第九十話 皇女の弱さと……。


 チャポンと控え目な水音をたてゆっくりと湯に入るラゼリア。


 立ち昇る湯気で多少は隠れるとはいえ、タオル一枚身に着けていないなんて……ちょっと刺激が強過ぎるな。


「フ、私の裸体など大して価値はないと言っただろう。目を背ける必要などない。さあ、こっちを向け」

「だが…………皇帝陛下に悪い」

「フフ、ここへは私の意思で来たんだ。父上は関係ない。それに湯浴みに布を纏わないのはたとえ皇帝だろうと同じことだ。父上がこのことを知っても文句は言わないさ。だからヴァニタス……お前は……『私』から目を逸らさないでくれ」

「ラゼリア?」

「……ヴァニタス、お前も途中から気づいていたのではないか? 私に常に監視がついていたのを」

「それは……」


 気づいては、いた。


 というより前々から疑問に思っていたというのもある。

 皇女という重要な立場にあるラゼリアに護衛がつかないなどあり得ないと。


 封印の森は危険だ。

 それこそ一歩間違えればすぐ死に直面する場所。

 故にこそラゼリアを陰ながら護衛する者がいても可笑しくはないと思っていた。


 それに僕たちの中でヒルデガルドだけは微妙な違和感に気づいていた。

 彼女も確信は持てなかったようだが、ラゼリアと行動を共にすることも多かったためか、見え隠れする気配に不思議がっている仕草を見せていた。


「封印の森への鍛練と休養の旅、大仰に表したところで関係はない。何処へ行こうとも私には常に監視を兼ねた護衛がつく。それこそ……いまこの時もそうだ。風呂だろうがなんだろうが私から影の護衛が外れることなどない」


 薄く色付く肌、湯気の向こうのラゼリアは普段の強さなど感じない儚い脆さを纏っていた。


 皇族故の常時張り付く秘密裏の護衛か。

 だからラゼリアは自分の裸に価値がないと……。


 いや、それだけではない、か。

 皇族という血脈からは逃れることは出来ない、彼女は確かにそう呟いていた。


「嫌ではないんだ。……いや、ちょっと違うな。仕方ないと受け入れてはいるんだ。これも皇族の宿命だと。私は皇族に生まれた身。民からの税でこれまで贅沢な暮らしが出来てきた。日々の食事に困ることはなく、安全な住居に暮らし、学びの機会を与えられ、それこそ自由に、思うがままに生きてきた。影の護衛という監視の元で生きていくことは恵まれた私に与えられた義務のようなもの。そう、理解はしている」

「ラゼリア……だが皇帝陛下なら、ラゼリアさえ訴え出れば秘密裏の護衛も外してくれるんじゃないのか? 勿論身の安全を考えれば護衛役は居た方がいいが、それでも……」

「そう、だろうな。父上ならきっと我が侭な小娘の要望も聞き届けて下さるだろう。実際影の護衛以外では私は近衛の騎士たちを連れ歩いていない。それに、兄上たちはすでに父上の配した影の護衛を外すよう陳述ちんじゅつし了承されたとも聞く。しかし……私は彼女を外したいとまでは思わないんだ。これも必要なことと割り切っている。…………だが、だがな。ヴァニタス。それでも時々思う。思ってしまうんだ。果たして周りのみなは『私』を見ていてくれているのかと。……ただ皇族としての価値しか見ていないのではないかと、ついうたがってしまう。そんなことはないと頭では分かっているのに、な」


 自分自身には価値がなく、自分の皇族としての血にこそ価値がある。

 ラゼリアの苦しげな表情は殊更ことさらにそう語っていた。


「本当はな。ヴァニタス。この封印の森への旅など口実に過ぎなかったんだ。本当はここに来る予定などなかった。お前を誘いたいがために、お前と共に居たいがために口からでまかせを言った」

