2. 一方、現実世界では

 カタカタカタと赤軸キーボードが叩かれる音が、書類やファイルや、机の上に最低二枚は設置されたディスプレイで非常にゴミゴミとした室内に響く。仕事中にも関わらずヘッドホンをしている者もいるが、ここはそういう緩い勤務態度が許されている場である。というか辺り一面から響き渡るキーボードの音のせいでまともに思考するには耳栓かヘッドホンか或いは怒鳴り散らかしながら別の部屋に移動するかの対応を取らないとやっていられないというのが実情である。

「うーん……?」

 そんな喧騒の最中、俺、しがないプログラマーの三島裕二は、目の前のモニターに広がる光景に頭を抱えながら唸った。

 モニターの中では、隕石が落下して世界が滅亡したバッドエンドシーンが広がっている。

「なんでこうなるんだ?」

 もう一枚のディスプレイに表示されているデバッグ用資料を見てみる。いつ見ても、まだフラグも立てるようなタイミングではない。ゲーム開始直後のはずだ。なのに、いきなり世界が滅亡してゲームオーバーと表示される。

 どんなバグを作り込めばこんな挙動が発生するのだろうか。

 それにそもそも、こんなルートは設計されていない。こんな隕石落下による世界滅亡なんてルートは無いはずなのだ。

「んー、なんかの残データでも読み込んでるのか?」

 俺は呟きながら、このペーパーレスの時代に逆行するように印刷しておいた資料――『グッド・プリンセス・フォーエヴァー』という恋愛ゲームの設計書――を一から目を通す事にする。

 いつ聞いてもダサい名前だと思うが、しかし決まったのだから文句は言わない。そもそも、俺は所詮プログラマー、そこまで口を出す権限は無い。


 このゲームは簡単に言えば女性向けオープンワールド恋愛ゲームである。

 デボラ・シルベリアというキャラを操作して、各キャラクターを攻略、つまり恋人同士になるゲームである。オープンワールドを駆使した高い自由度と王道の恋愛シミュレーションが融合した、遊びごたえのあるゲームを目指して開発が進行していた。かつディレクターの意向でかなり無茶な新機軸の機能も実装されている。恋愛シミュレーションにオープンワールドという時点でその片鱗が見えるというものだろう。

 今設計・動作確認を進めていたのはシグニ・スマニースという王子キャラ。最も王道となるルートのキャラクターである。ゲーム開始時点からシグニからの評価は高く、突然デボラが告白されるところから彼を攻略するルートは開始される。

 しかし、その開始して2ターン、ゲーム中の日数にして2日経過するとその時点でゲームオーバーになってしまうのが現状である。

「どうなってる?」

 隣で同じくデバッグ中の後輩、堀山梨花に尋ねる。

「ウチもおんなじ状態です」

 マスターロムは同様である以上当然とは言える。そういう意味では、特定ROMのみのバグというわけではないらしい。気休めにもならないが、こういった原因の絞り込みは重要である。

「何が悪さしてるんだろうな」

 梨花は両手を肩のところで手のひらを上にした。

「皆目検討も付きません。大体、これややこしすぎるんですよ」

 ソースコードを見ながら梨花は悪態を吐く。

「NPCに自己判断用のAIを組み込んだせいで、ソースコードだけだと追えなくなってます。AIの学習内容に依るものかもしれませんし」

「だよなぁ」

 見る範囲が多すぎる。こんな、解答がある程度決まっているべき恋愛シミュレーションゲームに、なんでオープンワールドにして、なんでAIを組み込もうなんて考えたのか。一言で言えばプロデューサーとディレクターの独断である。「今の時代、AI搭載型とか言えば売れるし、ゲームキャラの反応が自由に変わって面白くなるだろう」「オープンワールドにして各キャラクターの生活が見られればより愛着が湧くだろう」とプロデューサーがそう言い出し、ディレクターは礼賛した。勿論梨花も俺も反対はした。しかし、権力者というのは権力があるから権力者なのである。トートロジー。我々の意見なぞ一蹴され、仕様として追加された。

「ムリナに聞いてみるか」

 ムリナというのは、オープンワールドの初期設計とAIを任され、更にシナリオ担当をも兼任している向原理那の事である。何でも出来る、何でもやるがモットーのフリーのSEで、実際何でも出来る万能の天才。「無理」と答えることが無く、「無理」だったことも無い、だから無理那=ムリナと呼ばれている。そんな彼女はその愛称の通り、無茶振りのような仕様をサラリと実装してしまった。流石にAIの学習に関しては時間が必要ではあるので、細かなセリフはともかく、最低限のシナリオ進行をデバッグしようということになったわけだが、この有様では全く何も出来やしない。

「……そういやムリナはどこだ?」

「彼女はまだ出社してませんよ、いつも通り」

「遅刻だけがアイツの欠点だな」

「歩きながらでないと考えをまとめられないらしいですから。天才というのはわからんもんです」

「だなぁ」

 相槌を打ちながら俺はもう一度リセットする。

 AIが原因だとすれば、ムリナが出社してからでないと手がつけられない。まずは自分で出来る範囲を調べてみるとしよう。

 俺はそう決めて、改めて最初からこのゲームをプレイすることにした。

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