつ来る」


「ああ?朝夕ですよ」


「朝夕?」


「馬車や荷車の多い時間帯ですよ」


なるほど。


その時間帯なら、効率よく拾えるうえに、踏み荒らされる前だからか。


町の石畳がきれいなままだ。


ハンフリーは早速、翌朝に備えるべく、店を後にした。






 日が昇ると同時に町は活気を醸し出す。


ハンフリーは、お目当ての子供を探した。


すぐに見つけた。


古いハンチング帽子を目深にかぶった。桶と長い火箸棒とスコップを手に手際よく

拾い集めている薄汚れた少年。


「きみ」


「はい?おはようございます。旦那」


「いや、わたしは、」


「存じていますハンフリー判事」


「わたしも君を知っている。何をしているんだね」


「馬糞拾いです」


「拾って燃料にするのか?」


「……はい、そうですが」


「どこで作ってる?」


「教会で」


「そうか……」


「イケませんか?迷惑にならないよう、店の人や荷馬車の主にはわかる範囲で、許可を得ています」


「いや、そういう訳では」


「では、あの?」


「ありがとう。街がきれいで感謝しているんだ、君に」


馬糞拾いの子は、ぱぁ~と笑顔になった。


顔は薄汚れていて、いささかやせこけてはいるが、美しい子だった。


「教会で厄介になっていて。馬糞が燃料になれば、燃料費がラクになるし、売ればいくばくのお金をが教会に入って、孤児院の子供たちにも」


「そういうことか」


ハンフリーは、思わずハンティング帽の頭をなでてしまった。


「きみはいい子だ。おじ、いや、わたしもなにか手伝わせてくれないか?」


「手伝いなんて滅相もありません」


「なら、馬糞、いや『馬炭』のことで、何か困ったことがあったら、いつでも相談に来なさい」


「はい?うまあ」


「『馬炭』、いいネーミングだろう」


「ハイ」


馬糞拾いの子は、クリスティと名乗った。


その後も、クリスティの現われる時間に合わせ朝夕の散歩をするようになった。


ハンフリーは、散歩の楽しみがふえた。


クリスティは、少しずつハンフリーと打ち解けていった。


ハンフリーは、クリスティが家出少年だと打ち明けられた。


教会に身を寄せてはいるが、迷惑をかけたくない一心で、働こうとしたが、難しかった。


試行錯誤の末、馬糞に目をつけになったのだ。





 本格的な寒さが街に訪れたころ、裁判所に提訴事案が持ち込まれた。


街の商人ナットが原告として起こしたのものだ。


許可なく街で商売をしている、というものだ。


しかも、ごろつきの家出少年がまがい物を売りさばいて、町の人たちが 

困っているとう内容だ。


この裁判が、どういうものか担当判事のハンフリーにはすぐに理解できた。


ナットは、がめつくて有名な商人だ。


裏で金貸しもしていた。


ナットは、誰かに頼まれて、クリスティを陥れるために仕組んだ裁判だ。


ナットには、金と『馬炭』の権利と今後の利益が手に入る美味しい話だったのだろう。


だが、堅物判事のハンフリーは、お見通しだ。


だからこそ。


「家出少年クリスティは、存在しない。故に、控訴棄却とし本法廷を閉廷する」


「本人がいるだろう?それに男の子に求婚って」


「だから、何度も言わせるなエディバラ、このこは、家出少年ではない。エブロン男爵の前妻のご令嬢だ。こんななりをしているのは、後妻がいびり出すときに体裁をきにした男爵が、孤児同然で教会へいれた。孤児院で世話になり、教会や孤児のために金を得ようと四苦八苦して、『馬炭』を作った。無論、少女の姿のままでは、街で働くには不都合があり、家出少年のフリをしていたというわけだ」


「じゃ、この子は……」


「そうだ。このこはクリスティ嬢。顔を見てわかった。幼いころの聡明な面影があった。汚れて、いささかやつれてはしていたが……」


「最初から気づいていらしたのですね」


「はい。事情がおありなのはわかっていました」


「そうでしたか」


「黙っていてすみません。お屋敷にいるより教会の方が安全かと」


クリスティは涙をこぼした。


ハンフリーはおろおろした。


。安心してつい」


は、ハンフリーへの回答だと思った。


「あっ!ちがいます。ハンフリー判事、わたしは、貴方のことが……」


眩暈を起こしていた書記官は回復したらしいく、判事席へ座ると静粛にと声を張った。


「クリスティ、いや、クリスティ様、そのゴメンナサイは、ハンフリー判事のプロポーズの返答ですか?」


「いえ、あの、わたくしは、ハンフリー判事様をお慕いしております!」


「わかりました。堅物判事に変わり、書記官のわたしが、判決を言い渡します。クリスティ様は、堅物判事の花嫁になりなさい。以上、閉廷!ばかばかしい!!」


無論、町はこの話題でもちきりになった。





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堅物判事は、家出少年クリスティは、存在しないと判決を下した。 岡田 悠 @you-okada

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