ヴァンパイアが愛される

この街はイカれている。

7~8年前、この大都市の上空に円盤状の超巨大なゲートが現れ、その開いた門から首から上がタコだったり大量の触手だったりする人間っぽい何かや獣耳の生えた獣人や魚頭の魚人や見上げる程に大きな巨人や空飛ぶ魚や骨姿の竜と言った異界の生物が大量に侵入し、立ちどころに街は異形の姿で溢れかえった。たまたまその日はハロウィンであったが、本物の魑魅魍魎が街を跋扈することになるとは誰も聞いてはいなかった。

彼らの目的は“観光”だった。が、その軽い言葉に反して実際に引き起こされたのは“虐殺”だった。

当然のように彼らは人類の道徳や倫理観を有しておらず、代わりに持ち合わせていたのは例えば人間の頭に握り拳を振るって一発で粉々にするような腕力だったり人の脳と脳をまるっと入れ替える技術力だったり頭を銃弾でぶち抜かれてもすぐに再生する生命力だったりした。そんな異形たちが力で自分の言う事を利かせようとしたり、ただの好奇心で人間の体を弄ったりした結果、大都市の人口はみるみる減って一時は半分にまで落ち込み反比例して死者数・行方不明者数が急増した。それでも根絶やしにされなかったのはひとえに人間の手先の器用さと想像力によるものだろう。人間の作る料理が音楽が映画が服が雑貨が漫画が小説がその他諸々が異界には存在しえないものであり、異形たちを楽しませ、だから人間の価値が認められてむやみやたらに殺すのはよくないという風潮が異界の生物たちの間で流れ、実際それで当時、大都市を統治していた市長とカエル頭にスーツという珍妙な姿の異界のトップが手を取り合って和平条約が一応は結ばれた。尤も未だに面白半分で人間は殺されるし、その異形を取り締まりに来た警察も殺されるし、そうしてイキがっていた異形が自分よりも何倍も大きな異形の足に踏み潰されたりする。そう言う街だ。

そんな街の大通りをいま、僕と彼女は肩を並べて歩いている。

背中に流した艶のある長い黒髪は美しく真っ直ぐ通った鼻筋と小さな唇は可愛いというよりも美人という印象を与える。しかしながら彼女は自分に嘘を付くのが嫌いな性分で正直で毒舌で舌鋒鋭く僕も今まで何度彼女の言葉に八つ裂きにされたか分からない。それは対立を嫌って遠慮ばかりしてきた僕とは正反対で、だから惹かれてしまう。

剥き出しの刀身みたいな彼女は凛としていて、とても美しい。

現在、目的地はバーガー屋だ。建物と建物の間に伸びる路地のさらに奥に建っている隠れ家的な店。僕と彼女は他愛もない会話しながらやがて見えてきたその路地へと曲がる。視界の正面に映るのはいつもだったらバーガー屋の店舗であるが、今日は見えなかった。代わりに、灰色のモフモフの大きな背中が座っていて高さ3mの壁となって僕らの行く手を塞いでいた。僕はモフモフの上の方に見える長い二つの耳からすぐにそれが蝙蝠型の獣人だと察した。ここに来るまでに目の前を歩いていたスーツ姿のおじさんや若いカップルがこの路地に入ろうとして引き返してきたのはこれが原因だったのだろう。賢明だ。僕たちも引き返すべきだ。そう思って彼女に別の店に行くことを提案したのだが……


