第12話 臥待月が陰る夜
俺たち三人が見習いだったころ。まだシルヴァ・コンツェルンの下で見習いとして学んでいたころの話だ。
シルヴァ先生はハルシオンの中でも随一のエクソシストと評されるほど偉大な人物だった。
俺たちカプリチオは10歳から先生の下で学び合った。学んできた。本来なら俺たちのような悪魔災害にあった孤児たちによる孤児はハルシオンが開いたエクソシスト養成学校「ペルーチェ」で基礎を叩き込まれた後、エクソシストの元へ見習いとして弟子入りさせられる。だが俺たちはちょっと特殊だった。
「見て見てシルヴァ先生!また炎の出力が上がったよ!」
「バカ飛び火させんな!おいおい、おまえは出力しか上げられねえのか?制御を覚えろよ、学べよライカさん」
「……」
「ハハハ!切磋琢磨大いに結構三人とも。ロックは制御、ライカは出力、カノンは魔道具の扱い。三者三葉に育ったなあ」
「……わたしは能力が全く使えないから」
「そう卑屈になるな。魔道具だって制御を間違えば一大事だ。おまえはロックよりもライカよりもはやく氷の嬢王をものにしたんだ。おまえはふたりロックよりもライカよりもはやく氷の嬢王をものにしたんだ。それだけで結構結構」
俺たちはペルーチェからあぶれた存在だった。
ペルーチェで教えられるエクソシス像は能力の出力も制御も魔道具の扱いもすべてを求められる。だが先生は長所を伸ばし、短所を補う。欠点は時間を掛けてなくしていけばいいと。けして欠点を卑屈に見ようとしないお方だったよ。だからこそ俺たちは先生を師として仰ぎ、父親のように慕った。
「ま、能力の扱いならアタシに任せなさいよ!」
「いやいや、こんなガサツな奴じゃなくてよ、俺が協力するぜ!カノン」
「……ン、ありがとう。ふたりとも」
きっと先生がいなかったら俺たちは復讐のまま能力を振るっていたに違いない。カノンはきみに話さないだろうがアイツも悪魔に両親を殺された。10歳ごろのアイツは復讐に燃えてたよ。だがそんなアイツの復讐心を解いてくれたのがシルヴァ先生だった。
だから俺たちにとってシルヴァ・コンツェルンは師であり父親であり、かけがえのない心の支えだった。
6年前の7月18日のことだ。俺たちは18歳になり、ひとり立ちするのもそう遠くないころだ。
その頃の俺たちは先生の仕事についていくようになった。ハルシオンの中でも異例だったらしいが、ある意味先生の威厳があったからこその行為だった。
——その日はひどく荒れた雨だった。
その日付き添いに言っていたのはカノンだった。俺たちは外で修行もできないため、本を読んだり、先生の戦闘データと睨めっこしたりするぐらいしかやることがなかった。
「ライカよ、おまえここを巣立ったらどうするよ」
「先生はエクソシスト以外も考えておきなさいっていうけれど、アタシはこの道以外は興味ないわ。アンタは?ロック」
「俺ぁ決まってねえな。センセーに言われて医師免許は取ったが、医者になりたいわけじゃねえし」
その日の先生の帰りは遅かった。夕飯の用意も終え、テーブルの上に料理を並べたままス時間が過ぎた。
そんなたわいのない話をしているときドアが勢いよく開けられたことに気づく。俺たちは先生が帰ってきたものと思っていた。
だがそこに立っていたのは大人ぐらいの大きさの袋を抱え、びしょぬれで立ち尽くすカノンの姿だった。
「嘘よ……嫌ァァァァァァ!」
「先生……起きてください、先生!」
「もう——死んでるわ。先生を横にしたいの。すこしどいてもらえる?」
声色は落ち着いており、涙の跡は見えない。声色は落ち着いており、涙の跡は雨に濡れていたせいでわからない。見えない。その立ち姿は冷静そのものだった。濡れた体を拭かず、
何も言わず遺体をベッドの上に横にすると、受話器を取りジャックに連絡をする。そしてその片手間パソコンに向かい、報告書の作成に取り掛かる。
