面接

 かくして私が通されたのは、調度の少ない六畳ほどの個室。――ほとんど使われていない部屋なのだろう――木目調のフローリングには薄く埃が積もっており、その隅にはやはり埃を被って薄灰色になった、申し訳程度の椅子と机が置かれていた。


 薄緑色のカーテンが大きな窓から射し込む陽光を遮っているおかげで、部屋の中は仄暗い。ドアを開けてすぐ右の壁にあるスイッチを男が押すと、天井の蛍光灯が何回かチラチラ明滅した後、パッと部屋全体を明るく照らして安定した。


「――いやなに、ほんとは面接の前に掃除しとこうと思ってたんだけど……その、ね?」


 と、お兄さんはいかにもバツの悪そうな顔で。


 ――「ちょっと都合が悪かったというか、タイミングが良くなかったというか――いや! 決して忘れていたわけではなく、その……」


 ――『なんと言うべきか……いや、つまり、俺が言いたいのは――』


 ブツブツと、そう話す。

 イマイチ要領を得ないその説明。もう少し簡潔明瞭に言って欲しいなあ、と、思い始めたちょうどその時。


「――、日付を間違えていたばっかりに……」


「なっ――お、おい麻沙あさ!?」


 ――あぁ。そういう……。


「さっき気付いたわたしは何度も忠告したというのに……おにぃがごめんなさい」


ってほんとにさっきだろが! 具体的にはチャイム鳴る2秒前!!」


「……そのヨレヨレの部屋着を新調しとけって言ったのは、一週間前だけど……」


 淡々といく妹さんの、そんな反論のしようもない正論に――しかしヤレヤレと、あくまでも反逆の意思を見せるお兄さん


「まったく、何度言えば服はちょっとよれてる位のが着やすくて趣深いモンだってお兄ちゃんの美学を理解できるのだこの妹は……」


「……いつになったら歪んだ美学啓蒙思想を正そうとする妹の苦心を理解してくれるの……?」


 ――かくして、「「――ハァー……」」という大きなため息を、ヤレヤレと身振りも併せて二人同時に吐くことで、文字通り身内ノリの掛け合い漫才を締めくくる兄妹ふたり。その唯一の観客である私に、会話の内容はよく伝わらなかったけど――それでも、顔を見合わせて薄い笑みを浮かべる彼らを見ていると、なんだかとても微笑ましい気持ちになった。


 男が言う。

 

「まぁ、そんなわけだから――なんか色々緩い感じになっちゃったけど、始めようか。面接」


 空気も和んだことだし――と。


 〇


「というわけで、本日面接官を務めさせていただきます、兄のと――」


「……妹の、です」


「どうぞよろしくお願いいたします」


「――え、いや、あの……」


「? はい?」


「えと……その……」


 ――ギャグ、ですか……?


 私と対面の椅子に座ってまっすぐにこちらを見据える、極めて真面目な顔の望月さんお兄さんと、表情は無いもののキョトンと首をかしげる望月さん妹さん。少なくとも彼らの態度から、ふざけている様子は一切見出せないけど……。

 ――じゃあこの冗談みたいな自己紹介は……?


 (これ……え、どっちだ……?)


 指摘していいのかな……? ――いやでも、私はあくまで面接を受ける立場だし……けど、これはたぶん、面接に支障出るよねぇ……?


 …………

 ――うーん……?


「――なんて、ジョークだよ、ジョーク。堅苦しいのはどうにも合わなくてね……な、副社長?」


 ――ふと、それまで顔を引き締めて真面目そうな表情を浮かべていたお兄さんが、そう言いながら頬を緩ませた。


 その言葉を聞いて、私は安堵する――冗談が通じない奴だと思われずに済んで良かった、と。

 ――追加して、上司が本気でこういうこと言う困った人じゃなくて良かった、とも。


 ――ところが。


「……え、『じょーく』? ……なにが……?」


 お兄さんとは違い、それまでと変わらずキョトンと首をかしげたままの妹さん――さっきからお兄さんが呼んでいるように、たぶん麻沙ちゃんというのだろう――。何が起こったのかよく分かっていなさそうな彼女に、お兄さんは柔らかく笑いかけ――ヒョイと抱き上げて、膝に座らせた。


 そして、


「――改めて、こいつが妹の|望月もちづき 麻沙あさちゃん。ドイツ人との混血だからすごい美人さんで頭もいいのに、コミュ障で虚言癖きょげんへき持ってて不登校でぼっちなのにアルビノだから外にも出ないしで、兄はいつも気苦労が絶えません。通称


 と。


「おにぃ、うるさい……自分だって人のこと言えないくせに」


「俺は大学行ってからお前より上ですぅ~! 残念でした~!」

 

「……中退のくせに」


 ところどころ兄馬鹿が垣間見えるセリフを吐いて、むくれる妹に頬ずりする彼。麻沙ちゃんは不服そうに頬を膨らませながらも、いつもの眠そうな半目で脱力しており、すっかりお兄さんにされるがままだった。――考えることをやめた人って、こんな感じなのかな。


「……それに、わたしおにぃより頭良いし――」


「脳みそ有り余ってても社会性が足りてないから持ち腐れてんだよなぁ? てか一般男性の俺とのお前を比べるんじゃ──」


「……おにぃも社会性あるわけではないじゃん……学校行ってたくせに彼女いたことないし……顔はいいのに童貞だし……」


「――なっ……えっ?」


 え。


「学校行ってもコミュ障だから放課後すぐ帰ってきてたし……仕事しても社不社会不適合者だからすぐ辞めてたし……」


「ウワァ――ッ 愛する妹の事実列挙は心にクる――ッ!!」


 息を吐くように、無機質な声でつらつらと兄の悪口を並べ立てる妹さん。いまお兄さんが言っていた通り、それらは全て事実なのだろう──気づけば、さっきまでイキイキしていたお兄さんは、目に涙を貯めて俯いていた。


「…………おにぃ、社会的立場……低すぎ」


「──生きててすみませんでした……これ以上世界様のご迷惑にならないよう早急に首吊ってきます……」


 仲良し兄妹の微笑ましい口げんかイチャイチャ――心温まる幸せな光景のはずなのに、私の心はどこか虚しさを覚えた。

 

 あの景色の中に私は入れないからなのか――などと考えて勝手に寂しくなっていると、どうやら心が壊れちゃった様子のお兄さんが、膝上の麻沙ちゃんに促されて憂鬱げに自己紹介を始めた。

 

「……はい、先ほど妹が言っていた通りのカスがこの愚生、望月もちづき 赤人あかひとです。分不相応なことに、この……」


 ――ん?

 

 ……いま、すごいこと言わなかった――?

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