TS令嬢、追放先でオオカミと喧嘩する。
『母さん。調子どう?』
部屋の中、一番景色の良い窓際に設置したベッドの上で、小さな影が動く。
『…エレンかい』
微笑むと骨格が浮き出てしまう様が痛々しい。それでもこれだけ痩せ細っても尚、人の目を引く美貌は健在だ。
ジャンヌ・マクラーレン。こっちの世界での俺の母親。優しい性格はエイプリルに。面倒見の良さはスカーレットに。でも、容姿はエレンが一番似た。
『すまないね。もうあまり食べられなくて…』
『いや、俺が作りすぎただけだよ。今日調子良さそうじゃん』
俺は笑って、体を起こそうとする彼女をベッドに戻す。殆ど液体に近い食事を片付けた。
『エレン。見合いはどうだった?』
その台詞に、思わず後頭部を掻く。心にあるのは期待に応えられない罪悪感。俺は目を逸らしごにょごにょ呟く。
『あー…。母さんがしつこく言うから会ったけどさ…思ったより馬鹿だったって言うか、すごい馬鹿だったって言うか…』
『倅はああだけど、何かあったらその母親を頼りな。私が最も信頼する女だよ』
『いやあ…俺にはやっぱり結婚なんて向いてないし…』
言葉を選びながらそれとなく伝える。煮え切らない俺の様子に、母さんは毅然として言った。
『心配なんだ。私が居なくなった後が』
『縁起でもないこと言うなよ』
笑っていなそうとするが、そんな簡単に騙される女じゃない。
『……』
じっとこちらを見る瞳。相手が子供でも大人でも、嘘も何もかも見抜く視線。
(……)
今まで、母さんが俺の作った料理を残すことは無かった。観念して俺は口を開く。
『…心配しすぎだってば。俺達は大丈夫。姉さん達は婚約者と順調だし、母さんにこんなこと言っちゃなんだけど、父さんは趣味もあるしモテるから』
『私が一番心配してるのはアンタだよ』
まさかの一言に、一瞬ぽかんと口を開けてしまった。我に返り、俺は笑って言う。
『それこそ心配いらねえよ。俺は独りが好きだし――』
『トーリ』
小枝のように細い指に掴まれて、声がピタリと止まる。視線を上げて目が合う。俺を瞳の中に映しちゃいるが、ぼんやりとしていて焦点が合ってない。その時になって、彼女の瞳はもうまともに見えないであろうことを思い出す。
『お願いだよ』
いつも溌剌と堂々と話すのに、こんな時ばかり、まるで縋るように彼女は言う。
『家族を作ることを…諦めないで』
「……」
射し込む日の光の暖かさに、今が朝であることを知る。
(懐かしい夢見た…)
ぼうっとしながら、夢の断片を集めて消えないように脳に刻む。
たとえ死の縁に立とうとも、綺麗で優しくて強くて愛情深い。「エレン」の母親は、いい母親だった。
「……」
ごそりと動く。二度寝は主義じゃないが、期待が膨らむ。
(もう一回寝たら、また会えるかな…)
「おい」
幸せな気持ちで再び就寝に入ろうとした俺を、不意に真っ黒な影が包んだ。
「……」
嫌々顔を上げれば、すぐ目の前には素っ裸のジュードの姿。俺は眉間に皺を寄せ、目をしぱしぱさせながらそれを見る。朝から肌色が目に眩しいし普通に不快である。
服を着て寝ろと、そして何より人の布団に勝手に入ってくるなと、それはもう口を酸っぱくして毎日毎日言っている訳だが、それが改善された試しはない。
まだかろうじて残る三度寝の奇跡を信じ、俺は再び目を閉じ無理矢理寝ようとする。
「腹へった。飯」
が、悲しいかな。尚も畳み掛けてくる男によって、俺の希望は粉々に砕け散る。
「……」
全速力で離れていく眠気の背を見送った後、俺はのろのろと起き上がった。
朝ごはんは卵かけご飯。新鮮な卵に炊きたてのごはん。この為に厳選しただし醤油がひと味違う。
そして俺の前には派手な音を立てて丼を啜るジュードの姿。その手にスプーンは無い。俺はため息と共に小言を口にする。
「ジュード。だから食器を使えって…」
「あ?知るか」
俺の手を、ジュードが振り払う。衝撃で、床にスプーンが転がった。その一連の流れに、ぶちんと何かが切れた音がした。出どころは当然、俺の頭だ。
「もう限界だ!」
バンと机を叩いて立ち上がる。俺は叫ぶように言う。
「俺はお前の家政婦じゃねーんだよ!とやかく言われんのが嫌なら外で食ってくればいいだろうが!てかまずこの家に居座ることを許可した覚えもねーよ!」
「あ?」
唸り声を出して威嚇するジュードに向かって、俺は続ける。
「お前も俺もそもそも独りで自由に生きてきたんだ!同居なんてハナから無理な話だろ!」
普段、比較的穏やかな性格だと自負しているが、一度こうなると人間そうそう止まらない。俺はジュードを前に扉を指差す。
「いやなら出ていけ!お前なら、他にいくらでも好きに生きられるだろ!」
その言葉に、ジュードは不意に我に返ったような表情になる。興味無さそうに立ち上がった。
「…それもそうだな」
ぺらぺらと紙を捲る音が響く。俺の机の上にはクイーンビーへの旅行後、街の郵便局から回収してきた大量の新聞。何となしに新しい新聞を手に取って、ふと手が止まる。一面にはスターリング家の新規事業の設立に伴う人材の募集広告。
「始まったのか。さすがに早いな…」
その熱意に舌を巻く。新聞を畳んで次を探して、全て読み終わったことに気が付いた。
「……」
ため息を吐いて室内を見る。あれだけデカイ男がいないと、部屋はどこか広く感じる。
「まあ、実際工事で広くなったしな…」
独り言もどこか小さく聞こえる。
(……ごはん作るか…)
のろのろと立ち上がる。スカスカの食糧庫を眺めていると、ふと目に入ってくる。手に取ったのは去年試しに育ててみたそばの実。それを挽きながら、ぶつぶつぼやく。
「何にしようかな…。山菜か、山芋取ってきてとろろ…いや、天ぷらも捨てがたい…」
一人で悩んでいると、不意にガチャリと扉が開く音がした。
「おい。取ってきたぞ」
ぶっきらぼうな物言いに、大きな影。ジュードだ。いつも通り全身に土埃と何らかの返り血、そして今日は何故か羽根がくっついている。不思議に思いながら視線を落として、彼が手にしているものに反射的に笑う。
「最高だな」
エイミス地方のとある山奥。小さな一軒家には、いい匂いが立ち込める。
鴨南蛮そば。挽きたて打ちたて茹でたての蕎麦の香りに負けない、濃い目の味付けと表面に浮く脂が大変に食欲を刺激する。
「蕎麦、今年はもう少し多めに育ててみてもいいな。十割そばも作ってみたいし…」
動物でも野菜でも、獲ったものはできる限り使いきるのが礼儀だ。羽根の使い道も模索しながら食べる俺に、不意に声がかかった。
「…おい」
「ん?」
顔を上げる。机を挟んで目の前で蕎麦を食べるジュードの姿。その手に握られているのはフォークだ。
相変わらずぎこちなくて下手くそだし、箸で食うのが正式なんだろうが、その気概だけは認めてやってもいい。
「…すごいじゃん」
俺の言葉に、ジュードは満足そうに鼻を鳴らした。
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