第425話 おまいう

「戻ってきた!」


 俺は戻ってきたぞぉ!


 貝塚の護衛艦が、嵐の前に南シナ海を抜けたいとかで道中かなりトばしてて結構揺れて酔ってしまったが、その後那覇から種子島までの六百キロは白いグライダーで一っ飛びだった。

 物静かな空の旅に慣れてしまうと、飛行機やヘリに乗った時ノイキャン出来なきゃ死んでしまう身体になっちゃうよな。


 種子島のエアポートで大きく伸びをして息を吸う。

 ここは少し高台なので景色が良い。

 砂を吸い込む懸念もゼロだ。あっちの空気は粉みたいな砂が常に混じっていて、外でヘッドギアを外すと咳が止まらなかった。

 初夏の日差しも中東の殺人光線から比べればポカポカ陽気レベルだ。

 懸念していたショゴスの飛散も、驚くほど少なく、空気がきれいな日はハブ空港が白く小さく見えたりするらしい。

 今日は快晴だけど見えないな。上空は空気が淀んでいるのかな。

 エレベーターの根元辺りには綺麗に虹が出ていて、正常に稼働しているのが分かる。


「何?それ」


 日傘を差したままちょこんとトーイングシステムに乗ってお出迎えに来てくれたつつみちゃんは、開口一番。俺の足元にあるケースに伏し目がちの視線を固定して、とても何か言いたげにしている。


「何って、事前に通達してた脳缶収納ケース?」


「何でこっちに持ってきてんの?」


 俺に言われても。


「沖縄でCOOに解雇通知出されて、本人のたっての希望で、うちに転職したいそうで」


「おっけーしたの?」


「ま。まさか!社内面接で通ったらの話だと再三言い聞かせてある!」


「ならいいけど」


 ふう。危ない危ない。

 こいつの付加価値高すぎだから二つ返事で許可しそうになってたのは内緒だ。


「このままだと本社が動物園になっちゃうからね」


 怒っているのか冗談なのか。


「はい」


 分からないので肯定だけしておこう。


 他に荷物など無かったので、身一つでつつみちゃんの隣に乗り込み、向かいの席にケースを置く。

 空港で見る事は有っても、乗ったのは初めてだ。オープンカーのおもちゃみたいで、なんか楽しい。


「はい」


 ポシェットから出した何か渡された。

 マイクと、スピーカー?


「んじゃ。面接始めよっか」


 楽しくなかった。




 脳神経外科医療が発達していなかった俺の起きていた時代は、脳の成長に伴う臨界期は覆せなかった。


 何歳までにやっとかないと覚えられないとか身に付かないとかいうアレだ。

 音感だの言語習得だの、当時はあやふやな統計と解剖や脳波のからの推測でしかなかった脳科学は、現代では数値化され正確に制御されている。以前つつみちゃんだか誰かが言ってたゴールデンエイジもコレの事だな。


 制御されてはいても、分からない事は当然再現出来ない。


 イルカの脳は人より高性能なのに、何故人より繁栄しなかったのか。

 コントロールする身体の容積と脳の量は比例する筈なのに何故キリンの脳は人より小さいのか。

 成長期が終わった直後より遥かに細胞数が少ないのに博学な老齢の脳があるのは何故か。

 脳と知能は比例しないという事にしっかり気付いたのは、遺伝子を弄りまくり、人がヒトでなくなってかなりの年月が経過してしまってからだった。


 脳に対する問いは永遠に出続け、その解明は今も続いている。


 現代においては、快楽主義者のあの超小型エルフの牢名主なんて、頭の大きさは赤子より小さいのに俺より 全然知識量も豊富で聡明だし、貝塚とかは頭はワラビーなのに世界をコントロールする知能を備えている。

 東南アジアで出会った粘菌たちなんて、そもそも脳という臓器を肉体として持っていなかった。


 脳の成長を科学的に制御できるとはいっても、やるにはコストがかかるし、自然に行われるなら世話は無い。

 自分で子供を育てている金持ちは兎も角、都市圏においては自然な育成の元に脳を発達させる教育が為されている。それが一番コスパが良く弊害も無いからだ。


 そして一つ、疑問が生まれる。


 俺は何なのか?


