第19話 メイド in 酒場

 扉を潜ると、そこは厨房だった。

 火にかけた鍋の前に立っている男が振り向いた。


 短髪の黒髪の中に苦労を匂わせる白髪が混じっている。

 身体は、服の上からでも鍛えられたものであることが容易に見て取れる。

 そして、その精悍な顔には、左目を切られたかのような縦の傷跡。


 おそらく若い頃は戦いに身を置いていたのだろうと、レオナは自然に思った。

 街の女性であれば「渋いおじさま」と評すかもしれない。

 しかし――。


 途轍もなく、厨房に似合わない。

 エプロンは、やめとけ。


「こいつが駄々を捏ねてな」


 ティアがレオナの頭をツンとつつく。

 レオナは何も言わず、ただ頬を膨らませた。

 そんなレオナの顔にちらりと目を遣ると、男はすぐに視線を鍋へと戻す。


「そうか――他の奴らが首を長くして待ってる。早く行ってやれ」

「ああ。レオナ、行くぞ」

「あ、ちょっと待ってください」


 歩き出そうとしたティアを、レオナが止める。


「なんだ?」

「わたし、今からとして、隊員の方に会いに行くんですよね? ――その、先に、隊長としての服装に着替えないといけないんじゃ?」

「隊長の服装? ――じゃないか」

「え、いやこれ……ですが」


 レオナは、スカートのすそをちょいと持ち上げる。

 部隊ですよね?

 ――スカート? いや、それ以前にメイド服!?


「心配するな。その服は、戦闘を想定した動きやすいデザインにさせてある」

「どーゆー想定ですか!? いや、たしかに前から、妙に身体の動きを邪魔しない服だなー、とは思ってましたけどっ!」

「それは、以前そいつを提案してきたイネスに聞いてくれ」

「イネスって……メイド長ですかっ!?」

「ああ。その服に変えてから、予備を大量に持っておく必要がなくなったと喜んでたぞ? あいつがそう言うのだから、少々の荒事でどうにかはなるまい」

「なに考えてんですか、あの人っ!? ――ていうか、予備が大量に必要だったって、なにしてたんですか、あの人っ!?」

「本人の口から聞いてみたらどうだ?」

「……………………無理です」


 そんなに構える必要はないと思うがな、と肩をすくめるティア。


(あんた相手には、そーでしょーよ!)


 ティアはメイド長にとっては主人だ。乳兄弟とも聞いている。

 レオナとメイド長の間柄とは、また違う。


(あのメイド長にを受けたことがないから、そんなことが言えるんだよっ!)