「それは……初耳だな」

「決闘を見たあの日。私は初めてお前を見た。父上から聞いたリンドブルム家に現れた怪物の話。私はお前のことがずっと気になっていたんだ。……素晴らしかったよ。あの強さ、決断の果断さ。掌握魔法という前人未踏ぜんじんみとうの頂きに挑戦する気概、そしてそれを形にした強固な意思。自らの大切な奴隷ものを全力で守ろうとする姿。男としての魅力を感じた。なにより容姿が気に入った……私の好む可愛く華奢な男のコ。おっとここは言う必要なかったかな」


 場を和ますように笑うラゼリア。

 だが……何処か痛々しかった。


「お前なら……『私』を見てくれると思った。皇女でない『私』を。何故、だろうな。そう直感したんだ」

「…………」

「そしてそれはこの旅の生活の中で確信に変わりつつある。ヴァニタス、お前は私の思っていた通りの人物だったよ。お前は私を皇女としてでなく私個人として見てくれる。お前の前でならただの『ラゼリア』でいられる。どうしても皇族としての立場が絡んでしまうみなと違い、お前だけは『私』を見てくれる。ありのままの『私』を受け止めてくれる」

「ラゼリア」

「フ……私は何を言っているのだろうな。すまない。つまらない愚痴を聞かせた。皇族であることは覚悟していたはずなのに……。普段はこんなこと考えもしないで、寧ろ立場を利用して我が侭に振る舞っているというのに……。お前の前だと何故か自分でもわからない、言う必要などないことまでつい話してしまう。だが……これだけは知っていて欲しい。私があの日お前に言ったことは本気だったと。お前を夫にしたいと願ったことは紛れもない本心だと。フフ、お前は私がどれだけ本気かいまいち分かっていなかったようだからな! ここでビシッと言わなければ気が済まなかったんだ!」


 ハハハと笑い飛ばすラゼリア。

 空元気だった。


 僕に必要以上に気負わせないための気遣い。

 自分の抱える内なる辛さを打ち明けながらも、僕に配慮し笑って誤魔化した。


 僕は……返事をはぐらかしていただけなのに。

 彼女の想いを真正面から受け止めてなどいないのに。


 健気けなげに笑うラゼリア。

 皇族立場に縛られ苦しみ、しかし、逃げられないと悟り、また逃げる気もない彼女。


 そんな彼女に僕は……。


「なら……僕の奴隷になるか?」

「ヴァニタス……冗談は止めてくれ。いくらお前でも皇女を奴隷などと……」


 戸惑うラゼリア。

 だが僕が冗談を言うように思うか?

 こんな大切なことを打ち明けてくれた場面で。


「冗談に聞こえたか?」

「……監視されていると言っただろう。この会話も当然聞かれている。いずれ父上の耳にも入る。こんな提案お前の立場が悪くなるだけだ。それなのに……」

「関係ないな。ここには僕とラゼリア、君しかいない。姿のない者に遠慮する必要はない。外野の意思は関係ないんだ。……たとえ皇帝陛下だとしても僕たちの意思は止められやしない」


 彼女の揺れる黄金の瞳を覗き込む。

 数多の優秀な血脈を取り込んできた皇族特有の黄金に輝く瞳を。


「冗談……ではないんだな。ヴァニタス、お前は皇族を奴隷におとしめる悪名も、皇族に課せられた義務も責務もすべて背負うつもりで……」

「ラゼリア、僕は――――」

「それ以上は――――頼む。言わないでくれ。お前の提案に乗ってしまいたいと……酷く誘惑にかられる。何もかも捨ててただの『私』としてお前の物になってしまいたいと。だが駄目だ。駄目なんだ。お前に甘えては。お前だけに背負わせてしまっては……私は自分が許せなくなる」


