第376話 サンダードラゴン
攻勢が一層増した。
寺院の周りで死体の山が現在進行形で大量に作られているのは、このカラルンプルのボスをぶっ殺そうとする敵対勢力たちを必死で食い止めてるからだ。
記録媒体を保持していないお偉いさんなんて、そりゃ煮て美味しい焼いて美味しい、しかも雄を悦ばせる為だけに創られたみたいな外見の女性で運河のボス。むしゃぶりつきたくなる鴨ネギのネギ鴨だ。
初めは、何でこんな所でと思った。
東南アジアでは、サルベージとセキュリティの要件を満たす場所はほんの僅かなんだ。
死体を片付けようにも、移動させると色々情報が漏れるから、俺との交渉が終わるまで積んどく感じか。
ファージが切断されてて電波も通らないからほんの微かしか分からないけど。 今、周りのスラム団地ではとんでもない量の敵味方がモリモリ死んでいってる。
貝塚とか二ノ宮の兵を俺に近づけなかったのは、サルベージ記録が残ってしまうからだったんだ。
何で見ず知らずの奴らに俺らの警備任せるのかとずっと疑問だった。
スミレさんも貝塚も、分かっててこの異常な環境を自然に作る下準備に手を貸したんだ。
本来突っぱねるような微妙な理由をつけて、過保護なつつみちゃんが何故か付いてこなかったのにも納得がいく。
「誘導をかけますわ」
白軍服が短い通信を行うと、通路両脇の池の水が引いていく。
何だ?
真っ黒な石のプールは思ったより水深が浅かったらしく、あっという間に蓮の花が浮いた水は全部流れていってしまった。池底が斜め沈んでスロープが出来て、奥に横穴が開いていく。
床の左右に開いた大き目の穴二つからは、ぶるり、と、聞き慣れた懐かしさを感じさせる低音が軽くエコーしながら響いてきた。
数を増し、大きくなった騒音たちが、唸り声を上げて近づいてくるのが分かる。
”こんなトコに乗り入れていいのか?”
ガソリンエンジンの大型バイクがヘッドランプを煌々と照らしながら両側のスロープから次々に出てくると、ぐるりと入口から回り込んで柱とスロープの前に斜めに乗り入れてきて整列した。
大型じゃないな。超大型バイク。全部無人だ。
左右に四台ずつ。
”ガラジ・アジャガ。四千二十四cc。クアラで最大排気量の二輪で御座います”
プレート越しに接続許可が来たので承認すると、早速チャット窓から音声通話が始まった。口が動いていないから人工音声か。
てか、マスクしてないけど呼吸大丈夫か?
ライトの光量を落とし、グルグルと極低音で威嚇してくる八台の化け物バイクたちは、一瞬で院内の空気を自分色に換えている。
ノンファージ空間はこいつらが下で維持していたのか。
”一台で四百キロワットは出せます。環境維持を抜いても、残りの燃料で二千四百キロワットを十五分は確保出来るでしょう”
化け物すぐる。
”吸気は大丈夫なのか?”
白軍服は下の暗い水路を差した。
”完全閉鎖環境で。フィルタリングした後に酸素を添加しています”
確かに。下に向かう水路の左から吸い込んで右から新鮮な空気が出てきている。
環境はこれで問題無いな。
そだ。
”一つ。ナビゲーターの経験は?”
戦争屋がファージ誘導のサルベージに手慣れてる絵面が思い浮かばない。
”勿論。生体接続者のナビゲーションは初めてですわ”
ナビ役はやった事あるって事か。貝塚と交渉するくらいだから、接続技術はそれなりに持ってるのかな。
こっちも粘菌人間のサルベージなんて初だ。
小人の牧場では異形化したエピキュリアンに少し関わった事あるし、あとは屋久島のシダ塊が粘菌っぽかったか?
事前情報無いから自信は全く無い。
防壁もOSも、全く想像がつかない。
”山田様の懸念点は無いモノと考えて宜しいかと。繋いでみれば、お分かりになりますわ”
そうなの?
牧場のあの巨大ゴミイソギンチャクはほとんど抵抗とか無かった記憶はある。
まぁ正直、元は人間の、快楽主義者の、粘菌の集合体がどういう構造で思考とか意思決定しているのかは、興味でしかない。
”時間も押しています。いきますわよ?”
”どうぞ”
白軍服の差し出した手の指先から、繭玉の糸っぽいモノが大量に伸び出し、極低温の二酸化炭素で密閉された棺に浸食していく。空気から抽出してないな。結構な質量だ。袖口に媒体を隠してるのか?
