出会い

 ぷはぁ、と息を吐いて空になった容器をレオナはカウンターに勢いよく置いた。

 酒場はにぎわっており、あちこちから酒気の混じった匂いが漂ってくる。

 

 禁止区では娯楽が少ないため、酒を飲むことを楽しみとする大人は多い。ましてや、平均寿命が三十歳なのだ。酔っぱらって現実を忘れなくては、生きていけない。

 店員がレオナの空になった容器を持っていき、新たに酒を運んでくる。それを瞬く間に、飲み干すレオナ。その飲みっぷりに隣の客が口笛を吹いている。

 

 普段から酒を飲むことはそんなにないが、今日ばかりは特別だ。なにせ、明日には自分はもうこの禁止区からいなくなるのだ。だから、これは最後の禁止区での食事になる。いい思い出などほとんどないが、それでもわずかに寂しい気持ちはある。

 

 それに、一般区での生活もどうなるかわからないしね。


 ふいに、カレルとポポリンの顔が浮かんだ。それを打ち消すようにレオナは酒をあおった。会おうかとは思った。が、やめた。どうせ、あの二人は連れていけない。あったところで辛くなるだけだ。


 自分だけ逃げるの? そう、問いかける自分がいた。


 そうだよ。それの何がいけない。誰にだって生きる権利はあるんだ。わたしはただそれを行使するだけ。何も悪いことはしていない。


 頭の声を吹き飛ばすように酒を飲み干すレオナ。飲み終わった瞬間、くらり、と頭が揺れた。どうやら飲みすぎたらしい。少し休憩をしようとしたとき。


 一人の少年と目が合った。歳は十歳ぐらいだろうか。幼さの残るあどけない顔立ちをしている。ただ、妙におとなしいというか――すべてを諦観しているかのような雰囲気があった。


 親の付き添いで来たのかな? 

 

 そんなことを考えていると、


「ぼくー、どうしたの? ひまならお兄さんと遊ぼうかあ?」


 スキンヘッドの男が千鳥足で、少年に近づいた。明らかに馬鹿にしたような声。

 

 レオナは思わず、手で頭を抱えた。最悪だ。酔っぱらいに絡まれたようだ。


「ここに来たら―、酒を飲むのが常識なんだぞ。あれ、持ってきて」

 

 店員が客の近くに寄り、男が何かを言う。それを聞いた店員の表情がみるみるうちに変わっていく。拒否する店員を、男は無理やり説得する。


 そして、店員が持ってきたアルコールを見てレオナは目を丸くする。

 そのアルコールはソロモンと呼ばれる酒で、この酒場で置いてある酒で一番強い。ソロモンのアルコール度数は百。大人でも飲めるものはほぼいないとされる酒だ。

 それを子供に飲ませるというのか。


「ほーら、坊や。ジュースだよ」


 にっこりとした笑顔を浮かべて、スキンヘッドは酒を注ぐ。水で薄める気配はなくストレートで飲ませる気だ。


 周囲の大人はまるで止める気配はない。面白がっている人と、関わらないようにしている人で半々といったところか。

 助けてあげたいところだが――正直、関わりたくない。レオナは明日に禁止区を出る予定だし、あまり目立ちたくはない。ここで目立ってしまい、教団兵に見つかれば目も当てられない。少年には悪いが、レオナは傍観すると決めた。


 スキンヘッドの声と酒を飲めとはやし立てる声がやけに不快に感じた。せっかくの酔いが醒めてしまいそうだ。

 居心地の悪い気持ちでいると、視線を感じた。目を向けると、少年がレオナを見ていた。感情のこもらぬまなざし。助けを求めているようには見えない。ただ、少年はレオナを見ているだけだ。

 胸がざわつく。落ち着かない。


「いい歳した大人が恥ずかしくないわけ」


 気づけば、レオナはスキンヘッドの背後に立っていた。声をかけてから、馬鹿だなわたし、と思う自分を自覚する。


「あーん?」

 

