第115話 使用目的に関する見解
「色々逸話もあるのですが、口伝なので正確ではありません」
一旦地下へ移動した作務衣少女が大切そうに持ってきた風呂敷の中身は、抹茶茶碗が入る程度の古ぼけた桐の箱だった。
室内にファージガードを起動した作務衣は、周囲のガード機構を再三確認した後、テーブルの上を滑らせ、俺に箱を差し出した。
「大丈夫だとは思いますが、あなたが本人でない場合、無理に使おうとすると防衛装置が作動して自壊します」
それは困る。
俺が本人なのか確認してからの方が良いのか?
いやでも待て。
”俺が本人かどうか分かるだけ”でも十分な収穫だぞ。
「中には何が?」
「感情発信プロセッサです」
ざわり。
と殺し屋が総毛立ったのが感じられた。
何だそれ?
今、アトムスーツ無いから危なくてホイホイ検索出来ないんだよなぁ。
とりあえず、箱の上蓋を取り、包んである紫絹をめくると、少し大き目のルービックキューブが出てきた。
いや、アレに似てる。
ルマ〇シャンの箱だ。
パクりか?
黒檀っぽい材質で表面の金目細工に電子回路が細密に刻印されている。
「待て!」
触れようとした俺に、殺し屋が待ったをかけた。
「本物なら、ステルス爆撃機が編隊で買える。正真正銘のオーパーツ」
いやいや。幾らするんだよ。
そんなもん喫茶店に眠ってる訳ないだろ。
そもそも。
「何なんだ?これ」
感情発信プロセッサ?
俺が眠った以降に作られた技術か?
言葉通りのモノなのか?
「文字通り、記録した人物の感情が発信されて受信者に再現される装置」
殺し屋は少し強めの走査をした。
「これは本体基盤が必要とされないインスタントタイプ。内蔵電池容量も起動一回分しか無い。バッテリー切れでデータも揮発する」
「充電出来ないのか?」
「端子が無い。非接触充電もできないし、分解警告が付いてる。一回使ってそれで終わりの使い捨て」
このまま使えるのなら別に問題無いが。
ん?感情・・・、だよな?
「記憶じゃなくて感情?」
「感情」
「どういう仕組みなんだ?」
「知らない」
ファージでホルモンバランス弄るのとは違うのか?
今使うべきか?
持ち歩くと危険そうだな。
本当にそんなに高価だとしたら、盗まれたらシャレにならない。それだけで映画一本撮れてしまう。
でも、使って発狂とかは嫌だな。
「危険性は有るのか?」
「当然。保存された感情によって、衝動的になる事も十分考えられる。安全な環境で使うべき」
殺し屋は溜息を一つ。
「未使用と使用済みでは価格が百倍違う」
百倍かぁ。
本社に戻って検索かけたら気付かれるよなぁ。
スミレさんに相談すべきかな。
ここで殺し屋に依頼するってのもアリか?
受けてくれるかな。
「何かいい方法無いか?」
殺し屋は黙考している。珍しい。
作務衣は目をキラキラさせて俺らを見ている。
出てくるのは、もっと別の物だと思っていた。
俺の医療記録とか、母の時みたいなメールとか。
未使用のアンティキティラの歯車が出てくるとは思わなかった。
「環境を整えるだけならわたしが準備出来る。だが、二ノ宮グループに協力を仰いだ方が良い」
選択肢は同じだが、優先順位が逆だな。
何でだ?