糸たちは、凍って輝きながらパリパリと破損していくが、壊れていく以上の量が、棺の蓋の隙間から内部に根を張っていくのが分かる。
白軍服が探してたっぽい事をチラッと言ってたけど、情報を保持している個体が選別できるって事は、一応”個”が存在する?個の薄いシダ塊とかコントローラーたちとはまた違うんだよな?
隔離したからそんなの関係無いのかな?
舞原に繋いでもらったナチュラリストのネットワークともまた違うのだろう。
とりあえず、構築してもらったローカルネット上に電子防壁は思いつく限り目一杯張って、カウンターの仕込みも段階を分けて準備しておく。
四つ耳本体がくれたヤツは使えそうだけど、ここでは見せたくないなあ。あまりよろしくないけど、脆弱性穴埋めは都市圏で使っていたヤツを参考に、使えそうな部分だけ抽出して配置しておくか。
粘菌への接続を開始すると、広がっていくデータ領域にびっくりした。
”脳が無いから考えられないって訳じゃないんだな”
組成は只の粘菌。単純構造なのに、内包しているデータ容量は凄まじく、書き出して全体図を把握するだけでも電力消費が跳ね上がる。
正に、情報の塊。しかも、知らない言語だ。
こんなんで、慣れないナビ頼みで十五分以内に探せるのか?
攻撃性が皆無なのが救いか。
”今回、言語を理解する必要は御座いません。順序だって進めていきましょう。故人のマップはお取り扱いがございますか?”
故人の記憶。サルベージ経験は熊谷で何度かある。
”ああ”
”機能領域をマッピングしてゆきます。記憶電図の癖は個体毎に異なりますので、通信プロトコルは必要最低限の関数を走らせて確認してみましょう。各野が判明すれば、後のサルベージはヒト脳と同じですわ”
ネットワーク上ですら無数の人工知能が泳いでいるんだ。
神経節で構成された粘菌塊が、脳が存在しないから脳機能を再現できないなんてのは凝り固まった考えだったな。
記憶は、脳内の電気信号のマップによって構成されている。
ヒトは、リンゴ一つ憶えるにしても、名前以外に、五感の記憶やエピソードとしての記録、他の情報との関連性も含め、様々な”野”を繋ぐ電気信号で構成された複雑怪奇な地図として脳に刻まれる。
頭を叩くと脳細胞の接続が切れまくるとか、毎日何十万も脳細胞は死ぬと言っても、それで記憶が飛んだりしないのは、全ての事象を電図としてなんとなく脇道横道含めて記憶してあるからだ。
機能を司る”野”が完全に損傷したら流石にそこを使う記憶電図は欠落するが、そうでない限りだいたいの記憶は常に何らかの形で補完されている。
残念ながら、使わないマップは薄れていくので、記憶に限らず、身体操作でも、技能でも、接続強度を維持したい重要なマップは常に使い続けて電図の縮小を防ぐのが望ましいと聞いた事がある。
俺は、この粘菌人間を、クラゲやサンゴみたいな、無目的に三欲のみで只生きるだけみたいな存在だと思っていた。
以前、スミレさんに見せてもらった快楽主義者たちの映像も、一目見ただけでは説明責任を全く果たさない意味不明なモノが多かったのも一因だ。
実際は全く真逆。
この粘菌子ちゃんは、全身が脳みたいな物だ。
仮想領域化された各機能野は、互いに複雑に絡まり合い、溶け合いながらも綺麗な調和を持って活発に働いている。
”夢を見ているのか”
俺の独り言に、白軍服は優しく目を細めた。
”主義を追い求めた結果、彼らは夢の世界の住人となりました。今は、楽しい夢でも見ているのかしら”
粘菌内部を走っている電流の傾向は、レム睡眠時の地図の動きによく似ている。
確かに、この頭では懸念とか防衛とか考える必要は無いな。
これは、そういう事を選択したり決定したりは考えない生き物だ。
多分、誰かを害するとかそういう発想も持たないのだろう。
腹が減ったら喰う。
それ以外の精神活動は全て夢の中だ。
”領域の組み分けはほぼほぼ済みましたわ。そろそろ抽出作業の選別に移れるでしょうか?”
院内の気温は四十度を超えている。
白軍服は全身じっとり汗ばんで少し暑苦しそうだ。
粘菌ちゃんは冷却が間に合ってなくて、若干霜が降り始めている。
溶けたら途端に喰われそうだ。
とっとと終わらせよう。
”そうだな。やってみよう”
未来の為に。少しだけ。ほんの少しだけ、その夢に踏み込ませてもらう。
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