「カノン————アンタ!」
振り返ったカノンの胸倉をつかみ、机の上にたたきつけるライカ。カノンは無抵抗で、その目は変わらず冷静だった。
「アンタは——あんたはシルヴァ先生が死んで悲しくないの?カノンはそばにいたんでしょう?なんで……」
「悲しいわよ。けれど先生が死んだことを報告しなくちゃ波紋は大きくなる一方。今は悲しみよりもやらなくちゃいけないことがある」
「どうしてそんなに冷静でいられるのよ。どうしてそんなに冷たくいられるの!あなたはどうせ先生に守られてただけでしょうどうせ足手まといになっていただけなんでしょう」
「そう——わたしのせいで先生は死んだ。気が済むまで殴ればいい——」
「おまえのせいだおまえのせいだおまえのせいだ!」
「やめろライカ!カノンだって」
喉から絞り出すように発せられる怒号と、肉と肉がぶつかる鈍い音。喉から絞り出すように発せられる怒号と、肉と水分を吸った肉がぶつかる鈍い音。
冷静を取り繕ったカノンだって泣いていたはずだ。雨で涙を隠されていただけだろうに。
それからカノンとライカは疎遠になった。お互い一言もしゃべることなくシルヴァ先生の家を去っていった。
「これが俺たちシルヴァ門下生の過去だ。まさか、カノンの野郎話してねえとはな」
「師匠の過去にそんなことが——師匠は昔のことは一切教えてくれませんから」
「ま、同情心を持ってほしくないんだろうよ。結果的にハルシオン上層部の怒りの矛先はカノンだけに向いているし、グルーヴのババアと仲悪いのだってそれが原因よ」
「どういうことです?」
「グルーヴのババアが管轄していた事件だってことよ。結果任務は失敗、おまけに最強のエクソシストを失ったんだから奴の昇進は叶わなかったってわけよ」
グルーヴ女史と師匠の確執はこの時からあったようだ。しかしその話を聞いたからといって女史を見直すことはなく、陰湿さに拍車がかかったように思えた。
「師匠の言葉足らずなところは昔からってことですか」
「そうだな。いや、あの状況じゃあ言葉の整理もつきやしない。きっと俺たちよりも長く泣いたんだ。泣いて泣いて枯れっちまったのさ」
「師匠の行動は冷たく見えますけど優先順位を考えたうえでのものだと思います。誰かがやらなくちゃ、目の前でシルヴァ先生を失った師匠だからこそやらなくちゃいけなかったことなのに」
「ま、そこはご本人に聞いてみましょう。ライカさーん」
うしろを振り向くとそこには煙草をくわえたライカさんが音もなく立っていた。
「弟子からはひどく信頼されているようねカノンは。アイツはね、自己犠牲でしか人を守れないのよ」
「それは——どういう」
「その手を離してもらえる?あなたの師匠はひとりになるのが嫌なくせに誰かが傷つくのなら自分を犠牲にする。たとえそれが自分から誰かを引き離そうとも、誰かから恨まれようと」
胸倉をつかんだ俺の手をゆっくりと押し返すライカさんは冷徹な目で俺の目を見つめた。
「傷つけないために言葉足らずになるなんて馬鹿馬鹿しいわ。アタシはそんなカノンに嫌気がさしているのよ」
「師匠はあなたが言うほど弱くない」
「3年しかカノンと一緒にいないあなたにはわからないわ。じゃあ聞くわ。どうしてアイツはアルバート・ハープソンと別れた後、アナタという弟子を作った?」
「それは——」
「結局一人になるのが怖いのよ。失ったなにかを埋めるために誰かに縋る。カノンは成長しない。今もこれからも」
瞳をのぞき込むようにライカさんは俺の目を見つめる。
ことば一つ一つは強く、否定する気持ちをへし折られるようだ。
だがなぜだろう。彼女の藍鼠の瞳はどこか、悲しく見えた。
「ただ、カノン師匠が遠くなっていくのを憂いてるだけでしょう。ライカさん」
