第4話 妹に欲情する兄なんて存在しない
「は?」
シャワーを浴び終わって、脱衣場から出てきた鎖錠さんに事情を説明したら、最初の一言目がこれである。
お湯で温まってきたはずなのに、その声はブリザードに見舞われた北極のように冷ややか。
室温は変わらないはずなのに、体感温度が10は下がった気がする。無意識に鳥肌の立った二の腕を擦る。ちょーこわいんですけど。
その闇より深く暗い瞳は、間違いなく『血の繋がった妹に手を出すクソ野郎』と物語っている。これには僕も動転する。
「待って待って!?
違う違う話を聞いてくださいお願いします!
そういうんじゃないんですよ!
そもそも僕から言い出したことじゃないし!?」
「……変態。
世界の害悪……死ねばいいのに」
「耳閉じてんのかな!?」
このままではまたもや変態のレッテルを貼られてしまう。しかも、今回は妹に手を出す犯罪者というオマケ付き。付属にしては重すぎる業ではなかろうか?
CDの特典にサイン会の抽選券を付けるようなものだ。フリマアプリに蔓延るCDに涙が溢れる。
いや、そんなことはどうでもよくて。
ダメだ。焦り過ぎて頭が回らない。どうしてこうなった。説明が下手すぎたのかな?
蛇に睨まれたカエルよろしく、両手を上げて真っ青になっていると、妹が楽しそうに笑い出す。おいこら。そもそもお前が原因なんだが? なにわろっとんねん。
「あははは!
大丈夫、義姉さん。
いくら兄さんだからって、実の妹に欲情したりしないって。
病みカワ系大好きな変態ではあるけど」
「擁護してんのか、崖から突き落としてんのかどっちだ?」
「どっちかといえば、首吊りの時に踏み台を外す役?」
殺す気満々じゃねーか。誰がこんな妹に性欲を抱くものか。
あと、病みカワ系の話は止めろください。
「……」
ん、と鎖錠さんの喉が鳴る。
不審そうに細められた目はそのままだけど、僅かながらに不機嫌な雰囲気は和らいだ。
腕を組み、豊かな胸を下から持ち上げる。
一度瞼を閉じた彼女は疲れたような吐息を零すと、再び開いた瞳で机に突っ伏したままの妹を見下ろした。
「元々、あなたの部屋なのだから、私と一緒に寝ればいい」
「それはそれで魅力的な提案。
だけどねー」
ぶー、と大きく両腕で作った
「義姉さんが悪いわけじゃないんだけどね?
事情があるのさー」
「事情?」
眉間に皺を寄せる鎖錠さん。
妹はそんな彼女を見て、考えるように上を向く。
そういえば、先程もできない理由があるようなことを口にしていた。
女の子大好きな妹が鎖錠さんのような美少女と一緒に寝るのを拒まないといけない事情とは一体……。
僕と鎖錠さん。
2人分の視線を集めた妹は、「うん、まーいっか」と一つ頷くと、
「私、女性相手に欲情するから」
困ったもんだあははと笑い声を上げる。
……なに言ってんだ僕の妹は?
あまりにあまりな性癖の暴露に辟易する。
離れて暮らしたおよそ1年。移り住んだ北海道でなにを学んでいたのか。
真っ白な雪の大地には、百合の花が咲き誇っているのだろうか? 少し、興味が湧く。
「流石に同意の元ならともかく、そういうのはね。
女であることを免罪符にして、知らないことを良いことに性的欲求を満たすことを妹様はしないのだ」
「……兄妹揃って変態?
救いようがない」
「一緒にしないでくれない?」
とても不本意だ。
けれども、鎖錠さんにとっては同列なようで、ドン引きした目を僕と妹に向けてくる。
少し上半身を仰け反らせ、距離を置こうとしているのが辛い。
「違う違う。
変態は兄さんだけ。
私は分別がある」
「そう」
はしごを外される。
それで納得されてしまうと、僕だけが変態の枠に残されてしまうのだけれど。
なにこれイジメ? というか、言い出したのは妹のはずなのだが、どうしてこうなった……。
理不尽な流れに肩を落としていると、妹がポンッと手を叩く。
誰が見てもわかるなにかを思いついたというジェスチャー。
今度はなんだと睨むが、堪えた様子は微塵もみせず、鎖錠さんとは対照的な快活な笑顔を咲かせる。
そして、
「なら、皆一緒に寝ようか?」
と、皆仲良くこれで解決みたいなノリで言う。
なにも解決してないが?
妹はともかく。
鎖錠さんと一緒に寝るなんてできるはずがない。いや、寝たいか寝たくないかの2択であれば、俄然寝たいを選択するが。ただ、僕にも理性という機能はちゃんと備わっている。一応。
妹の言葉を借りるなら、同意のない相手に手を出せるはずもなく。
生殺し状態でベッドを共にするというのは耐え難いモノがある。ある種の拷問。
そこに妹も一緒とかもはや地獄でしかない。長くて辛い眠れぬ夜が幕を開けてしまう。
まさしく、呆れて物が言えなくなってしまう。
こんなバカげた提案、僕はもちろん、鎖錠さんだって受け入れるはずがない。
全く困ったものだ。うちの妹がごめんなさいね? と、同意を求め、謝罪を伝えようと彼女を見たら、どういうわけか、その頬が赤らんでいた。
まるで、シャワー浴びたての火照り具合。冷めるには十分な時間が経ったはずなのだが、熱がぶり返すなんてことがあるのだろうか?
それに「……」と沈黙している理由もわからない。
耐えるように、それとも物思いに耽るように。
人差し指の甲を甘噛して顔を伏せる鎖錠さんは、前髪で顔半分を隠したままそっと呟いた。
「…………。
それなら、……いい」
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