この教室には玉葱が足りていない!
夢泉 創字
1章:鬼と玉ねぎ
1玉目! 殺人鬼息子
2010年7月12日20:00。
『日本の皆様、こんばんわ。新月の美しい、良い夜ですね』
その日、動画投稿サイトに1つの動画がアップロードされた。
『そう、とても素晴らしい夜です。暗くて、静かで、不吉で――』
男は語る。凪いだ表情で静かに。
『——犯罪をするには最適な日ですよね』
片手にチェーンソーを抱えながら。
『さて。前置きが長くては退屈でしょうから、単刀直入に言いましょう』
配信者の名前は“AOI”。
『私は今から殺人を行います』
タイトルは『公開殺人SHOW』。
これが全ての始まり。
“AOI事件”と呼ばれた残酷な事件。それは、10年の時を経て元号すら変わろうとも、平成の大事件として語り継がれ、人々の記憶に残り続けている。
◆◆◆
小学1年生の夏。7才の誕生日の日。
父親が死んだ。
人を殺して、死んだ。
——
以来、10年。普通の子供として過ごせた7年間よりも長く、殺人鬼の息子として生きてきた。
「ねぇ、あれって……」
「そう、例の……」
「殺人鬼ってマジなの……」
ヒソヒソと声が聞こえる。
純粋な恐怖から発している奴は少ない。
“殺人鬼の息子”を恐れているのならば、間違っても聞こえるような声で噂したりしない。
奴らにとっての俺は、見世物小屋で笑いものになる家畜や奴隷と同じ。
己の加虐心を満たすための玩具。自分たちはアレとは異なるという確認行為。退屈な日常に色を添える珍しい“
——少なくとも、綺麗な感情に起因する代物で無い事だけは明らかだった。
10年間も連れ添って流石に慣れたが、相も変わらず俺はこの声が嫌いだった。
「よぉ、葵! おはよう!」
「……おはようございます。
「毎朝恒例、持ち物検査だ。学校に関係ないモノ持って来てたりしないよなー?」
気さくなベテラン体育教師による手荷物検査。ありふれた光景に見えるけれど、実態は“殺人鬼の息子が凶器を学校に持ち込む”という事態を防ぐためであると俺は知っている。
証拠に、真横を生徒たちが通過して行く。彼らは手荷物検査など受けることなく、そのまま昇降口へと向かう。
百歩譲ってランダムな生徒への手荷物検査なのだとしても、俺が毎朝欠かさずチェックされる説明にはならない。
要するに、全ては建前。フレンドリーな会話も俺を刺激して事件に発展させないための演技。全部全部嘘っぱちだ。
「よっし、異常なしだな! 今日も一日頑張れよ!」
「……はい」
検閲をクリアし、昇降口へ向かう。
ただ、それだけの行為なのに。
「10年前の事件だろ?」
「ねぇ知ってる? その時殺されたのって……」
「うっそ、それマジ!?」
生徒の数が増えれば、あの嫌いな声も増える。
――煩い。
煩い煩い煩い煩い煩い!