 それきり言葉を発しないラゼリア。

 暫しの間沈黙が場を支配する。


 湯気の立ち昇る視界に『ふぅ……』と一息重い息を吐く音だけが響いた。

 僕へと向き直るラゼリア。

 その顔には少し前までの憂鬱ゆううつな表情はなかった。


 ただ穏やかな……。


「ヴァニタス、お前がクリスティナたちを特別大切にしているのは知っている。通常の奴隷の扱いとは異なり、それこそ蔑むのではなく対等にあろうとする姿勢も好ましく思う。提案は……嬉しいよ。だが……私はお前の奴隷にはなれない。なってはいけないんだ。許されるはずもない、しな。だが、私は益々お前を夫にしたいと思ったぞ。マユレリカに一度は譲ったが、お前の正妻の座を奪い取りたいとすら思った。たとえ父上がこの結婚に反対したとしても無理矢理にでも押し通したいとも。お前なら私と共に……。フフフ、お前は本当に罪な男のコだ。私を何処までも本気にさせる。クリスティナといい、ヒルデガルド、ラパーナ、マユレリカ。いい女が続々とお前に惹かれる理由がわかった気がする。いや改めて納得したよ」


 『……少し長湯し過ぎたな』とラゼリアが去り、僕もまた秘湯を後にする。


 ラゼリアの告白。

 皇族故の悩み。


 ラゼリアが僕の奴隷となったからといって皇族という立場から解放される訳ではない。

 寧ろ奴隷となった後の方が苦悩し辛い日々を送ることになるだろう。


 奴隷というだけで人は他人を蔑み、下に見る。

 人によって奴隷に対する対応は異なるが、偏見を持つ者は何処にでもいる。


 元皇族の奴隷ともなれば更にもまして視線は厳しいものになる。


 奴隷になれ、など互いにメリットのない提案。


 つくづく思う、馬鹿な提案だと。

 そもそもラゼリアと結婚したとしても、彼女を奴隷としたとしても皇族の義務からは逃げられないのは同じだ。


 だがそれでも僕は彼女に宣言した。


 この秘湯の中での偽りのない会話はある種の儀式だった。

 ラゼリアが僕へと本心を明かし、僕がラゼリアに覚悟を示す、互いの気持ちを確認する儀式。


 だからこそ僕は覚悟を示した。

 たとえここでの会話が実現することのない泡沫うたかたの夢のようなものでも。


 ありのままぶつかってくれる彼女に対する覚悟を。


 僕には彼女のすべてを背負う覚悟があると示したかったんだ。


 




「ふぅ……やはり温かい湯は落ち着くな」


 昼間の秘湯でのラゼリアとの話し合い。

 あの後僕たちはマッケルンの気遣いで一泊だけグラニフ砦に泊まることになった。


 しかし、眠れなかった。

 だから人目を忍んで今度は中腹の男湯を訪れていた。


 一人湯に浸かりぼんやりと夜空を見上げる。


 ラゼリア……あの後の彼女は至って普通な態度に戻っていた。

 まるであの時の出来事が白昼夢であったかのように、何事もなかったかのように明るく普段通りだった。


 ……僕との結婚。

 最初は本気に取っていなかったんだがな。


 だけど違った。

 彼女は初めから……。

 

 考え込む最中、ふと背後に気配がした。


 ……なんだ?


「え〜、何この匂い。これが硫黄ってやつぅ? クサッ」


 なんだこの甲高い声は?

 砦の騎士の関係者か?


 だが……ここは男湯だぞ。

 いまのは明らかに女の声だった。


 そうして白い湯気の向こうから現れたのは――――。


「え? ナニ? 先客がいるじゃん!」

「……誰だ?」

「誰とか関係なくない?」

「……ここは男湯だぞ」

「そうなの? でもあんた以外誰も使ってないじゃん。ならあたしが使ってあげてもいいよね」


 現れたのは女だった。

 小柄な体格に赤く短い髪。

 しかし、毛先だけは黄色に染めた派手な出で立ちをしている。


 彼女は僕を見ているようで見ていなかった。

 目の前の僕などいないものかのように慌ただしく湯に入ると、『あ〜〜』と一人気持ちよさそうに声をあげる。


 誰なんだこの女は?






 それは本来出会うはずのない二人。

 物語ストーリーの中で彼女エリメス・ロコロフィとヴァニタス・リンドブルムは決して出会うことはなかった。


 しかし、運命の悪戯か二人はここに出会った。

 それは二人にとって幸運だったのか、それとも不運だったのか。


 少なくとも現時点では二人とも互いのことなどなんとも思っていなかった。











……全然書けませんでした。

遅れてすみません。


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