第410話 マスカット貿易センタービル

 二十二世紀の三十年代。ネット上に神が出現したとする妄言に端を発した世界規模のテロは、世界中のあらゆるものを破壊し尽くした。

 文字通り、あらゆるものをだ。

 人工構造物は勿論、インフラも、人も、文化も、自然も。

 破壊する事でしか自己顕示出来ないテロリストたちは、目につく全てを破壊し、傷付け、そこに自らの正義と充足感を満たす。不満の声も、悲痛な叫びも、そのスパイスとしてしか機能せず。殲滅のための攻勢は怒りと狂気を増す効果しか生まなかった。

 融和を求めた国家やコミュニティはことごとく消滅した。

 テロに必要なのは寛容ではない。

 人類がそれを学んだのは、既に修復不可能なまでに地球が破壊された後だった。

 テロリストも只では出来ない。

 資金源が存在し、物資や兵器の供給源が存在する。

 バックにいたのは当時の先進国たちだったが、自国に飛び火するまでは他人事だった。対立を煽った方が都合が良かったからだ。

 弱い方に支援し、国を弱体化させつつ資源を貪る。

 大昔から続くその構造は現在でも変わっていない。


 中東の玄関口たるドバイやマスカットも例外なく戦禍に曝され、主要区画以外は整備されずそのまま使われていて、船上から見るマスカットは一昔前の籠原を彷彿とさせる。

 玄関口とは言いつつも行き交う船が少ないのは、寄港制限をされているからだ。

 港的には大打撃な筈なのだが、テロ対策と港の封鎖を加味してもマスカット市側には喜ばれた。


 船の上から手を振ってくれと云われて、東南アジアのマンチュムポンでもそんな感じだったし同じだろうと思ってたら、トンでもなかった。

 破壊と再構築が繰り返されたスルタンカブール港にはまだ船が沈んでいる区画もあって。そんな中、格子状に並んだタグボートの列を割り裂く緑のラインが海面に敷かれ、埠頭は戦車や重機関銃を積んだSUVが埋め尽くしている。

 それ以外、人人人。

 ついさっきまで戦闘でもあったみたいに、街の至る所で煙が渦を巻いている。

 現地語で港全体に何かアナウンスが響いているが、訛り過ぎてて何を言っているのか分からん。

 俺が手を振ると、嵐の歓声が返ってきた。


 今回、走査機器の持ち込みは許されなかったが、市内での限定的なネット使用が俺に対して許可された。こんな事、東アジアではありえない。

 俺の後ろで艦橋の陰に隠れている佐藤君が言うには、ぶっちゃけオフライン環境が用意出来なかったのでは、との事。

 こっちでは、東南アジアよりも電力環境が悪い。

 変電所や送電線は直す度に壊されまくって、ファージによる送電しか機能していない。なので遠距離の送受信はほぼ死んでいる。

 この感じだと衛星通信が出来る施設も限られているのだろう。


 会合予定となるマスカット貿易センタービルまでの送迎には気密された無限軌道の装甲車が用意され、態々上部に厚さ一メートルのドーム状の耐圧ガラスが被せられて、その中でヘッドギアは脱いでずっと手を振っていてくれとお願いされた。

 レーザーも遮光するので心配無いとは言われたが、ここまで狂喜乱舞されるとは。

 道が全部人で埋まっとる。

 ここではまだ回教が息をしているのか、それっぽい服装の人もちらほらいる。大部分は中東の人っぽくないな。コボルドっぽい奴もかなりいる。


”何なんだコレ?何でこんなに騒いでるんだ?”


 下で色々見張ってる佐藤君に聞いてみる。

 現地のナショナリズムみたいなのは事前情報ではふんわりとしか把握できていなかった。


”わたくし共がオマーンの国体に武器と資金を大量供与しました”


”あー”


”周辺の治安はほぼほぼ安定させました。今回を機に、寄港計画の促進について覚書が交わされる予定です。マスカット側として、これを落とす訳にはいかないでしょう”


 軽く言ってるけどさ。


”それに”


 下で笑いを堪えているっぽい雰囲気を感じる。


”あなたはこちらでも人気者なのですよ”


 佐藤君が冗談を言うってのは、俺はもう知っている。


”ユーラシアではスリーパーが集まると爆弾投げ込まれるってのは良く知ってるよ”


”そうならない様にするために、ここ二週間で多くの血が流れました”


”済まない。聞き流してくれ”


 俺らの一存で、冗談じゃないくらい人が死んだんだろう。


”いえ。彼らを見て下さい”


 手を振りながら道の両脇に並ぶ人たちを見る。

 彼らからは、あの白軍服と寺院から帰る時に感じた悪意のプレッシャーは無い。

 顔を向け手を振る度に、歓声が高まる。

 ドームは防音だが、下から車体を通して空気の震えが伝わってくる。


 空を飛ぶ無人機たちがしょっちゅう高速移動しているので、現在進行形でどこかで戦闘が起きてるな。

 貝塚がログ取りしてるので細かく調べていないけど、ネット封鎖されてないから、なんとなくどこで何が起きているのか分かる。

 アタリだけ付けておいて、イザとなったら情報共有しよう。


 壊れた家屋と真新しい家屋が混在する大通りを港から一キロ程内陸に進み、川の畔に異様な形状の建物が見えてきた。

 まだ新しそうなそのビルは、去年完成したばかりのマスカットが誇る貿易センタービルだ。この一帯は開発途中で、壊れた建物たちの片付けも済まないのに作りかけの箱物っぽいのが沢山ある。

