執事に愛される
祝いの日。沢山の出店が通り沿いにずらりと並び、人々の喧騒で賑わっているとある街。隣町に住む若い貴族の青年とその従者である背の高い獣人の女性も、この人混みの中に混じっていた。
息抜きだった。
貴族のお務めは息が詰まる。ほとんど書斎に籠りきりで山のような書類に目を通す必要があるし、沢山の人と会合しては小難しい取り決めをしたり議論したりする。酷くストレスが溜まる。だから信頼できる使用人を連れてこっそり屋敷を抜け出し、息抜きをするためにこの街へとやってきたのだ。
青年は獣人の彼女にぴったりと寄り添われる形で通りを歩いていく。道沿いには色々な種類の店が並んでいた。彼は興味の赴くままに店に寄る。
シルバーボアの肉を食べ、不死鳥の羽根などを使った小物を物色し、スライムを使った大道芸を見た。
興味は尽きることなく、彼は存分にこの祭りを満喫していた。
が、
ふと、立ち止まる。
ある男が、人混みに紛れて通行人の後ろポケットに入っていた財布を盗んだ。
その瞬間を、見たのである。
しかも周りは誰も気付いていないようだった。青年は持ち前の正義感で取り返しに行こうとした。彼は幼いころからそうだった。元々は奴隷として道端で売られていた獣人の彼女を見た時も、迷うことなくすぐに購入を決めた。己の正義には素直に従う性格だった。その心に則って犯人に迫ろうとする。
だが、使用人である彼女が腕を伸ばし彼を制止させた。
主人に危険が及ぶ可能性を見過ごすわけにはいかなかった。だが青年が悪を見逃せない性格な事も知っている。
そこで彼女は代わりに「お任せください」と言うと、今こちらの方向に向かって歩いてきている犯人に近づいていき、すれ違いざまに犯人と同じ手法でポケットに入っている犯人の盗んだ財布を鮮やかに抜き取り、本人には全くバレずに取り返してみせた。
見事な手腕。青年も思わず「すごい……」と呟く。
彼女はそのままフードを被った格好をしている被害者の肩を後ろから叩き、財布を差し出した。俯いていた被害者は財布を受け取り、お礼を言いながら顔を上げたが、彼女の顔を見るとその言葉は途中で言い淀んだ。
一瞬妙な間が生まれた。
しかしそんな些細なことは気にも留めず、やがて彼女は踵を返すと青年の元へ帰ろうとする。主人の傍を離れる時間は少しでも短くしたい。
しかし、
「待った」
その背中に声が掛かった。当然声の主は被害者だ。もう用は済んでいるというのに。
彼女は立ち止まり警戒するように振り返る。
「何か用ですか」
「……好きだ」
「……は?」
突然の告白であった。
彼女は困惑する。告白される理由が分からず、聞き間違いかとも思った。
しかし彼は何を勘違いしたか「失礼、自己紹介がまだだったね」と言い、おもむろにフードを脱いだ。
現れたのは金髪のイケメンな男。
「私はギルダース。この国の王子だ」
途端に周りはざわめき、一定の距離を開けて円を描くように人だかりができた。その現状が彼の言葉が真実であることの証明になっていた。だが主人に仕える身の彼女にとって隣国の王子だとかそんなことはどうでもいい。
「……で」
「私はこっそり街に繰り出し自分の妃になる女を探していた。そして君を見た時に身体に電流が走った。財布を届けてくれる優しい心、そのクールで美人な顔。君しかいない。どうか、私の妻になってくれ」
突然の求婚。王子はそうして膝をつき、ポケットから箱を取り出し、なんと指輪まで差し出してきた。周りは歓喜の悲鳴を上げる。彼女はそれを見て眉を寄せた不快そうな表情になると、横に立つ主人を見た。青年は肯定するように笑顔で頷いた。
しかし。
彼女はそれを見るとため息を吐いて男の方に振り返り、はっきりと断言した。
「お断りさせていただきます」
その瞬間歓声がぴたりとやんだ。青年も意外そうな表情をした。顔を上げた王子は口を開けてぽかんとした。
時が一瞬止まっていた。
やがてゆっくりと立ち上がった王子はぎこちなく笑いながら口を開く。
「そうかそうか。分かったぞ。突然の告白で驚いてしまったんだねぇ無理もない。それなら、正しい判断が出来るよう一旦返事は保留という形にしておこう。そして、また明日、城の方に来てくれたまえ。そこで改めて君の返事を訊かせてくれ。明日まで、じっくり、考えてくれ」
そう一方的に言うと
「さらばだ」
と言い残して振り返り、ボディーガードと共に、自らの城の方へと歩いて行ってしまった。彼女は嫌そうな顔でその背中を見つめ、もう一度ため息を吐いた。
宿屋の一室。青年はベッドに仰向けになって天井を見つめ、使用人の女性は鞄の中身を床に広げ荷物の点検をしていた。
二人は同部屋である。その方が寝込みを襲われても対処しやすい。
ランプの橙色の明かりが部屋を照らし、ゆったりとした時間が流れている。青年が口を開いた。
「なんで断ったんだ?」
「私は貴方様に仕える身ですから」
「そっか……。でも、全然僕の事とか使用人である事とか、気にする必要は無いよ」
「……私は居なくなっても構わない、ということですか」
「まさか。君が居なくなったらとっても悲しいよ。僕が小さなころからずっと側にいてくれたし、歳も近いし、使用人さんの中でも君はとっても仲の良い友達って感じがする」
「ではなぜ引き止めないのですか」
「君には幸せになってほしいから」
「……」
彼は「よっ」と声を声を漏らしベッドの上で体を起こし、彼女の方に向いて座った。
「僕は出来るだけ多くの人間を幸せにしたいと思っている」
