話さなかった女

 産まれたばかりの男の子…辛い思いをして産んだ息子が私の腕の中で無邪気に笑っている。私を捨てた…あの男の子供…


 あの男は別れ際に口止め料と出切れ金として1500万を私に渡してきた。


 「これで養育費くらいにはなるだろ。後から俺の子供とか言われても面倒だ。2度と俺の前に現れるなよ」


 「………」


 堕胎が間に合わなくなってから別れを切り出された。彼を裏切ってこの男に抱かれ続けていた私にはこの男を責める資格は無い。


 「ねえ…なんで…私に声をかけたの?」


 「別に。彼氏と仲が良さそうだったからどんなもんか試したかっただけだ」


 この男が私を強引に誘わなければ…私はきっと彼と仲の良いままでいられたのに…この男との関係を隠し続ける罪悪感に耐えきれず彼とは別れた。理由を教えて欲しいと言ってきた彼に…私は他に好きな人が出来たと答えた。愛情なんてない…ただ…快楽に流されただけだ…


 父親があんな男でも自分の子供だ。愛情はある。お金もしばらくは保つだろう。私は大学を辞めて両親には頼らずにこの子を育てる事を決めた。

 幸いなのかはわからないけど…出産してから性欲が全く無くなってしまった。だから息子の事だけを考える事ができた。


 15年後…息子は順調に成長している。あの男からの出切れ金だけではいずれ生活できなくなると思った私は息子が幼稚園に通い出してからパートに出ていた。中学生になってからは事務員として働いている。

 息子は…いつの間にか私に反抗的になっていた。年齢的な物もあると思う。1番の原因は家庭環境だとは思うけど…


 「おい。金くれよ」


 「先週も渡したじゃない…」


 「ガキじゃねぇんだ。5000円なんてすぐになくなるっての」


 息子は成長するにつれ、あの男の持っていた雰囲気にそっくりになってしまった。顔はあまり似てないけど。これが血筋だとでもいうのだろうか…

 溜息を吐きながらお金を出すと息子は私からひったくるように持っていってしまった。

 …息子に父親についての事を秘密にしている私には…息子に対して強く言う事ができなかった。



 4年後…息子は大学生になっている。手切れ金はもうほとんど残ってない。息子が大学を出るまでは頑張らないと…

 電車で仲の良い家族を見る度に…羨ましいと思うようになった。私の人生って何だったんだろう…あの時に間違えなければ…あんな風に家族で仲良く過ごせたのだろうか…



 大学3年の息子から連絡が入った。会わせたい人がいると…最近、息子はようやく落ち着いてきたみたいだ。あまり馬鹿な事はやらなくなった。自分でバイトもしてるし…


 「コイツと結婚したいと思ってるんだ」


 「はじめまして。〇〇と言います」


 息子から女の子を紹介された。同じ大学の後輩らしい。とても優しそうな雰囲気を纏っている。…〇〇?あの男と同じ名字だけど…どこにでもある名前だ。偶然だろう。

 私は気にせずに2人を祝福する事にした。この時に気付いていれば…いや、この時には既に手遅れだったのだろう…




 3年後…息子と彼女は結婚をすると彼女の両親に挨拶を済ませてきたらしい。今日は私と彼女の両親の初めての顔合わせの日…彼女の父親はどこかの社長らしいので失礼の無いようにしなきゃ…


 待ち合わせ場所の料亭に行くと彼女の母親だけ来ていた。


 「夫は少し遅れるそうです」


 「そうですか」


 「そんなに固くならないで下さい。私は女手1つで息子さんをこんなに立派に育てた貴女と是非お会いしたいと思ってました」


 「…ありがとうございます」


 彼女の母親は少し世間知らず…まるで箱入りのお嬢さんのようだった。

 彼女の父親が来るまで食事をしながら話しをしたけど、悪い人ではない。むしろ良い人すぎて心配してしまうくらいだ。


 「夫は反対していたんですけどね…好き合う2人を引き裂く権利なんて親には無いと思うんです。祝福してあげるのが親の務めだと思いませんか?」


 「そうですね」


 彼女の母親が結婚に賛成しているのはよくわかった。わかったから少し落ち着いてほしい…

 そんな事を考えていると彼女の父親が来たようだ。部屋の襖を開けて中に入ってきたのは…あの男だった…


 「………」


 「………」


 彼女の父親が…あの男…?待って…じゃあ…息子と彼女は…


 「なんて事…」


 「お前…」


 同時に事情を把握した私達は絶望するしかなかった…あの男が息子を認知していれば…私が息子に父親の事を話していれば…

 後悔しかない。本当に…


 私とあの男の様子がおかしい事に気付いたのだろう…息子が私に聞いてきた。


 「母さん…どうしたんだ?」


 この場で話すべき事じゃない…いや、隠していてもいずれ…


 「…この人…貴方の父親なの…」


 「おい!」


 「……え?」


 「貴方と…貴方の彼女は…異母兄妹なのよ…」


 私の言葉で…全てが崩壊した。彼女の母親は鬼の形相であの男に詰め寄り…彼女は泣き叫び…息子は暴れ狂った。

 料亭に警察がくるまで…息子は私とあの男を殴り続けた…


 あの後…私は数カ所の骨折で入院した。勤め先の上司くらいしか見舞いにこなかったけど、警察からの事情聴取は何回かあった。その時に息子が捕まった事を知らされた。


 息子は懲役2年6ヶ月…出所してきても私と会う事は無い気がする。私から面会に行っても会ってくれなかった…


 彼女は息子との子供を宿していたと後から聞いた。堕胎したそうだけど…心を病んでしまったと聞いている。


 彼女の母親は離婚したそうだ。彼女を連れて実家に帰ったとか。私に対して慰謝料の請求はなかったが、接触禁止の誓約書を書かされた。


 あの男は…最大の取引先であった奥さんの実家との取引が無くなり、会社の経営が傾いたらしい。私に対しては何も言ってこない。


 …私とあの男の関係がこんな悲劇を生んでしまった…息子と彼女と奥さんにはどんなに詫びても許されない事をした…

 本当に…私の人生って何だったんだろう…

 そう思いながらも…私は今日を生きている…

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