「理由は?」
「二ノ宮なら、たぶん完璧なサポート体制が敷けて、再生による資金回収率も高く見積もれるはず」
確かにそうなのだが。
「中身が恥ずかしいモノだったら、その後一生気まずいだろ」
心証は大事です。
それに。
「資金回収って、それつまりモニタリングされるって事だろ?」
「恥ずかしさより、お金の方が大事だと思います・・・」
若くして責任者になったであろう作務衣から重い言葉を頂く。
「あ。スリーパーだからお金に困ってないんですね」
なんだろう。グサッとくる。
「大宮は地下市民登録されると六公四民なので、税制優遇されるスリーパー関連事業は羨ましいです」
まぁ待て。
「これを幾らで譲ってもらえるんだ?」
そんな高額なモノ、そもそも俺が手に入れられるほど大きいサイフは持っていない。
「勿論。タダでお譲りします」
「言ってる事が違くないか?」
作務衣は、キューブに一瞬だけ心残りのある目を向けた。
「代々当主に伝わっている物ですが、この時の為に今まで持っていたのです。本来、永遠に渡せず、伝えていく筈でした」
そう言ってぽろりと、涙を零すと、少し微笑んだ。
作務衣には心ばかりのお礼すら受け取ってもらえず。既に市議会から注視されてるから、大きな金の動きは見せたくないときっぱり言われた。
昔も今も、金がある一般人が即食いモノにされるのは同じか。
帰り道、俺も殺し屋も口数が少なかった。
ビルよりデカい木々が鬱蒼と茂る鐘塚公園の遊歩道をゆったりと歩く。
「ん」
殺し屋が顎で指した方を見ると、池の際にベンチがあった。
二人して座って、池で泳ぐ数羽の鴨を見ている。
何が楽しいのか、濁った池の水に頭を突っ込みながら嬉しそうにグァグァずっと鳴いている。
「帰り際に見たら、四人組のテーブルに盗聴器があった」
膝に両肘をつき、組んだ両手で口を隠してぼぅっと池を眺めている殺し屋は相変わらず無表情で何を考えているか分からない。
何で無力化しなかったかと詰めようとして、気付いて止めた。
あのタイミングで盗聴器弄ったら聞かれたら不味い事話していたかもって怪しまれるからな。
「他にもあったかな?」
飲み物が欲しい。
口を自然に隠したい。
「事務室には不審な電波やファージ誘導は無かった。店主もガードを慎重に構築してたし、あそこでの会話に問題は無い」
あの家系に慎重に保管する技術と知識が無かったらとっくの昔に無くなってただろう。
「金に目が眩んだ連中は、中身なんて気にしない。使うにしろ使わないにしろ。早々に手放すのが吉」
「分かってる」
そもそも、疑問なんだが。
「何でそんなに高いんだ?」
殺し屋は周囲をキョロキョロ見回すと、アスレチックオブジェの近くにあった自販機から缶コーヒーを買ってきた。
因みに、熊谷には自販機は一つもない。
設置した途端壊されて盗まれるからだ。
「毒は付着していない。口をしっかり隠しておけ」
「さんきゅ」
ノンシュガーのホットカフェオレだ。
「一応隠せてると思うが」
あ。割と美味い。
「上から指向性マイクで拾われている。木のさざめきを挟んでるから苦戦しているだろうが、見付かっただけで十機はここを向いている」
有名人て辛いわ。
「警護は、市警に通知設定かけずに二ノ宮だけにすべき」
二ノ宮に頼れなんて殺し屋に二度も言われる日が来るとは。
後の祭りだ。
「次からアトムスーツ着てくるわ」
あれなら、ファージ使わずにレーザー通信で心置きなく話せる。
「何だ?次のデートの約束か?」
「そう取ってもらっても構わないが、教えてくれないのか?」
「つまり。まだ迷っているという事か」
ワード検索したら必ず足が付くからなぁ。
二ノ宮に限らず、誰に知らせるべきか、知らせないべきか、まだ決めかねている。
殺し屋は・・・、こいつは秘密は墓場まで持っていくだろう。
そういう奴だ。
「教えてやろう。一生カンシャするが良い」
高いな。
「ただ単純に、解析されていない技術で価値が高いから」
感情の変化が?