 病気の治療としてポッドで眠りについたのはほぼ間違いない。

 でも、肉体的に完全に若返ってしまっているのは説明が付かない。

 以前、自分はコピー体なのかもと考えてスミレさんに聞いたら、その可能性はゼロだと言われた。テロメアという寿命によって欠損していく遺伝子に弄られた形跡が無いという。それで余計に分からなくなった。今の自分が存在するって事は、若返るってのはその遺伝子が延ばされる事とは違うって事だ。

 色々な所で何度もDNAを採取されたが、未だにはっきりとした答えを示してくれた機関は存在しない。


 アンチエイジングに関して、現代は昔ほど貪欲ではない。

 長命は種としてデメリットでしかなく、今の寿命が一番ヒトとしてバランスが取れていると判明した事も大きい。


 俺は遺伝子修復の実験体として選ばれたのか?

 現在十六歳手前、成長期なのは実感がある。去年の冬、関節痛かと思ったら成長痛で、身長は昔ほど伸びていない。これは栄養も関係しているのか?

 三食まともに食べてないもんな。


 あと、この間の検査で脳にはっきりと異常がある事を医者から宣告された。

 ハマジリと同じ、あの脳が石灰化する病気だ。このまま何の治療もしなければまた同じくらいの歳に病気になる確率が高かったが、これは現在進行形で治療が進んでいる。当時眠りについた年齢に身体が達する頃には完全に治っているだろう。


「御社を志望した理由は、生存権が担保される可能性の高さがわたしの求める水準を満たしたからです」


 そういう理由で転職するのは現代ならではなのだろうか?


 イルカ少女脳は、繋いだマイクとスピーカーで真面目に質疑応答している。

 てか、俺に対する時と大違いだ。猫被ってやがる。


「わかりました」


 分かったの!?アリなの?!


「この職務経歴書はかなり曖昧ですが、具体的にどのような技能で貢献出来ると考えていますか?」


 ジッパーを下げて胸の隙間からグラス部分の細いインテリ眼鏡みたいなデバイスを出したつつみちゃんは、手元のタッチパネルとグラスに広げた画面たちを見比べながら目を細めた。

 因みに、俺はその隣りで日傘を持つ係をしている。

 ノロノロ運転だけど、急な風向きの変化によって裏返りそうになったりするので、細心の注意が求められる。


「はい」


 こいついつの間にそんなの作ってたんだ?

 俺も覗こうとしたが、つつみちゃんに手で胸元を隠された。

 くっ、何故隠す!?折角開いた胸の谷間が見えない!

 いや、違う。そうじゃない。


「こちらからも質問宜しいでしょうか」


 てか、全くの別人だよな?

 もっと拙いガキっぽい思考じゃなかったか?!

 実は外からザラ声エルフがコントロールしてるってんじゃないよな?

 思わず通信環境を確認してしまう。


「どうぞ」


「御社の自治法外福利厚生に関して、一部曖昧な点が有りまして、自身の性質上該当しない箇所や適合しない文言があります。明確なお答えはこの場で頂けるのでしょうか?」


”任せた”


 うえぇええっ?!


 何てしっかりした奴なんだ。

 そしてつつみちゃん何故に俺に振る。今、可美村も井上も居ないからめっさやりにくいんだが。


 てか、欧州ではこれがデフォなのか?

 都市圏とかだと未だに、良く調べもせずに、面接時に聞きもしないで、天下の二ノ宮でも、入社してから”こんなの思ってたのと違う”と辞めていく奴がかなり居る。就業規則は公開が義務だし、その為の面接なんだから聞けば良いのに、と俺からしたら思うが、これはもう国民性なのか?


 仕事をするかどうかは兎も角、俺はこいつがクソな事しない限り見放さないつもりだが、こいつが俺らに対してどう考えているかはまだ良く分かっていない。エルフに言われて俺らに害を与える為に寄ってきたって事も考えられるし、その辺りの判断基準を作っておくのはアリだよな。


「その質問には私が応えましょう」


 ブフッとつつみちゃんが息を吹いた。

 大丈夫か?


 顔を向けると、眠そうな真顔で、手の平で先を促されたので、日傘を持ち直して話を続ける。


「具体的に文言を提示して頂ければ、私の責任の範囲内でこの場でお答えしましょう」


”ナラ、聞くケド。これアンダーライン引いたトコ。アタシの場合どういう処理になるのか今決めてヨ。入った途端無休だったり、解剖されたら困るノヨネ”


 オイ。

 その人によってガラリと変わる態度なんとからなんのか。

 社会に出たらマイナスにしかならねーぞ。


 入社したらこいつには人間関係の構築の仕方から教えなきゃだ。

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