 振り返ったスキンヘッドはレオナを見下ろす。大きい。レオナと頭二つ分は違うだろう。


「誰だ、おまえはぁ? 関係ないだろぉー」

「関係ならあるよ。わたしはその子のおかあひゃんだ」


 呂律が回らずに噛んでしまった。しかも、お母さんてなんだ。お姉さんにしとくべきだろ、と自分に突っ込んだ。周囲の客が含み笑いをしており、レオナはわずかに頬を赤くした。


「ほうほう、そりゃあ、ずいぶんと若い母親なこってぇ」

「そういうことだから。この子は連れて帰る」


 少年の手を強引に握って、酒場から出ようとしたが。


「それは、駄目だねぇ。母親なら酒場での礼儀を見せてもらわなきゃあ」


 スキンヘッドはレオナの前に立ち塞がる。それを見て、溜息をついた。やっぱり、すんなりとは帰してくれないようだ。


「どうすればいい?」

「そいつぁ、もちろん、これを飲んでもらいまひょうか」


 どん、とソロモンを叩きつけるスキンヘッド。

 レオナはソロモンを見つめる。どうにかスキンヘッドを説得できないだろうかと考えるが、どう見ても酔っぱらってるしこちらの言い分など聞いてくれそうもない。周囲の助けも期待できないだろう。


 そんなに酒、強くないんだけど。


 微動だにしないレオナを見てスキンヘッドはげらげらと笑い声を上げた。


「俺は優しいからよぉ、少し位薄めてもいい――」


 スキンヘッドの言葉が言い終わらないうちに、レオナはソロモンの注がれた容器を掴み、ぐいっと、その液体を喉へと流し込む。ごくごく、と液体を流し込むたびに喉が動く。容器が空になった瞬間、レオナはテーブルにそれを力強く置いた。


 しん、と静まり返る店内。全ての客が目を丸くしてぽかんと口を開けている。まるで時が制止したかのような世界で、


「大して強くないね。わたしを潰したきゃもっと強い酒をもってきな」


 すました顔でレオナは言い放った。


 すると、店内の客からレオナに拍手が送られた。


 なんというか悪い気分ではなかった。これで一件落着。レオナは少年の手をとって酒場から出ようとして、


「待てよぉ」


 スキンヘッドが怒気をはらんだ声を上げた。


「お前が飲んでも意味ねーだろーよー。そっちのガキが飲まなきゃなぁ」

「は? なにそれ? あんた、負け惜しみにしちゃださすぎるよ」


 ぶちっ、とスキンヘッドの血管の切れる音が聞こえた気がした。立ち上がり、レオナに一直線へと向かってくる。どうやら、メンツをつぶしてしまったようだ。


 心中で、レオナは息を吐く。あまり使いたくないんだけどな。

 スキンヘッドが目前に迫り思い切り拳を振り下ろしてくる。その瞬間、レオナはすっと意識を頭に集中させた。途端にスキンヘッドの動きがやけに遅く感じられた。

 レオナは距離を詰めて、スキンヘッドの腹部めがけて右の拳を加減して打ち込む。


 すると、スキンヘッドは白目をむいて仰向けに倒れた。

 客たちは何が起こったのかわからずに、静止している。レオナの一連の動きは、客たちには見えていない。


「酒を飲みすぎたみたいだね。誰か介抱してあげなよ」


 レオナの声で何人かの客たちがスキンヘッドに肩を貸している。

 さて、今度こそ用は済んだだろう。

 

 昔からレオナは不思議な力を持っていた。意識を集中すると、体中の力が増加することがあった。他の人たちも使えるものと昔は思っていたが、どうやら自分だけらしいと気づいた。

 

 気づいてからは、あまり力を使わないように心掛けている。目立てば教団兵に捕まるのではないかと考えているからだ。

 だが、今回は特別だ。


「行こうか」


 レオナが手を引いて、少年は抵抗することなくレオナについてきた。

 

 

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