「なぜ?」


振り向いた彼女は表情を変えずに問い返した。


「そりゃ危ないからさ」

「でも悪いのは通せんぼしてるあの獣でしょ?」

「まあ、そうだけど……」

「邪魔だからどかしてくるわ」

「あ、ちょっと」


僕の制止を気にも留めず彼女は歩いていってしまう。僕も慌てて彼女を追いかけて蝙蝠のすぐ後ろまで行くと二人で足を止めた。


「すみません」


彼女が上を向いて呼びかける。数秒待っても獣人は振り返らず居心地の悪い沈黙だけが広がった。まるで本当に壁に喋りかけたみたいだ。彼女が再び呼びかける。


「すみません。聞こえているかしら」

「……あぁ??」


如何にも面倒そうな声を漏らしながら蝙蝠型の獣人は僕たちの方にその巨体を振り返らせた。

凄まじい威圧感だった。

風を受ける薄い皮膜が付いている腕は丸太のように太く、鼻が潰れていて、その上で開く大きな単眼が僕たちを睨み下ろしていた。ハンバーガーを食べていたらしい。口の端には食べカスが付いていて右手には大きな体には不似合いな小さいハンバーガーが握られている。


「なんだぁ?食事中にうるせぇな」


人間の身体を噛み千切りそうな程に鋭利に生え揃った歯が覗き見える大きな口から苛立ちの籠った低い声が漏れる。だが彼女は一切物怖じせずに言葉を続けた。


「私たちここを通りたいからどいて欲しいのだけれど」

「人間の癖に俺に指図しようってのか?」

「その大きな耳は飾りなのかしら。私は指図では無くお願いをしているのよ」

「ああぁ?」


威圧する蝙蝠男から彼女はじっと視線を外さない。

彼女のこういうところが好きだ。

目の前の怪物がその気になれば彼女の命など簡単に奪えるのに、彼女はまるで恐怖を感じていない。自分の正しさを貫いている。イカれている。


「座って食べるならこんな狭い路地より向こうの広場の草原がオススメよ?風も気持ち良し」

「ざけんな。俺は本当は店の中で食いたかったんだよ。でも店員の野郎が“身体が大きすぎて店内では召し上がれません”なんてふざけたことを言いやがったからな。ここで座ってこの店に客が入れないようにしてやってんだ、ざまあみろ馬鹿どもが」

「耳だけじゃなくてその目も飾りなのね。そこにそもそも人型以外店内飲食禁止の看板が立ってるじゃない。見えないのかしら」

「はぁぁ?」

「というかデカいのは図体ばかりで心は小さいのね。残念な男」

「はあああぁぁぁぁ???」


彼女の容赦のない口ぶりに蝙蝠男の怒りのボルテージが上がっていくのが目に見えてわかった。これはそろそろ不味そうだ。バーガーがぐしゃりと潰れるのも無視して右手が握り拳をつくり、力の込められた毛むくじゃらの腕には血管が浮き出ている。

僕はいつでも動けるように注意を逸らさない。

彼女がトドメを刺す。


「良いから早くどいてくれるかしら。しょうもない蝙蝠さん?」

「てめええええええええぇぇぇぇ」


とうとう我慢の限界を超えて蝙蝠男が自慢の拳を彼女に振るった。

小さな彼女に勢いよく迫る巨大な拳。当たれば即死は免れない。それが不可避の速度で迫る。

彼女の前髪が、ふわりと舞った。

……しかし。

彼女に拳は届いていない。

彼女を背にして立つ僕の左手が、蝙蝠男の拳を受け止めている。


「まあまあ。落ち着きましょうよ~」


出来るだけ朗らかな笑みを浮かべて宥めると、蝙蝠男は自身の拳を見てぎょっとした表情をした後、舌打ちをしてバツが悪そうに飛んでいった。

上出来だ。平和主義で傍観者な僕が出来る事と言えばせいぜいが主役たる彼女に降りかかる火の粉を払う事くらいである。

振り返れば真っ直ぐで綺麗な黒い瞳が僕を見つめ返した。

彼女は無傷だった。

あー良かった。




店内は人間と人型の異界生物で賑わっていた。


「さっきのは流石に危ないよ」


空いていた丸テーブルに向かい合って座り、カウンターで注文したポテトとドリンクとハンバーガーとナゲットが出来上がるのを待ってる間、彼女に偉そうに説教なんかを試みてみた。


