第26話 敵、襲来(前編)

 ペロッ。


「ひゃっ!」


 地面に座り込んだまま器用に後ろへ飛び退すさり、レオナはエイルの暖かい舌が触れた耳元に手を当てる。

 もう一方の手は、無意識に飛び跳ねまくる心臓の鼓動を押さえようと、胸の真ん中を押さえていた。


 一気に顔が真っ赤となったレオナを、「かわ可愛いー♡」と微笑みつつ、また距離を詰めてくるエイル。

 そして。


 すぱーん!


 カーラの、エイルの後頭部への鋭いツッコミが、辺りに響く。


「いったぁ……」

「魔法で治した後でやっても意味ねーだろーがっ!」

「しまった。作戦ミスったわ……」

「その可愛いのをからかう癖は、ほどほどにしとけっての――いーから、治療終わったらさっさと下がれ。あと何人控えてると思ってんだ」


 そう。

 じつはカーラは「最初」なのである。


 レオナは結局、隊員全員と手合わせすることになっていた。

 カーラが「約束通り、勝負しよーぜ」と言った途端、他の隊員たちも全員手を挙げたので、新米隊長としては断れなかったのだ。


 彼女たちは順番を待つ間、各々の普段の武器をかたわらに置き、訓練用の刃を潰した武器の調子を確かめている。

 なんなら、ティアも片手で重い細剣レイピアを持って綺麗な構えを見せ、マリアから「それは刃が付いているので」などと止められていたりする。


「じゃ、次はボクねー」


 というわけで、レオナはたいして休む間もなく、次の相手との模擬戦を開始。


 レオナの部下である隊員は、マリア以下十五人。

 今の相手を終えても、まだ十三人残っている。

 ――もしかすると、十四人ティア追加かもしれないけれど。


(最後まで身体つかなー……)


 二人目、三人目、四人目……と順に相手しながら、レオナは後ろに控えている隊員たちの顔ぶれを見て、心の中で冷や汗をかいていた。


 笑顔で「怪我しても治しますからねー」と、治癒術師とは思えない鋭い攻撃を放ってくるエイルを退けたのをはじめ、他の後方要員バックアップには勝てた。

 しかし、直接戦闘を担当する前衛の隊員となると一筋縄ではいかず、勝ち負けが混じり、勝っても辛勝といったところが精一杯になってくる。


 皆、カーラほどの腕力ではないのだが、隊員ごとに多種多様な技量を持っていて、油断していると隙をつかれてしまうのだ。


(そ、それなりに勝てるつもりでいたんだけど……)


 レオナは子供の頃から、育ての母親に戦いのすべを叩き込まれていた。

 女が戦いの技術を身につけるなどありえないという常識の世界だけに、かなり特殊なことだ。


(まさか、自分以外にここまで戦える『女』がいるなんて……)


 マリアやサイカの技量うでは先日の当たりにしていたが、それは特殊な事情ティアの独断で生まれた、近衛隊として鍛えられた例外の強さだと思っていた。(それにしても異常な強さなのだが)


(しかも、一見して強そうに見える筋肉の塊! みたいな人はいないんだよなー)


 皆、私服を着て街中を歩いていれば、誰も戦闘のプロとは思わない容姿だ。

 事前に資料を見ていた自分ですら、意表を突かれるほど。

 これは部隊の武器になるかなー……などと、レオナはちょっと頭の隅にメモしておく。


「隊長……考えごとしてると危ない、よ?」

「うわっ!」


 近接する相手が視界から消え、槍が下方死角から突き上げられてくる。

 レオナは何とか避けたものの、体勢を崩した足をアッサリ払われて転倒。

 槍先を喉元に突きつけられて、勝負あり。


「参りましたー……」


 正直、今回は初対面な互いの技量を見せ合う部分が大きいので、あまり勝ち負けにこだわるつもりはなかった、のだが。

 ――実はカーラをはじめ、負けたのは全部悔しかったりする。


(やっぱり、魔法アリなルールにしたほうが良かったなー)


 そんなことを思う、負けず嫌いのレオナ。

 ちなみに、周りで観戦している隊員たちが「槍相手に剣でここまでやるのかよ……」「あれ、アルテアの奥の手じゃない?」「あたし、あれ避けられたの初めて見た……」「マリアやサイカでも対応できないのに……」「すげー」などとざわついていることには、全然気付いていない。


「じゃあ、次はあたしだな」


 猫人カットスのクレアが尻尾をだらりと下げ、右手に短剣ダガーを構えてレオナの前に立った。

 レオナは、馬車の中で読んだ彼女の情報データを思い出す。


 クレアの役割は斥候スカウト

 武器は、短剣。

 なによりその身のこなし。

 ――間違いなく、レオナ以上に素早さで戦うスタイルだ。


「じゃ、行くよっ」


 クレアがいきなりレオナに向かってダッシュしたかと思うと、それを追っていたレオナの視界から突然フッと消える。


(! 危なっ!!)


