第6話 受肉

 5月。わたしたちは時計塔のとある一室に召集される。

 そこには数十人のエクソシストたちが集まっており、皆ピリピリとした空気感とどよめきをかもしだしていた。前のお偉方の端にジャックは悩んだ顔を浮かべながら座っていた。

 真ん中の老婆の左手側にいる面長の老人が立った瞬間、ざわつきは沈黙へと変わる。


「エクソシスト諸君。緊急招集に応じてくれてありがとう。きみたちに集まってもらったのは他でもない。シェフィールドにて悪魔の繭が確認された」


 その言葉が放たれた瞬間、沈黙は破られざわめきが大きくなった。


「繭ができて何時間経っている?」


「およそ12時間。明日の夜には受肉が完了するだろう」


 悪魔の受肉。それは人間と悪魔が交わした契約が満了されたことを表す。

 契約を果たした悪魔は繭を作り、そのなかで自分の体を作り出す。それは蛹から羽化する蝶のようであるが、それは生やましいものではない。


「諸君らには団結して受肉体の撃破していただきたい」


 固唾を呑むエクソシストたち。

 受肉した悪魔の力はウテルス体と非にならない。

 そのためエクソシストでも優れた能力の持ち主や、魔道具を多く持つ名家、熟練者が受肉体を倒す任務にあたるのだ。

 しかしここにいる人たちの多くは実力がないことを困惑の音があらわしていた。


「強制はしない。だが無事受肉体が倒された曙には魔道具の譲渡、高報酬を約束しよう」


 しかしそんなことはどうでもいいと言わんばかりにわたしとカイン、アルを残してエクソシストたちは足早に部屋を出ていった。


「茶番はおしまい?」


「なにごとも形式は大切だ。まあ、きみたち以外帰っていくのはわかっていたがね。ですよね、グルーヴ臨時指揮官」


「ええ、ええ。コンツェルンの弟子ですからねえ」


「ならロックにでも任せればいいじゃない」


「ロック・ロンチェロは別の任務で忙しいのよ。フラウト、わたしたちはあなたとジャックの仮説にしたがっているのよ」


 悪魔が組織的に動いているのを調査するためにエクソシストを出動させているのは確かだ。いつも見向きもしないくせに。今はそれを口実にわたしをこき使うとしているのだろう。

 一体の悪魔だけでも一個中隊に匹敵する


「わかった。けれど被害が甚大になっても知らないわよ?」


「キミはシルヴァの弟子だ。どのエクソシストよりも信頼できる」


「先生の弟子、ねえ」


 たしかに我が師匠、シルヴァ・コンツェルンはハルシオンが誇る最強のエクソシストだった。しかしその弟子たちは白鳥から生まれたカラスであり、輪を乱す狂騒曲カプリチオだ。そのなかでもわたしはと特に目をつけられている。


「ミス・グルーヴ、カノンのサポートに参加してもよろしいですか?」


「かまいませんよ。仲のいい仲間がいればあなたも心強いでしょう」


「ったく、わたしが参加する前提で話を進めるんじゃないわよ。場所は?たぶんシンボル的な場所にできたんでしょうけど」


「そうだね、悪魔が繭を作ったところはシェフィールド大学だ。まるでこちらを引き付けるためのように思える」


 悪魔の繭は見た目からして人の目引く。

 そのためこれまでの受肉体は人目につかない場所で繭を作る。


「しかし、あなたたちエクソシストはそんな事考えなくてもいいわ。捜査をするのはわたしたちなのだから」


「現場を知らない奴らでは知りえないこともある。あなたたち上層部は結果しか見えていないのだから」


 わたしはこのグルーヴという婆が嫌いだ。いつも笑顔を浮かべ、わたしたちを足のように使う。わたしたちエクソシストは彼女からすればチェスの駒に過ぎない。そしてその駒が勝手な動きをすれば癇癪を起す。


 わたしもジャックも彼女からすれば勝手に盤面を乱す害悪なのだろう。


「くれぐれも品位に欠けたことをするんじゃありませんよ、カノン・。会長のためにもね」


「わたしをその名で呼ぶな—— あんな男、わたしには関係ないわ」


 会長の名を聞いた瞬間、わたしはすこし感情的になる。腹の底から煮えたぎる何か。押し込めた負の感情を燃料に湯を沸かしているよう。しかしすぐに理性という名の冷や水をかける。


「じゃあよろしく頼むわね。作戦開始までには避難は終わらせるから」


 グルーヴはジャック以外の重鎮たちを引き連れてその場から去っていく。わたしはテーブルに腰かけ、ライターの開閉を繰り返した。


「すまないな、カノン」


「謝るな。不憫な役回りをさせられていることぐらい私でもわかるわ。ったく」


「しかし、グルーヴさんは相変わらずだな」


「昔からなんですか?」


「ああ、カノンとはとくにね」


「そういえば師匠の性をブラッドフォードと……」


「その名を呼ぶな!反吐が出る」


「は、はい———」


「ごめん。少し———ッ気をつけなさい」


 感情を抑えているはずなのに、わたしはいつもその名を聞くとタガが外れたように吐き出してしまう。わたしは足早にその場から立ち去る。



 カノンが席を立ってから数分間は誰もしゃべらなかった。とくにカインに関しては喉を詰まらせたように言葉が出なかった。カノンの怒号が耳の中でこだまし続けた。


「師匠があんなにも感情的になるの初めてですよ。いつも嫌味を言いつつ、すました顔をするのに」


「カノンにとって過去はタブーなんだよ」


「そうだね。僕は彼女が独り立ちしてからしか知らないけれど、彼の師匠、シルヴァ・コンツェルンのもとで修行していたことは話したがらない。それに——」


 アルバートは数秒言葉に詰まった。それはまるで彼が食事をしに来た夜に、カノンとアルバートが別れた理由を話そうとしたカノンのようにカインには映った。


「きっと、きみを大切な弟子だと思っているからさ。だから自分の過去を話したがらないんだ。きっと僕と同じように」


「大切な弟子……いいえ、僕は孤児院で偶然拾われたんです。きっと、そんなこと思ってませんよ」


(あのことをカイン君に言っていないのか。カノン)