 何かと対立する隣のドバイの貿易センタービルに対抗して作られたらしいが、西側との接点はドバイにほぼほぼ取られてしまっていて、東側との接点がインド重視だったのを、今回貝塚が入ってきた事で流れが変わると期待しているっぽいな。


 平たく潰れたバベルの塔みたいなマスカット貿易センタービルは、高さ二百四十メートルの六十階建て、そのまま飛んでいきそうな形をしていて、南向きの半分くらいは緑で埋まっている。

 この乾燥地帯であの緑を維持するのは驚異だ。

 別に装甲車で来なくとも、ここまでは直通の動く歩道が整備され、地下からも地上でも陸橋でも来られる。逃げやすさと体面を重視しての場所選定だ。

 会合場所は最上階を指定されたが、俺の強い希望で地上二階でやる事にしてもらった。スコッチテック側はかなり難色を示したので、スコッチテックだけ最上階で俺は二階でも構わないと言ったら、華山院に大笑いされた。

 流石に、この環境で最上階とかにしなくて正解だったわ。

 このビルの最上階なんて、ミサイル貰ったり下から火を付けられたら普通に終わる。


 ヤシの木に囲まれためっちゃ広いエントランスに冷風扇が凄い数設置され、俺がアトムスーツ着て来るの伝えてないのか?

 しかも、空調が誘導されてないので気休めにしかなっていない。


「何だ?聞いてないぞ?」


 大勢のスタッフと一緒に煤けたカタフラクトが二機立っていて、何も聞いてないので強制接続しようとしたら、中身が可美村と井上だった。


”お疲れ様です。バッテリーなるべく節約したいので控えてました”


 俺の方が先に着いたみたいで、スタッフたちがめっちゃバタバタしている。

 トラブったのか?


「どうかしたのか?」


 装甲車から下りる時、下で壁になってくれていた可美村と井上に聞いてみた。


”前の白服が総支配人です。部屋に入ったら詳しくお話します”


 ターバンを巻いた髭面の大男は挨拶と共に普通に素手で握手を求めてきたので、両手を広げてお道化てみせた。流石に、この環境で俺と素手で握手は怖くないのか? 神の平和をとか、本日は宜しくとかずっと言っていたのでとっとと案内してもらう。おしゃべり好きみたいで、先導する間もずっと話が止まらなかった。

 口ではおべっかで笑顔でも、感情は怒りが渦巻いてるんだよな。

 数値的に丸見えなので反応に困る。


”何でこいつはこんな怒ってるんだ?”


 廊下に敷き詰められたぶ厚い赤絨毯は模様が凄いんだが、所々黒いシミがあって、張り替えてる途中の場所もあった。これ全部手縫い絨毯じゃないよな?

 壁も、弾痕を塗り隠した所が多すぎて絵画とか花瓶で隠しきれていない。

 自分のビル壊されまくって俺に怒り心頭なのかな。

 疑問に思ってると可美村が一文くれた。


”今回の騒動で、息子が二人無くなりました”


 あ。


”百人いる内の二人ですが、溺愛してたと聞いています”


”何か声かけるべき?”


”いえ。必要ありません”


 こっちでは子供が百人作れる人間が存在出来る環境なのか。

 昔から構造が変わってないのか?


 待合室とかは無く、そのまま会議室へと案内された。

 後ろを無人機で確認したらなんか武装したスタッフ含め凄い人数がぞろぞろ付いてきてて逆に不安になる。


 立ち止まり、グローブを脱ぎ握手を求める。


 驚いたみたいで固まっている。

 井上がギアの向こうでため息をついている。ギアの中の音声切ったみたいだけど、ファージ切ってないから分かるぞ。


「息子さんたちの事は今聞いた」


 それだけ言って手を差し出す。


 迷いながら出された大きな手は、よく見ると金持ちの柔らかい手ではなく、銃ダコのあるガサついた手だった。

 荒れてるのはガンオイル使ってたからだな。

 つい昨日まで戦ってたのかもしれん。


 先ほどとは違い、恐る恐る差し出してきた手をゆっくりと掴む。俺が何もしないのに気付くと、熱い手で強く握り返してきた。


”副代表。彼らに左手は駄目ですよ”


”大丈夫。分かってる”


 それ以降、何も言わなくなってしまった総支配人に案内され、廊下の突き当り、赤絨毯に似合わない無骨なブラストドアの前まで来た。やっつけで増築したのか、溶接の飛び散った跡が絨毯に残っている。


 軋みを上げてゆっくりと開いていく分厚い片開きの扉の先は真っ暗で、開き終わると手前から明るくなっていった。

 壁が厚い、一瞬廊下かと思った。突貫で増築しまくったんだ。

 お陰で、事前に貰ってたマップよりかなり狭く感じる。


 部屋から漏れ出す冷気を吸い込んだら、少し喉がヒリついた。


「さて」


 踏み出す一歩が久々にふらつき、緊張する余裕がある事に笑ってしまった。

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