 ギィンッと、右手に持って半ば無意識に顔の横へ立てたレオナの剣が、視界の外で火花を散らした。

 首筋を狙った短剣の攻撃を防がれ、その後の反撃の剣を軽くかわしたクレアが感心した表情で間合いを取る。


「えー、今のに反応されちゃうんだ」

「…………」


 なにか言い返したかったところだが、レオナにその余裕は残っていなかった。

 自分の視界の中にいた人ひとりが、一瞬にして視界から消え失せる――視線を誘導された上で、意識の隙を突いて死角に入られたのだろうというのは判るのだが、それをあっさりとやってのけるその技量を思い、レオナの背筋に冷や汗が伝う。


「しょーがないなー。とっておきを見せるしかないかな」

「お、お手柔らかに……」


 本心から答え、レオナは次の攻撃に備える。


(っていうか、今のがとっておきじゃないって、どうなの……?)


 ぐっと力を溜めてこちらへ飛び込んでこようという姿勢を見せたクレアが次にどう攻撃してくるか(もちろん、真正面から飛び込んでくるわけない)と神経を張り詰めていると。


「……ん?」


 しかし、クレアは急に戦闘態勢を解き、遠くに視線を向けた。

 クレアの頭の上にある猫耳が、ピコピコと動いている。


「?」


 クレアの視線を追ってみたものの、それでも急な変化の理由がわからず、レオナは周囲を見回した。

 他にも、とくにエイルなど獣人の隊員たちがクレアと同じ方向に注意を向けていることに気づく。


「怪しい気配を正門の外に感じます」

「わあッ!?」


 いきなりから声をかけてきたサイカに驚くレオナ。


(さ、さっきまで、他のみんなと一緒に離れた場所にいたよ、ね……?)


 視界から消えたクレアのときよりも心臓がバクバクと踊っていた。


「隊長、指示を」


 だがサイカのその言葉で、レオナは我に返る。

 今、自分レオナは『隊長』なのだ。


「ルックア、見張り櫓から外の状況報告!」


 サイカの言葉に間髪入れず、隊員の中の一人、エルフのルックアに指示を出す。


「了解」


 小柄なレオナと変わらない――だがそれが大人のエルフとしての標準である――体格のルックアが、短いスカートのすそひるがえして走り出す。

 城壁の対角に二カ所建っている見張り櫓の内、正門側にある方へあっという間に辿り着くと、梯子を素早く登っていった。


 こういったときに隊の誰が適任かという情報をまだ把握しきれていないレオナとしては、ひとまず生まれついての野伏レンジャーと言われる、視力の良い種族のエルフを選んだに過ぎない。

 だが、それが偶然にも正しかったことはすぐに証明される。


 レオナの耳元で空気が揺れ、くすぐったさを感じたかと思うと。


『正門の方向に竜牙兵ドラゴントゥースウォリアー、数は五十。操っているのは、おそらく先頭にいる青白い顔をしたローブ姿の男』

「ひゃっ!?」


 櫓の上にいるはずのルックアの声が耳元で聞こえ、レオナが横へ飛び退る。

 だが、声はなおも耳元から聞こえ続けた。


『風の精霊魔法で、声を飛ばしてるだけ。そっちの声も聞こえる』

「な、なるほど……」


 ふだんならゆっくり驚いていられるけど、今はそんな暇はないよな……と、レオナはブルブルと首を振って気持ちを切り替える。

 櫓の上から大声張り上げてもらおうと考えていたが、ルックアが攻撃以外のこんな形で精霊魔法を使えたのは僥倖ぎょうこうだった。


(それにしても、竜牙兵って……)


 竜牙兵は、その名の通り魔法によって竜の牙から生み出される創生物クリーチャーで、その戦闘力は熟練の戦士に匹敵する。

 実物を目にする者など滅多にいない上に一見アンデッドの骨人スケルトンにも見える外見をしている為、相対あいたいした知識のない戦士が対応を間違え、一方的に蹂躙されたという記録がいくつも残っている。


 そもそも竜の牙なんてものの入手が困難な上、魔法としても高度なものなので、通常は高位の創生術士コンジャラーが護衛などに一体二体呼び出すのがせいぜいといった代物しろものだ。


(それが、五十体だって……?)


 ――そんなもの、人間わざではなかった。


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