「隣にいてヒヤヒヤするから出来るだけああいうのは避けてほしいんだけど……」

「そうよね。貴方も私もただの人間だものね。異界の住人ばかりのこの街ではゴキブリみたいに惨めに地面に這いつくばって彼らの視界に入らないようにコソコソ生きるべきよね」

「卑屈過ぎる!」

「そう?じゃあ言いたい事だけ言ったらさっさとずらかるわ」

「くそガキムーブ!?」

「ヒット&アウェイ」

「悪質だ……」


彼女の冗談は少々ブラックが効いていて笑えない。

要するに彼女は自分の気持ちに嘘を吐くことが出来ないのだ。相手が間違っていると思ったら絶対に引かない強情な女。全く。勇ましすぎて惚れ直してしまう。


「何よ。キスなら外ではしないわよ」


人間一発KOの異形溢れるこの街で今までよく生き延びてきたものだと思ってまじまじと見つめていればそんな言葉が飛んできて、僕は咄嗟に「違うよ」と返す。


「君には恐怖や絶望が無いのかなって」

「地球が滅亡したらするわ」

「大事過ぎない?」


「じゃあ、貴方が死んだら」


唐突に。

そういうことを言われると心臓が良い意味できゅっとなる。彼女が本心を言う前に照れ隠しで冗談を言う癖があるとは一年という長い付き合いで知ったことだ。つまり今のはそう言う事だ。内心喜んでる自分もなかなか単純だと思う。そこに、


Pppp


丸テーブルの上に置いておいた手のひらサイズの機械のアラームが鳴った。注文していた品が出来上がった合図だ。僕は二人分のメニューをカウンターで受け取るために席を立った。そして、ぶっ倒れた。

それはもう派手に。

前のめりに。

バタン、と。

薄れゆく視界では駆け寄った彼女が驚きで目を見開きながら必死な様子で何度も僕に呼びかけていた。

珍しい彼女の表情が見れてラッキー。

などと呑気なことを思いながら僕は目を閉じた。




すぐに病院に運ばれたらしい。

ひどい貧血だったらしい。

大量の輸血が行われたらしい。

僕は一晩中ベッドで眠っていたらしい。

彼女はその間ずっと傍に居たらしい。

医者から僕が“ヴァンパイア”であると聞かされたらしい。

彼女は怪訝な顔をした後、“ふーん”と呟いたらしい。

つまり。

僕が一年かけて吐いてきた嘘がどうやらバレたらしい。




「で?どうして今まで黙っていたのかしら」


一日経って病院から退院して家に戻ると早速机に座らされて、事情聴取を受ける被疑者のように事実の供述を求められた。一応病み上がりであるという事情は一切考慮されていない、絶対零度の視線と冷えた声が容赦なく突き刺してくる。こういうときの彼女に勝てる生物はこの世に存在しないので僕は大人しく口を開く。


「言う機会が特になかったから……」

「これだけ一緒にいて?」


首を小さく傾けた彼女。

疑問の形をとった言葉はそのじつ否定の言葉であってナイフの形をしていて刃先が僕の首元に向いている。


「勿論、私に正論を言われて頭に血が上ってしまった悲しく憐れな異界生物たちの暴力を私に代わって日々身体で受け止めている貴方がただの丈夫な人間じゃない事くらい察していたわ」

「そりゃそうか」

「でも。貴方が何者なのか、私は貴方の口からちゃんと訊きたかった」


寂しそうに眉を下げた彼女。

彼女の考えは尤もだな、と僕は心の中で同意する。


「ということでもう一回」


尋問が続く。


「なぜ黙っていたの?」


僕は覚悟を決めて言葉を紡いだ。


「他の女の人と会っていたことがバレると嫌われると思ったから、です」

「……は?」


ゴミを見る目と共に信じられないくらい底冷えした「は?」をいただいた。

不味い殺される説明しないと。


「あの僕は男のヴァンパイアなので異性である女の人の血が主食なのですが血を吸ったらその時に香水の香りとか絶対に移るから多分いつかバレるしそもそも君がいるのに女の人の血を吸うとか何か罪悪感がありまして、だから、はい」