「解析出来れば電子ドラッグ市場が一気に拡大する」
「ぬ」
そういうカネの方向性かよ。
「ホルモン生成装置にも、ファージにも頼らずにオフラインでコントロール出来れば、密売グループは歓喜」
「ファージの技術じゃないのか?」
「別物。再現できない」
「何で?」
ルルル辺りなら悦んでやりそうだけどな。
「単純に。サンプルが少ない。当時、香港だけに有った製造プラントは開発会社ごと核で消えた」
戦争で消えたロステクかぁ。
モノがモノだけに、消えて良かったのか悪かったのか。
「何でそんなのをあの子が持ってたんだろ」
「戦争の数年前から流行り始めた商品で、当時は普通に買えた。色々と時期が被ってた。ソレの所為で香港に落とされたという歴史家もいる」
俺の起きていた当時も、香港は技術の坩堝だったからな。
当時、仕事で何度か香港の人間とコンタクトを取ったことが有った。
国ぐるみで政府が世界各地から盗んできた技術や特許申請された他国の技術が毎日山のように投下され、誘致した外国企業の生産ラインからは正規品以上の数のコピー商品が香港を通して出まわっていた。日本は、企業単位でやっていた事だが、国家主導だと資金力も速度も桁違いだ。
やり方は兎も角、金を稼ぐ情熱にかけて香港人に勝てるのはユダヤの商人くらいだろう。
「再現できないと分かって末端価格が上がり、気付いた時にはほぼ全滅。先進諸国の研究機関が手に入れられないほど高い価値が付いてしまった」
「倫理的に問題が無い商品だったのか?」
「元々、眉唾モノのジョークグッズとして中国の政権を経由し中東の王族御用達で出回った。法整備が追いつく前に全世界に広まったらしいが、何が本当かはわたしは知らない」
サワグチとか知ってるかなぁ。俺より世代若いし。
おっと、危険だ。殺し屋の前でサワグチの事考えるのは止めておこう。
んでも。俺の恥ずかしいプライバシーが露見するだけでなく、二ノ宮にこの技術が再現できたとしたら、それはどうなんだ?
あまりよろしくない気がする。
争いの火種にしかならなそうだ。
貝塚だったらどうするだろう?
軍事目的で使うかな?
でも、オーパーツのイニシエーションルームは圏議会に黙ってさっさと破壊したしなぁ。
危険物は管理するだけで利用は控えそうな気もする。
「どれくらいの頻度で発見されているんだ?」
殺し屋は、足元によちよち寄ってきた無防備な鴨に何処から出したのかピーナッツを放り投げている。あ。他のも寄ってきた。隣の鴨に自分のピーナッツを分け与えているのがいる。貰って喰ってる方が大きいけど、親子か?どっちが親なんだ?
・・・ガーガー五月蝿ぇ。
こいつら餌やって良いのか?
「ここ十年はスリーパーより全然少ない」
スリーパー自体が乱獲されてたんだろ。
まぁ、大体わかった。
「何で香港で作られて中東で出まわったんだ?世界に広まったのならそんなに高くなかったんだろ?」
「言い方が悪かったな。回教徒の王族だ。自分の妻たちにのコントロールに使っていたらしい」
なんだよそのムナクソ案件。
「いつの時代も、回教徒の男にとって女は搾取するだけの資源だ。信仰と人類繁栄にはそれが近道だと奴らの歴史が証明している」
宗教なんてクソだ。
ナチュラリストと同レベルだ。
「そんな顔をするな、貧乏な回教徒は暴力で女を支配する。何倍もマシ。それに、非暴力の回教徒だってそれなりにいる」
俺が憤慨してもどうにもならない。
あのシンジケートをどうにかできていない俺には憤る権利すら今は無い。
あそこは近い内に何とかしてやる。
「相棒」
殺し屋が、俺を正面から見据えた。
割と可愛いつぶらな瞳がスポーツサングラスから薄く透けて見える。
「この世は理不尽で不公平だ。それは本質だ」
こいつの方が実年齢も若いのに、ガキを諭しているみたいだ。
俺とは経験してきた人生の厚みが違うんだ。
「スリーパーだから、とか、ナチュラリストだから、とか、で自分を区切るな」
区別と差別は割と自分の好きに使い分けてるつもりだけどな。
「やりたい事をやればいい」
最近同じような事をどこかで聞いた。
「お前は誰にも止められない」
危険思想の殺し屋はそう言って不敵に嗤った。
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