愛とはつまりオーバードーズ
じゃらじゃら。その音が心地良い。
大量の錠剤が喉の奥に押し込まれると、まるで詰まった下水管みたいな気分になる。案外、まだ慣れない。
けれども、ここで我慢しないと、今までのたまりにたまった内臓からのなにかが血液に溶けだして関節の節々で詰まって死ぬのではないかと思う。
そんな、考えてもどうしようもないことを思っていると、脳みそに溶けだした物質が体を回ってくるような感じがして、錠剤を手のひらに出した。
なんだか怒りそうな顔をしていたから謝ると、彼女は何も言わずにコップに水を注いで、ぐいっと差し出した。
飲め、ということだろうか。
その水を全て飲み干したときに、自分が案外喉が渇いていたのだということに気がついた。
「ごめん」
つい口をついて出た言葉。
彼女の目が悲しげに揺れていた。普段よりも幾分か水気を含んだそれが、愚かなおれの姿を映し出していて、目を背けた。
「ごめん」
もう一度、呟くように言った。
彼女は、へなりと笑う。
その笑みが、どれだけの苦労を滲ませているのか。全てを理解できるようになるには、まだ、おれは未熟だ。
彼女はコップをおれの手から抜き取って、そっとシンクに置く。
そしてそのまま、シンクの縁に両手をついて動かなくなった。彼女の、艶めいている亜麻色の髪の毛が、小刻みに跳ねる彼女の肩と同じ間隔で揺れた。
ほんのり桃色に染まった彼女の頬が、少し痙攣して、顎が抑えきれないほどに震えていた。
そっと右手を彼女の影を追うようにして伸ばしたけれど、自分に、彼女に触れる価値などないことを思い出した。
それでも彼女に触れたい。でも——。
――伸ばした右手を、宙にしばらく留まらせたあとに手を降ろした。
触れることができないのに、どうしてこうも触れたいと思うのだろう。
願いなど叶うはずないのに、どうして願いが叶うことを願うのだろう。
ぐるぐると渦巻く思考回路の中で、そんなことを考えた。込み入った思考の中で、もう少し新鮮に考えてみようと思い、はたと気がつく。
彼女がその目から美しくこぼした涙の粒を見て、あれならば触れられると思った。
少しだけの光の粒と、憂いと、そして哀しみの交じった涙の筋。
小さく震える彼女の体を見て、無性に抱きしめたいと、そう思った。
そして、もう二度とこういう風に涙を流す彼女を見たくないとも思った。
——だけど、おれは汚れているから。
この汚いものが、体中に詰まってしまって、それでおかしくなるのが怖くて、孤独感と不安に襲われてしまう。
だからこの体中に詰まりかけている、へどろみたいな汚いものを流すために薬を飲む。
そして、体中の汚れが薬によってなくなったら。
そのときは、亜麻色の髪を揺らす彼女に触れて、そしてもう一度、大好きだと言おう。
瞼がだんだんと落ちてきて、もうすでに薬が効き始めたことを実感する。
段々とふわふわしてきて、なぜだろう、何も起こっていないのに、気分が良くなってくる。
何度強い薬を飲んでも、何度こうやって妙な高揚感を経験しても、この、雲の上を歩いているようなふわふわとした感覚には、あまり慣れない。
もう、眠りにつかないと。
彼女のことを、泣き止むまで、彼女の最後まで見ていたいのに、さっきの薬と一緒に適当に口の中に放り込んだ錠剤が睡眠薬だったことを唐突に思いだした。
意識の闇が、視界に覆いかぶさってくる。頭がぼぉっとして、抗いきれない睡魔が手招きしている。
抗う真似もしないままに——静かに意識を手放した。
彼はいつもごめん、と言う。
私からしてみると、なんでもない場面でも、呼吸するように謝るのは、彼の手のひらに握られた、忌まわしい粒たちのせいか。
それか、彼が自分のことを汚れていると思っていて、私に触れることができないことへの罪悪感か。
……まぁこの際どちらでもいい。
錠剤の入ったケースを握りしめて眠る彼の前髪を、そっと撫でた。
触れられない。
触れたい。
触れられるのに、触れてはこない。
触れられない。
触れられる。
触れたい。
彼から触れられることなどない。
抱きしめてくれることも、手を繋ぐこともない。泣いていても慰めることはしない。
けれども、彼の思いは分かる。目の奥にあるものが物語っている。
愛しさと切なさが交じった目。
そしてその目と、目が合った瞬間。
私の体は、オーバードーズしたみたいに胸が鳴りだして、頭がふわふわして、このまま死んでもいいと思ってしまう。
はは、それって恋じゃんね。
きっと友人は、安っぽい同感の言葉を、所詮他人だという口調でくれる。
そりゃそうだ、これは恋だ。だけど愛じゃない。
だけど、彼は。彼だけには、愛がほしい。
ホルマリン漬けにしなくても、ずっとそのままで残ってくれているくらいの愛がほしい。……なあんて。わがままかもしれない。
だけど。
だけど……!
彼の手からケースを抜いて、棚に戻す。ばたり、と音を立ててしまった棚に背中をつけてもたれた。
彼に、薬と生きるのをやめてほしい、とは思わない。
私のそばで、ずっとそこにいてくれるならば、彼がたとえ死んでも構わないと思う。
そうしたら、彼の心臓をホルマリン漬けにして、冷凍保存して、永遠に私の隣で眠っててもらえるから。
愛とはつまりオーバードーズ。
彼に言ったら、愚問だと笑われるだろう。けれど、これが真実だ。
ほしいけれど、ほしくない。
多すぎても足りないくらいだけれど、少なすぎるとすぐに満たされてしまう。
不安になればそれに手を出し、それが原因で怒りを覚えることもある。
過剰摂取は禁物。
けれども足りないとまた死にかける。
ほんのちょっぴり刺激的で、例えそれが身を滅ぼすことを知っていても、きっとまた手を出してしまう。
まるで彼の体を蝕むそれのように、ケースに入れて持ち運べるくらいの愛があれば。
望んだときに、体に流し込んで、いつでも摂取できるのに。
喉の奥につっかえるこの、吐きそうなくらいの甘い愛の言葉を吐き出してみれば、それは愛になるだろうか、それとも薬になるだろうか。
まぁ、そんなこと思っても変わらないか。
そっと、彼の隣に寝転んだ。
整った彼の顔を眺めながら、私も眠りにつく準備をする。
なにかとつけて彼に甘い私も、もしかしたら、もうすでに、甘くて切ない薬に侵されているのかもしれない。
……なーんてね。
了
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