「別に敬語じゃなくて良いわよ」

「はい!」

「……どうやって空腹を満たしていたの?」

「携帯食糧の血液パックと普通のご飯で」

「知ってる? 肉食動物は肉を食べて草食動物は草を食べるのが普通らしいわよ?」

「それは、はい」

「ヴァンパイアが血液パックで生きようとするのは人間がサプリメントだけで生きようとするようなものね、無謀だわ」

「仰る通りです……」

「それに、ヴァンパイアにとって人間の食べ物は生ゴミ以下の味がすると医者が言っていたわ。確か、私の作ったご飯も美味しいとか言って食べてたわよね」

「君との食事はプライスレス!みたいな……?」

「……」

「……ヴァンパイアジョーク」

「はぁー。呆れた。無理が祟ってこの様じゃ全然笑えないわよ」


彼女の憐みの視線は結構胸に刺さるものがある。

でも、嘘じゃないのだ。確かに血液パックでは血が足りなくて結果的に倒れたし人間の食べ物は形容し難い程に不味いけれども、味なんて、呼吸を止めて意識しないように咀嚼する行為に慣れれば感じなくなるし、彼女と一緒に取るに足らない会話をしながら食事をする時間は人生の中でもかなり気に入っているのだ。

だから嘘は言っていない。


「で? ヴァンパイアであることを黙っていた理由は?」


嘘は言って無くて、本当のことも言ってない。


「私が聞きたいのは吸血しない理由じゃなくて、ヴァンパイアであることを黙っていた理由よ」


やっぱり、彼女は逃がしてくれない。芯のある彼女は物事の本質を見逃さず口先だけでは誤魔化されてくれない。

彼女が机の上に身を乗り出して距離を詰めてくる。

彼女の顔が目の前に迫る。


「私が好きなのは貴方。嫌いなのは納得できない事」

「……」

「ねえ」

「……」

「どうして貴方はそんな無茶をしてまで隠していたの?」


白魚のように美しい片手がゆっくり伸びてきて僕の首を包み込むように手の平を当てられて、、


「答えないと殺すわよ???」

「!?!?!?!?!?」


脅されてしまった。

綺麗に切り揃えられた爪が首の皮膚に少し食い込んでいて瞳孔が開いていて彼女が本気である事は疑いようがない。恋人に首を絞められかけた経験のあるヴァンパイアがこの街に一体どれだけの数いるというのだろうか。質問に答えるのをはぐらかし続ければ真実を愛する毒舌で苛烈な美しい彼女に首を絞められるという素敵なイベントが発生するらしい。

彼女は有言実行の女。

故に僕は本当に殺される危険性があり、勝手に口が真実を吐き出し始める。


「君に、離れて欲しく無かったんだよ」


彼女の瞳が静寂と共に続きを促す。


「僕は今までに人間の女性と何人か付き合ってきた。でもみんな僕がヴァンパイアであると知ったら離れて行った。当然だよ。人間にとってのヴァンパイアの印象なんて人間の血を死ぬまで吸いつくす怪物だし、実際僕の同志たちは皆人間を食糧としか見ていないから、何人もの人間をカラカラの干物みたいになるまで吸血して路上に捨ててる」

「貴方は?」

「人間と共存を望む頭のおかしい変わり者」

「それで?」

「それで……」

「私も他の女どもみたいに貴方の元から離れると思っていたから黙っていたの?」

「お恥ずかしながら」


半笑いを浮かべて冗談めかしてそう締めくくった。

ヘラヘラしてはいるけれどもこれは僕の一世一代の告白だ。偽りざる本心だ。カッコいい彼女の前で格好つけるのは無理だとしてもせめて情けない姿を見せたくなかった。無論そんな見栄を張る事さえ彼女の前では許されなかったわけだけれど、、

さて。

自白を終えた僕。束の間の静寂。緊張しながら判決を待つ僕。彼女の笑い声。

……笑い声?