「……クソったれ」
いっそのこと、耳を塞いで速足で駆け抜けてしまいたい。そうしてしまえば、どんなに楽になれるだろう。
——それでも。その道を俺は選ばない。
それは“敗北”なのだ。何に対する敗北なのか、勝利する事で何が得られるのか、問われても明確な答えを返せるわけでは無い。その程度の漠然とした代物だ。
勝利条件が……いや、そもそも“勝利”が存在するのかどうかさえ怪しい。
けれど、敗北条件だけはハッキリしている。
俺自身が自らを罪人と認めてしまった時、俺は敗北する。
絶え間なく無遠慮に投げつけられる罪の烙印。これを受け入れてしまった時、ナニカが失われる。それはきっと、とてもとても大切で、一度失ったら二度と取り戻せない類のモノなのだ。
◆◆◆
昇降口にある下駄箱の戸を開ければ、中には上履きと一通の手紙が入っていた。
「……またか」
迷わず開封するのは、ただの確認作業だ。
まかり間違っても、ラブレターかもしれないなんて馬鹿げた期待を抱いているからではない。……そも、俺みたいな奴に恋をする酔狂な人物がいるわけもなし。
書いてある内容は、ただ一言。
『 死ね 』
地味で幼稚。陰湿な嫌がらせだ。
ただ、こんなモノでも、毎日続けられると心が擦り減っていく。自分が他者から嫌われているのだと、避けられない現実を突きつけられている気分になる。
「……満足かよ、
「私が満足するとしたら、それは血脇、アンタが死んでくれた時よ」
応えたのは黒髪の少女。
肩より少し上まで伸びつつ、毛先が綺麗に揃えられたおかっぱ頭——確か、正式にはワンレンボブと言うのだったか――の少女は、鋭い目つきで俺を睨みつけている。
親の仇を見るような目……とは良く使われる比喩だが、俺と彼女の場合は比喩でも何でもない。
「そうか、それじゃあ80年くらい待ってくれ。葬式の招待状はちゃんと送る」
「……っ! ふざけないでっ!」
同じクラスの静黒
彼女は俺の父が殺した女性の娘。俺を恨み、このように毎日嫌がらせをしてきている。
学校中に“俺が殺人犯の息子である”と喧伝したのも彼女だったりする。
「ふざけてんのはどっちだ。……何度でも言ってやる。俺に罪なんてない。俺は絶対に謝らないし、お前がやっている事はただの八つ当たりだ」
「うるさい黙れ! アンタがのうのうと生きている。それだけで十分な罪でしょ!? アンタが居るから私は……! 私は……!」
叫ぶだけ叫んで、そのまま走り去っていく。
相変わらず、ヒステリックでクレイジーな女だと思う。尤も、そのように変えてしまったのは父親なのだろうけれど。
——大好きな母親を目の前で無惨にも殺された。仲の良かった友達の父親に。
当時7歳の少女がそんな経験をして、マトモでいられる筈もない。
同情はする。可哀そうだと思うし、何か俺に出来ることがあれば大抵の事は協力するだろう。
それでも。申し訳ない、と——それだけは決して思わない。
その罪は俺のモノではないのだから。
父の罪は父のモノ。理性的に考えれば当たり前のことだ。罰、責任、後悔、贖罪……罪に伴って生ずる全ては、罪人が背負う業。少なくとも、俺は絶対に父の罪を背負って生きたりしない。
けれど、その罪人である父は死んでしまった。夏音の母を殺した後、警察官に拳銃で撃たれて。……何故そんな凶行に走ったのか、全てを謎のままに。
事件から10年経った今も真相は闇の中。あの優しかった父が、あの優しかった女性を殺害した理由を知る者は誰も居ない。
だから、なのだろう。
静黒 夏音の抱える暗い感情は、向ける矛先を永遠に見失っている。疑問、怒り、悲しみ、そして復讐心。本来、父に向ければ良いだけだった全ての感情が、吐き出されずに停滞し、淀み、彼女を苦しめ続けている。
結果、彼女は息子である俺へと、その矛先を向けた。
小学校、中学校、そして高校。いつだって俺が殺人鬼の息子であることは彼女によって広められてきた。先程の手紙のような嫌がらせも数えるのが馬鹿らしくなる程に受けてきた。
ただ、全ては嫌がらせの範疇に留まっている。彼女が直接的に俺を殺害しようとしてきたことは無い。
推測に過ぎないけれど、彼女は矛先が間違っている事を正しく理解している。してしまっている。
だから、いつまでたっても彼女の心が晴れることは無い。
彼女の時間は10年前で止まってしまっているのだろう。
……それはきっと俺も同じで。
少年と少女は、あの夏の日から一歩も進めずにいる。
その一歩は決して踏み出されることは無く、俺と彼女の間に救いが訪れる事は生涯ありえない———
◆◆◆
———そう、思っていた。
「私は
高校2年の春。
雪解けを運ぶ、暖かな春の風のような少女と出逢うまでは。
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