第33話 敵の指揮者も、只者ではない
「クナイ?」
男が初めて聞く名称だ。
(武器の名前か?)
男は目で問うが、ゲルダの方には詳しく説明する気などまるでなさそうだった。
ゲルダの性格を
そのクナイとやらの飛んできた方向に、建物の陰から飛び出してきたらしい女がいた。
その女に、ゲルダの視線は固定されている。
この距離で女の顔を識別できる視力はないので、男としては「黒い長髪」程度の認識しかできなかった。
だが、ゲルダは違うようだ。
見つめるゲルダの目が大きく見開き、次いで目の色が急激に危険なものへと染まっていった。
両手をワキワキさせて身震いまでしている。
「クカカッ……おいおい。あのねーちゃん、女のクセに本物だぜ。まさかこんなとこで、あんな面白いヤツにいーカンジで出くわせたってか? こりゃ、非力な魔術師
言うや否や。
男の目の前で、太い枝の上で直立していたゲルダが真っ直ぐストンと落ちて視界から消えた。
下に目を遣ると、身長の何倍もある高さから落ちたとは思えないほど軽やかに着地し、訓練所へ向かって一直線に走っていくのが見える。
(…………いや、お前の任務は、太守の拉致なんだが)
男は、ゲルダに聞こえないよう、心の中で小さく
止める気はなかった。
男は、これまで以上にイカレた色で目を輝かせる
男が問題にしなければならないのは、侵入段階で迎撃を受けた――つまりは、この裏門へ先ほどまでいなかった戦力が、想定以上に早く到着したという点だ。
(こりゃ、偶然じゃねーな)
目を向けると、壁の内側ではさらに別の小柄な女がもう一人現れ、先に壁を乗り越えていた信徒数人と、互角以上にやり合い始めていた。
それに、この女――。
(メイド服だと?)
小柄な
頭にメイドの
メイドに偽装した太守の護衛?
(だが、太守の元を離れて戦ってるのは何故だ?)
男は、枝の上に立ち上がる。
無意識だ。
男の勘が、頭の中で特大の警報を鳴らしていた。
「……なーんか、キナくせーな」
いつもの仕事の感じなら、太守がこちらへ逃げてきていて、あの女たちは先行しているのだろうと思うところだ。
だが、あのゲルダが「太守は向かってきていない」と断言した。
ならば、違う。
「太守を逃がす訳でもないのにわざわざこちらへ人数を割き、正門の竜牙兵との戦いにリスクを負ってまで、何故このタイミングでこちらへ来た……? しかもメイドだと……?」
「いや~。ウチの隊長、思ったより鼻が利くみたいなんだよね~。アタシも『裏門の内側を見渡せる木の上とか探せ』って言われて、半信半疑でここに来たんだけどさ。ホントにアンタがいてビックリしてんだ、今」
「!?」
いつの間にか――そう、いつの間にか――男の背中には鋭い刃先が押し当てられていた。
この瞬間になって初めて、男は自分の背後にいる人の気配に気づく。
声からすれば、女、なのだろう。
「抵抗したら死ぬよ?」
「しないしない」
するわけがない。なにしろ、
男はすでに、背後の敵と戦う意思は完全に捨てていた。
「ホントに?」
「アンタにゃ、全然勝てる気しねーよ」
男は話しながら、後ろの女の気配に意識を集中する。
(見逃すな。一瞬が勝負だ)
そう、自分に言い聞かせる。
「んじゃ、こっちの質問に答えてもらえる?」
「ああ、い――」
言葉の途中で、男の姿が消えた。
「――いぜ」
下へと落ちたのだ。
「あ!」
やったことは、先ほど男の目の前から消えたゲルダと同じである。
とはいえ、人間の範疇に留まっている男は、いくら下草が茂っているとはいえ、ゲルダのように両足で真っ直ぐ着地したりすると無事では済まない。
なので、足が接地するや否や、身体を捻って転がり倒れこむ。
「しまったー!」
焦って下を覗きこんでも、後の祭り。
見事な五点接地転回法により無傷で着地した男はノータイムで起き上がり、近くの森へ向かって走り去っていった。
まさに、あっという間の出来事。
「あちゃ~、逃げられた――この高さから飛び降りて無事なんて、どんな魔法だよ」
だが、それよりも驚きなのは。
(このアタシが、一瞬の隙を突かれてしまったってか~?)
それも動きではなく、意識の隙を、だ。
「まだティア様狙おうって相手だけあって普通じゃないかぁ、やっぱり」
ダガーを革製の鞘に戻し、逃げていく男の背を、両手を腰に当てて見送る。
そして、自慢の尻尾をダラリとさせてガックリ
「あ~あ、せっかくの臨時報酬のチャンス、フイにしちゃったなぁ……」
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