第31話 敵の指揮者は、胃が痛い

「さーて、そろそろだな」


 訓練所そばにある大木の上で、一人の男が無精髭の伸びたあごきながら呟いた。


 男が身にまとう迷彩色のマントとターバンに身を包んだその姿は、大木に生い茂る木の葉に紛れて輪郭を捉えにくくしている。

 相手に気付かれずに訓練所を密かに監視するには、絶好の位置取りと姿だった。

 ただ、惜しむらくは。


「こんな回りくどいことしなくてもよー。アタシが裏門から入って太守連れて出てくりゃ終わりじゃね?」


 隣の太い枝に座っている赤髪の女が、全部台無しにしていた。

 女の名はゲルダという。


 服は艶のある黒が基調。編み上げブーツにホットパンツ、襟のあるノースリーブの丈の短いジャケットといった出で立ち。

 その布少な目の服自体も女性的な身体を意識させることを目的にしているのか、見慣れているこの男でも、思わずその大きな胸に意識が吸い寄せられてしまう。


 さらに顔のあちこちで、ピアスが太陽の光を反射している。

 もう、わざと訓練所の見張りにアピールしているのではないかと疑いたくなる目立ちようだ。


 男としては、自分の服装の頑張りが悲しくなってくる。


からの命令だぜ?」


 ゲルダの素朴(?)な疑問に、本人が唯一逆らえない一言を答えて済ませる。

 細かいことを説明しても、どうせ理解する気がないのだ。(というか、作戦開始前に説明してなお、この科白セリフなのだ)


 しかも、この女は男の部下ではなく、命令もできない。

 それどころか、自分の頑張りを無にされる目立つファッションで隣にいられても、文句ひとつ言えない。

 からは「こいつの好きにさせろ。制約するな」との指示まで受けていた。


「ちぇっ、つまんねーの」


 ゲルダが心底つまらなさそうに、両手を頭の後ろで組んで木の幹にもたれかかる。


 ドォォンッ!


 次の瞬間、ここからだと訓練所の反対側になる正門の方から、連続して爆発音、続いて地響きを伴うほどの音が響いてきた。


 だが、男もゲルダも眉一つ動かさない。

 これも、作戦の一環だからだ。


「正門の跳ね橋を落としたか――始まったな」


 男は口の中で小さく独りちる。


「女太守殿はちゃんと逃げてくれるかな?」


 正面の門を攻めているのは同じ組織の魔術師ソーサラーで、杖の力により竜牙兵ドラゴントゥースウォリアーを十体ばかり召喚することになっている。


 十体というのは、男が頑張って弾き出した数だった。

 一気に中へ雪崩なだれ込んでしまったりせず、なおかつ正門付近で膠着状態を作り出し、相手の可能な限りの戦力を正門へ呼び込む状況へ持ち込む――それを実現するための絶妙な数だ。


 そして、空を飛ぶ魔物も使わず、橋を落としてまで徒歩の竜牙兵で馬鹿正直に正門から攻めるのは、正門で膠着状態に陥っている間に、太守を裏門から逃がす判断へと相手の思考を誘導する為。


「そりゃ、逃げんじゃねーの? 竜牙兵は骨人スケルトンとはちげーんだ。中の女たちでどーこーできるわけないっしょ。あ、下手すっと逃げ切れないでやられちゃうかもね――アタシがちょこっと竜牙兵減らしてこよーか?」

「しなくていい。上に怒られるぞ」

「ちぇー」


 現在訓練所の中にいるのは、事前に確認している十人に加え、後から馬車で到着した太守以下の数人――都市からの情報では七人だ。太守を除き、戦闘員は最大でも十六人ということになる。

 訓練された正規兵でも、竜牙兵十体相手に十六人では太刀打ちできるものではない。

 ましてや、事前の情報では、全員女で大半が亜人だという。


 アザリア太守は――自身が女だからだろう――近衛隊も女だけで固めるような酔狂なところがあるので、今度もまた酔狂な遊びを始めたというところか。

 それに、女太守と共に馬車で来たのは、普通に考えれば、非戦闘員の使用人メイドだろう。


 そんな状況、常識で考えれば、逃げる一択に決まっている。


「……ん~?」


 ふと、ゲルダがいぶかしげな表情を浮かべ、正門の方へ意識を集中させた。

 ゲルダは目を閉じ、耳に手を当てる。


「……なんか、竜牙兵の数、多くない?」

「なんだと?」


 ここからだと、建物が邪魔をして、正門辺りを目視できない。

 男も耳には自信がある方だが、聞こえてくる剣戟の中身までは判別できない。

 こういった時は、ゲルダの異常なほどの鋭敏な感覚に頼る他なかった。


「橋から落ちて壊れてる竜牙兵がけっこーいるみたいだけど、戦闘はまだ続いてるしねー……これ、十体どころじゃねーな。メチャクチャ竜牙兵、多い気がすんだけど?」

「あンの、初心者魔術師め……」


 男は片手で両目を覆って天を仰ぐ。


 組織は正面の陽動を担う魔術師に、竜牙兵を力が秘められた遺物レリック級の杖を貸し与えていた。使用者の魔法の威力激増の効果まで持つ、とんでもない逸品だ。

 たしか、あの杖で一度にび出せる竜牙兵の数は――。


「アイツ『雑魚十体程度で何ができる』って、ずっと文句言ってたしなー」


 女がお気楽に笑う。

 だが、作戦を立てた責任者である男としては、笑い事ではなかった。


 なにしろは、よく知られる創生魔術コンジャー普通の竜牙兵ではない。

 者が常に制御する必要があり、そして、それは杖を貸与された魔術師本人にしかできない。

 しかし、一人で制御する数が多くなりすぎると、把握すら難しくなって制御が遅れたり乱れたりする。

 そうなると、こちらにも嬉しくないが起こりかねないのである。


 それなのに……いったい、何体出した?


「斥候を送って状況を――」


 男の言葉を喰うタイミングで、正門の方から新たな爆音が轟いた。

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