 睨むレオナの視線は意に介さず、ティアは何かを思い出したように、ポンと手を打った。


「ああ、そうだ。替えの服はこの店にストックしてある。もし汚したり破れたりしたら、それに着替えてから屋敷へ戻ってこい」

「変なとこ万全だった!!」

「そんなに褒めるな」

「褒めてないっ」


 明るく笑いながら、ティアは迷う様子もなく、腰の高さのスイングドアに手を掛けて通り抜けていく。


「さあ、行くぞ、隊長殿?」


 振り返るティアに促され、服をつまみながら「えーっ……」と釈然としない表情のまま、レオナも続いた。

 スイングドアを越えると、喧騒の正体光景が、レオナの目に飛び込んでくる。


「ティア様、ここって……」


 そこは、酒場だった。

 ただ前世の記憶イメージにある、いわゆる『冒険者の酒場』のように、荒くれ者が昼間から飲んだくれているような荒れた雰囲気ではない。

 実際、いくつもあるテーブル席には、家族で楽しそうに食事している姿もあちこちにある。


 今のレオナの知識では、ここは『酒場』になる。

 だが、前世の記憶に照らせば、近いのは『ファミリーレストラン』だ。


「お、やっと来たか!」


 働いている複数の店員が接客、配膳、片づけ……と、ホール内を忙しく巡っている。

 そんな中を、声を上げて近づいてくる店員の女性。

 その姿を一目見て頬をヒクつかせたレオナは、ティアに胡乱うろんげな眼差しを向ける。


「えーと、彼女が着ている服ですが……」

「よく気が付いたな。お前と同じ、屋敷の使用人メイド服だ」

「そりゃ、気づきますよ……じゃなくて、なぜ同じデザインなんです?」


 ホールをぐるっと見渡すと、テーブルで注文を受けている女性も、トレーに食事を載せて運んでいる女性も、空いたテーブルを片づけている女性も、みんな同じ服だった。


 この服のデザインは、ティアの屋敷の使用人独自のものだ。

 つまり、ティアの許可なしに、こんな場所で使われるはずがない。


「これからは、お前が出入りするからな。これならお前が頻繁に出入りしても、屋敷の使用人ではなく、ここの店員だと思わせられるだろう?」

「いや、自分が着替えてここに来ればいいだけじゃ――」

「緊急で駆けつけることもある。そんなときに、こんな面倒な服をいちいち着替えてる暇などないぞ」


 人差し指をレオナの唇に押し付けて言葉を遮ってきたティアの顔をじっと見て――そして諦めた。

 ティアが本音を隠しているこういう時は、結論ありきの時。


(あ、こりゃダメだ)


 一度心の中で大きく溜息を吐き、気持ちを切り替える。

 こうなると、なにを言っても無駄なのだ。


「よぉ、遅かったじゃねえか、ティア。軍議でも長引いたか? 太守様ってのも大変だな」


 近づいてきた店員が、ティアに声をかける。

 メイド服が身体を覆っているが、それ以外から見える健康的な褐色の肌や顔を彩る刺青は隠せない。

 褐色の肌に刺青――それは、この世界における女戦士アマゾネスという種族の特徴だ。


「いや、こいつが駄々をねてな」


 ティアが、またレオナの頭をツンとつつく。

 このやり取りは、ここで誰かと会話する度に繰り返されるのだろうかと、レオナはまた頬を膨らませた。

 そんなレオナの全身をチラリと見た後、女戦士がレオナに向けて人懐っこい笑みを浮かべた。


「なんだ? うち酒場の新入りか?」

「判ってて言うな」

「ハハハッ! いやいや。いくら腕が立ちそうでも、ここまで可愛いと半信半疑になっちまうって」

「上で紹介する。下にいるやつらを、全員連れて来てくれ」

「りょーかい――あ、上と言えば、あいつらが待ちくたびれてるぜ。酒で潰れる前に行ってやりな。オレたちもひと段落させて、すぐ行く」

「フッ。あいつらが酒で潰れるタマか」

「ま、そりゃそーだな」


 互いにニヤリと笑い合うと、ティアは階段の方へと向かう。

 ホールへ戻りつつ「またあとでなー」という女戦士の声に応えながら、レオナはティアを追った。

 ティアにとっては勝手知ったる店のようで迷いなく歩いていくが、レオナは初めての場所なので、キョロキョロしながらティアに付いていく。


 階段は店の入口に近い。また、出てきた厨房から移動する動線ルートは、ホールの客の視線がうまくさえぎられるようになっている。

 店の入口から入って上に行く客や厨房から運ばれる物はホールの客からはよく見えず、接触することもないようにとの配慮だろう。

 そして、こういう構造である以上。


「二階は貴賓室VIPルームですか?」

「よく判ったな。商売を拡大したい商人が、官僚にこっそり袖の下を渡すのに丁度いいと評判だ」

「それ、太守をやってる人が笑顔で話すことじゃないですよね? っていうか、ここ作らせたのあなたですよね?」


 レオナの「取り締まらんかい!」という表情に向け、ティアはヒラヒラ無駄無駄と手を振る。


「その手のヤツらは、取り締まったところで地下へ潜るだけだからな。それなら、こちらの目の届く管理できるところでやってもらった方が、なにかとやり易いだろう?」

「……毎日やけに詳細な贈賄関係の報告が上がってくると思ったら、こういう仕組みだったわけですか」

「こんなものは、一端にしか過ぎんよ。大物はこんなところは使わんしな」


 階段を上った先は、一階よりも一目で高級だと感じる内装になっていた。

 いや、高級というか、成金的に金がかかっている。

 賄賂を欲しがるような輩には、ウケがよさそうだ。


(絶対、最初から狙ってたよねー……この太守様)


 二人は廊下を歩き、先にある部屋へと入る。


「待たせた」


 ティアが部屋の中へと声をかけた。

 それを受け、中にいた二人が立ち上がる。


(あれ?)


 レオナは、二人を知っていた。

 前にあった時と違って私服だし髪型も違っていたが、この二人を見間違えることなどない。


 一人は、鋭い目の美女。

 その隣は、美しい黒髪の美女。


「紹介しよう。お前の部下となる、マリアとサイカだ」

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