「何か言いました?」


「あ、いいや何でもないよ。カノンはひねくれた奴だが、君をそばに置くということは、隣にいてもいいと思っているということだ。大丈夫、私が保証する」


 何か隠しているようにアルバートは察知したが、カインはそれに気づくことはなかった。そろそろ14時になろうとしている。カインはへそを曲げたカノンのティータイムの用意をしないといけないと言い、時計塔を後にする。彼を合図にジャックとアルバートも帰ろうとした。


「ジャックさん、教えてください。カノンとカインの関係を」


「焼いているのかい?カノンとの約束でね。あの子がカインに告げる時まで私も口止めされているのだ」


「齢15の青年にどんな秘密があるというのです」


「年がどうであれ秘密は人それぞれあるものさ。唯一言えるのはカノンもカインも同じ大切な人がいないということだ。そう、アルバート・ハープソン、君にだって言いたくないことはあるだろう?」


「それは———わかりました」


「それがいい。告白は彼らが決めることだ。私でもきみでもなくね」



 15時45分——

 わたしは長椅子の上に寝そべり、狸寝入りをしていた。

 テーブルの上には無数の魔道具と、グラス。懐にヘッジス&バトラーを抱きながら蹲っていた。


「わかっているわよ。大人げないことくらい。あの子が疑問を持つのだってあたりまえ。けれど同情もされたくないし、あいつらみたいになることだって……」


「師匠、戻りました。待っていてください、今からお茶の用意をしますから。あれ、寝てます?」


「悪かったわね。すこし取り乱して」


「かまいませんよ。馴れました」


「そう、あなたにもかかわることだからいつかは話さないといけないわね」


 エクソシストは実力だけでなく、師匠の印象も関係してくる。師が有名で誠実であるほど仕事や、支援も充実する。しかし悪態をつき、印象が悪い場合弟子もその影響を受ける。私の場合、弟子三人の中でも特に嫌われているのだ。

きっとカインが独り立ちした時、わたしのことで苦労するだろうな。


「そうですか。いやぁ、あのおばさん性格悪そうですね」


「ええ、社会でもああいうのは避けた方がいいわ。目を養いなさい。人を見分ける目を」


「師匠みたいになりたくはないですが、そうですね」


 お茶の用意ができたカインはテーブルの上に注目する。


「今回使う魔道具ですか?」


「そうよ。久しぶりの受肉体ですもの、気を抜いてはいられないわ」


「師匠が長物を使うなんて……基本的にコンパクトなものを使うイメージしかないですよ」


 カインの言う通り、わたしが好んで使う武器の多くは短剣や小型銃などがほとんどだ。Warpとの親和性の高さもそうだが、なによりかさばらないのと汎用性がいい。

しかしテーブルのうえには長剣がひとつふてぶてしく転がっていた。


「いざとなったときの保険よ。あなたにもこれを渡しておこうかしらね」


 カインにトンファーの状をした魔道具をわたす。


「バックドラフト。攻撃を倍加する力はないけれど、ぶつけた相手を吹っ飛ばしてくれるわ」


「ありがとうございます。さて、お茶が冷めます。一服しましょう」


 紅茶を飲みながら、悪魔の情報が記された資料に目を通す。

 やはり頭をよぎるのは「アイツ」の存在だろう。前回同様、介入される可能性がある。市民や、カイン自信が守れるようバックドラフトを渡しておいた。しかし、大量の悪魔を見習いのカインが対処するのは難しいだろう。

 アルには避難民の警護に当たってもらうしかなさそうだ。

「アルに市民の警護にまわってもらうしかないか……」


 総人口は約58万人。イギリスでも5本指に入る人口量だ。

 そんな人口密集地に悪魔の群れが現れようものなら被害は尋常なものではないだろう。


「しかし、師匠のバックアップが……」


「ヤバくなったら呼ぶわよ。けれどアンノウンがいないとは限らないわ」


 アンノウン。ハイゲート駅にて大量の悪魔を出現させたであろう存在への仮称だ。悪魔なのかそれともエクソシストのように悪魔の肉を食べた人間の仕業か。だがもし多くの悪魔を移動できる力を持つのなら、大いなる脅威となることは間違いないだろう。


「わかりました。つまりアルバートさんの下で動けと?」


「そういうこと。まあわたし以外のエクソシストの戦いを見るのもいいんじゃない?」


 本来、エクソシストは養成機関を経て見習いになる。そこでさまざまなエクソシストから戦い方や知識を得られるのだが、カインはその過程を飛ばしている。

 ある程度戦略がまとまったところで窓から空を見る。もう月が顔を出していた。


「師匠、そろそろお休みになられたほうが。あとは僕がやっておきますから」


「そうね、今日はもう床につくわ」


 テーブルの下に忍ばせていたウィスキーを棚に戻し、奥の部屋の仮眠室に身体を埋める。

 頭の中から明日のことも嫌なことも消し去ってわたしは眠りについた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る