「くくくっっ」

「あの」

「くくくくくくくっっっっ」

「えっと」

「くはははははははははははははははっっっっっ」


彼女は堪えきれないと言った様子で両手で腹を抱えて笑った。凛とした表情が常の彼女がここまで表情を崩して笑うのは珍しく、その滅多に見れないあどけない姿に困惑と萌えを覚える。当然萌えの方がずっと大きい! けど訊かない訳にはいかない。


「僕そんな面白いこと言った?」

「ええ、最高よ。貴方がそんなくだらないことで悩んでたとは思いもしなかったわ」

「えぇ……」


訂正。こいつ悪魔だ。


「僕にとっては相当衝撃的なカミングアウトだったんだけど」

「も、もう勘弁して。これ以上は腹がよじれて内臓を吐き出しながらグロイ死に方をしてしまうわ」

「グロすぎるだろ!」


悪魔というかナマコというか。

彼女は椅子に座り直して「ふうー」と大きく息を吐き一旦落ち着くと、表情を戻した。


「全く。全く持って杞憂よ。貴方のその悩み」


ズバリと切り捨てた彼女の真っ直ぐな視線が僕の瞳を射抜く。


「私は貴方がたとえ、人間に擬態しているタコであろうと悪魔の召使であろうと竜の性奴隷だろうと魂だけ入れられた泥人形だろうと変わらず愛するわよ。如何なるものであっても貴方が貴方である限り、ね。勿論、ヴァンパイアであってもそれは同じ」


少しの静寂は彼女の言葉が僕の身体に沁み込む時間でもある。嫌な経験ばかりがあるから綺麗事を言うなという台詞が一瞬頭に思い浮かぶが彼女は綺麗事を言わないのを長い付き合いで知っているので言う必要はない。疑う必要もない。彼女の言葉は無条件に信じるに値する。それにしても、一年近く悩んできた悩みが彼女の一言で解消されてしまったのだから我ながら単純である。

気付けば彼女は椅子から立ち上がり僕の傍に立っていて、上半身を折って僕の顔を覗き込み、僕の目元の涙を親指の腹で拭った。


「泣き虫」


至近距離で呟かれて気付いた。

いつの間にか泣いていた。

どうやら僕は自分が思っているよりもずっと彼女が自分の元を去らないか不安に感じて

いたらしく、それが否定されたことですっかり安堵してしまっていたらしい。

抑揚のない彼女の声が僕を煽る。


「雑魚ヴァンパイア」

「いやぁ」

「ざーこざーこ」

「へへへっっ」


手を頭の後ろに回し、また情けない所を見せてしまいましたなぁ、などと冗談めかして続くはずだった言葉はしかし彼女の唇に遮られた。僕の両頬に手を添えて上から顔に覆いかぶさるようにして彼女が僕の唇を奪った。

しかも深いやつだった。

舌が口内に入り込んできて絡まされてなぞられる。僕に出来る事と言えば、水気のある淫らな音を響かせ、抵抗赦されず一方的に蹂躙されることくらいであった。彼女が満足して顔を上げる頃には僕はすっかり息を荒げてのぼせてしまっていた。彼女が口元の涎を腕で拭いながら何故か勝ち誇った顔で僕を見下ろしている。


「はぁ……はぁ……随分と急じゃない??」

「単純に貴方の涙目がそそったのと、不安だったとはいえ他の玉無し根性無しの雌共と同じだと思われたのが癪だったから襲ってやったわ」

「玉は元から無いんだよなぁ……」

「私の愛は貴方に近寄って来た他の女共が相手にならないくらい深いことが伝わったかしら」

「それはもう身に染みて」

「良かった」


“それと”と彼女が言葉を続ける。


「ついでに言うけれど、私の知らないところで一人で抱えこんで勝手に悩んで無茶するのも辞めて頂戴。正直不快だわ」

「悩むのは僕だけなのに?」

「信頼されてないみたいじゃない」

「なるほど」

「信頼してるから信頼しなさい」

「でも君の悩みとか聞いた事無い気がするけど」

「人生で悩んだことが無いもの」

「無敵かよ」


人間はヴァンパイアの事を怪物と称するかもしれないけれど僕からすれば人間の彼女の方がよほど怪物な気がする。


「わかった?」

「わかった」


これで僕が今後悩みを抱えることは不可能になってしまった。唯一の懸念点があるとすれば僕の悩みを聞いた彼女があらゆる手段を投じて解決を図り、かえって悩みが増えることになりそうな事だが、それはまたその時だ。などと考えていたその時だ。