「何を言うかと思えば……カイン君、アタシの話聞いてた?」
「あなたが師匠を憎んでいるようには思えないんです。俺は3年前の記憶もなければ、師匠の知り合い以外の人は苦手です。師匠みたいな観察眼もありませんし。ですがあなたはカノン・フラウトを憎んでいない。むしろ大切に思っているんじゃないですか?」
「なにを突然——アタシはそんなんじゃない。第一、アナタ三年前の記憶がないってどういう」
「フフフ……ハハハハハ!図星をつかれたなライカ」
「うっさい!大体根拠が薄いわ」
「根拠ですか、あなたの言うように僕は師匠のことをこの三年間しか知りません。けれど、師匠の元で生きてきたからこそあなたが言うように自己犠牲が過ぎることも知っている。俺だって嫌ですよ。いつも能力と悪魔の攻撃でボロボロになって帰ってくる師匠を見るのは」
しおらしい話をしていると、看護師がカルテを持って医務室に入ってくる。
ロックさんがカルテを確認すると、俺に渡す。
「カノンが目覚めたそうだ。それ持ってアイツのところにいきな」
「ありがとうございます」
カルテを持って俺は師匠のいる病棟304号室へと向かった。
先ほどまでの騒がしさが嘘のように医務室は静寂に包まれる。ロックはタバコに火をつけ、一服する。
「面白いだろ。カノンに似たのか勘がいい」
「うっさい。ロック、あなたアタシの話を意図的に逸らしたわね。カイン君の記憶がここ三年間しかないってどういうことかしら?」
「そのまんまの意味だ。カインは記憶障害を患ってんだ。おまえも聞いたことあるだろう?3年前に起きたグルボザ孤児院襲撃作戦を。カインはその事変唯一の生き残りだ」
目覚めるとまず見えたのは白い天井だった。頑張って体を動かそうにも油が切れたように少しずつしか動かせない。身体の疲労が全身を支配しているようだ。疲労などお構いなしに脳は五感を研ぎ澄まし、情報過多を起こす。
「師匠!」
「アンタがここにいるってことはどうやらここはあの世じゃないようね」
「ええ、外傷はひどいし、疲労過多なようですけど骨も内臓も無事です」
「そう——疲労を言い訳にしたくないわ。わたしの判断不足よ」
そう答えるとカインは寂しそうに下を見る。
わたしが傷だらけで帰ってくることは、決して珍しいことではない。いつもボロボロになって帰ってくる私に「おつかれさまです」と、安心の目を見せるはずだった。
7月18日が近く、シルヴァ門下生が勢揃いしたこの状況で変わることは一つぐらいだろう。
「聞いたの?わたしたちの過去を」
「はい——俺は師匠の行動が理解できなかった。自分がボロボロになっても悪魔を祓うあなたが、誰かのために傷つくあなたが。どうして、どうして師匠はひとりで抱え込んでしまうのです。どうして周りを頼ろうとしないのです!」
「わたしはこれしか知らない。これ以外の方法を教えてくれる人はみんな逝ってしまったわ」
だれかに頼んでその人が傷ついたら、大切な何かを失ったら。わたしはきっと耐え切れず悲しみの淵へと沈んでしまう。抱え込んでしまう癖も突き放してしまう癖も、そんな状況になるのが怖いわたしの逃げの表れだ。
きっともっといい方法があるのだろう。先生が生きていれば、両親が生きていれば諭してくれたかもしれない。けれど、私の愛する人はみんな逝ってしまった。
「ライカはどうだったかしら?わたしを恨んでいたでしょう」
「そんなの、ご自身で確かめてください」
「そうね——」
ピッピッピと一定のペースでなり続ける心拍計。
無機質な音だけが部屋を支配する。冷めきった私たちの空気を逆なでするように。
窓から見える臥待月がわたしをあざ笑う。
「あの時の月夜もきっと
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