「存じています」
「それには当然君も含まれる。貴族である僕に仕える身分よりも、王の妃になった方が生活はずっと豊かで幸せになれると思う。だから寂しい気持ちはあるけど、君があの王子の所にいくのを止めたりはしない」
「つまり、私が幸せになる道を望むということですね」
「そう。君が幸せならそれが一番良い」
「……そうですか」
彼女は納得したように呟いた。
広大な空間、両の壁際に控える甲冑を着た大量の騎士、床に敷かれいる紅色のカーペット、そしてその先には王族のみが座る事の許される豪華な装飾の施された玉座。
王の間。
一般人は入ることが決して許されない格式高いこの場所に、二人は並んで立っていた。二人が見つめる先には、玉座に座る王子が居る。
微笑を浮かべる王子は女を見つめて口を開いた。
「では改めて訊こう。私の妻にならないか?」
空気が一気に張り詰める。目の前の王子も周囲の傭兵も隣の青年も、誰もが女の言葉を待った。この国の歴史にまた新たな人物の名前が刻まれる決定定期瞬間かもしれなかった。青年は大切な使用人を失う瞬間かもしれなかった。
その場に居る全員が注目していた。
そうして。
彼女が選んだ回答は、
チュッ。
青年の唇に自分の唇を重ねる事だった。
「……なっ!?」
「私の心はこの方のモノなので無理です」
王子は目を見開いたまま驚いた。当然である。王子からの求婚を断る人間が居るとは本人もよもや思っていなかった。先日の彼女は返事を間違えただけだと、信じて疑っていなかったのだ。
そして驚いたのは青年も同じ。「え、あ……」と吐息のような言葉を漏らしながら状況が呑み込めず困惑している。
「え、あの、これって」
「貴方様が好き、ということです」
「……そっか」
「はい。昨日、貴方様は私が幸せならそれが一番良いと仰いましたね。私は貴方様が好きなので貴方様の傍にいる事が一番幸せです」
「それは、気付かなかったな……」
「貴方様に買われて抱きしめて頂いたその日から、貴方様の傍で過ごしてきたこれまで、ずっとお慕い申し上げてきました」
「そんなにも長い間?」
「ええ。ずっと」
青年は知らなかった。彼女がそんな感情を抱いていたことに。普段はクールで多くを語らない彼女であるが、今の彼女の口から語られる恋慕は何よりも熱いものだった。彼はそんな彼女の想いに言葉で返そうとするが
「いちゃつくのはそこまでにしてもらおうか」
と王子の言葉で中断された。今まで余裕を見せていた王子の表情には明確な怒りが浮かんでいた。庶民に告白を断られたことでプライドが傷ついたのだろう。彼は面目を保つためにも強引な手段に打って出る。
「その女を捕まえろ。男の方は無視して構わん。頷くまで城に閉じ込めてやる!」
傭兵たちを二人に仕向けた。
王子の言葉を合図に傭兵たちは一気に槍を向けた。数は約20人ほどで数の上では圧倒的な不利に違いなかった。しかし彼女は人間よりも身体能力が段違いに高い獣人である。そしてなにより青年を守りたいという意思の強さがある。
彼女は床を蹴ると風のように駆け出した。
数の優劣など関係ない。
下から兵士を蹴り上げ、突かれる槍を飄々と躱し、甲冑ごと殴り飛ばして壁にめり込ませる。
無双。
その言葉がふさわしいほどに次々に兵士を気絶させ、気付けば兵士は漏れなく全員くたばってしまった。
立っていたのは彼女のみであった。
「おい、お前ら! 何を横になっている! 早く立て!」
王子の言葉も意味を為さない。既に勝敗は決まっていた。
「それでは、失礼いたしますね」
彼女はそう言い残すと、青年をお姫様抱っこし、駆け出した。
「待てっ! 待て!」
王座の扉を蹴破るまで背後から惨めな王子の声がしていたが、やがてはそれも聞こえなくなった。
二人は国を出た。
二人は平原にある丁度いい高さの岩の上に座って休憩していた。追手は来ていなかった。
「私のせいで危険な目に合わせてしまい申し訳ございません」
「いや。そんなこと気にしなくていいよ」
二人の間を爽やかな風が流れていく。
「そういえば、なんだけどさ」
「はい」
「さっきの、君の。告白の返事」
「……はい」
「実は僕も君の事が……んっ!?」
彼女は青年が最後まで言葉を言い切る前にその唇に人差し指を当てて遮った。
「その続きは止めておきましょう。私は使用人で貴方様は主人です。その関係を壊してはなりません」
「でも」
「それに。貴方様の身分に見合った高貴なるお方を妻に迎えることが貴族である貴方様にとって何より大切な事です。お分かりですね」
「……」
彼女の表情は悲しげだったがその言葉は真剣そのものだった。
彼女も苦しんでいる。
そんな彼女を見たら、これ以上の反論は出来ようもなかった。
「……ごめん」
「謝る必要なんてありませんよ。何も悪い事はしていないのですから」
「うん」
「……ただ、そうですね。一つお願いしたいことがあります」
「なに? 何でも言って」
「人ばかりでなくご自身の幸せも求めてください」
「それって言うのは……」
「貴方様が私の幸せを願うように私は貴方様の幸せを願っています。だから貴方様が幸せになれば私もまた幸せになれます」
「分かった。君の為にも、努力するよ」
「お願いします」
それで会話は終わった。
冷たい風が吹く。
青年は、風に煽られてさらさらと揺れる彼女の髪の毛が、とても綺麗だと思った。
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