「それじゃあ、今まで我慢してきた貴方にご褒美を上げるわ」


彼女はそう言っておもむろに服を脱ぎ始めた。シャツもズボンも脱いであっという間に黒い下着姿になり白い肢体の美しいプロモーションが惜しげもなく目の前に晒される。僕はただ困惑して目を白黒させている。


「……どういう?」

「どういうって、したかったのでしょ?吸血」


彼女はテーブルの向かいにあった椅子を僕の隣まで引っ張ってきて、僕と向かい合うようにして座った。両腕を広げる。


「ほら。吸いたいのでしょ?どこでも吸っていいわよ?」


視界に映る彼女の無防備な白い滑らかな素肌。

細い首。浮き出た鎖骨。柔らかそうな二の腕。

彼女の刺激的な姿にヴァンパイアとしての本能が顔を出し始める。


「そんなに目を血走らせて鼻息も荒くして涎も垂らして。獲物を前にした獣そのものじゃない」

「ごめん、抑えられ無くて」

「良かった。ずっと手を出してこないから私の身体に興味が無いものと思ってたわ」

「まさか!むしろ美味しそう過ぎるから!あ、いや、違くて……」

「いいわよ。貴方に食べられてあげる」


彼女は蠱惑的な笑みを浮かべると呟いた。


「召し上がれ」


糸の切れた瞬間だった。僕は本能のままに彼女に飛びついてそのしなやかな首元にかぶりついた。柔らかな肌を貫いて八重歯を沈める。


「んんっ……♡ んはぁっっ……♡ ふぅっ……♡」


彼女が吐息混じりの甘い声を漏らし始めた。見ればその表情は蕩け恍惚とした笑みを浮かべている。エロい。


「私ってドMだったのかしら……身体が気持ちよくなってる……」


呟く彼女。

殺さないように吸い過ぎないように気を付けながら僕はちゅるちゅる血を吸う。待ちわびた血の味に心が歓喜し多幸感に満たされる。


「貴方に血を吸われて生死を握られる感覚も、貴方に血を与えて生かしてあげる感覚も、身体に走る快感も堪らないわ……」


ちゅるちゅる。


「こんなの……こんなの……」


セックスと変わらないじゃない♡


熱の籠った声で彼女がそう言った。

ご名答。

全くその通り。

吸血と性行為に大差はない。

蚊は吸血する際に麻痺成分を傷口から浸透させるがヴァンパイアは快楽成分を直接ぶち込む。それは甘美な刺激となりやがて人間の思考をぐちゃぐちゃに溶かすほどの甘い蜜となる。おまけに吸血を許す事は究極の自己犠牲でありパートナーに奉仕する最大限の行いと呼べる。ヴァンパイアにとってもそれは近しく、美味すぎる血の味は快楽をもたらし下半身さえも昂らせ、相手の命を握る感覚は形容し難いほどに魅力的である。

肉体的にも精神的にも互いに満たされる。

これをセックスと呼ばず何と呼ぶだろうか。

少なくとも僕は知らない。

一旦彼女の首元から口を離せば彼女はとっくに下着を脱ぎ捨てて一糸纏わぬ姿になっていて、僕もやっぱり服を脱いで全裸になっている。

本能に支配された獣に服は必要ない。


「ほら。もっと私を食べて」


彼女が両腕と両脚を広げて僕を誘った。

僕は、本能に従った。

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