第105話 初めての桃乃家

 俺は今日この日を楽しみに待っていた。髪の毛も美容室で切りに行って、マカロンも食べて脳内レシピを更新してきたばかりだ。


 ちなみに服も新しいのを用意した。俺のセンスじゃどうしようもないから、かなりシンプルにまとめたがステータスアップで鍛え抜かれた体は、意外にもシンプルな服装に合っていた。


 それにしても人生初めて食べたマカロンは、ホロホロでなんとも言えない食感に俺は初恋した気分だ。


 いや、マカロンには恋していないがそれぐらい美味しかったのだ。それを脳内レシピが材料をしつこく登録してくるため、味を楽しもうと思っても気になってしまった。


 パッシブスキルは基本自動化されているためONとOFFの切り返し機能がついたら、現実世界でも生活しやすいだろう。


 俺はもう一度服装がおかしくないか確認して、桃乃の家のインターホンを鳴らそうと指を置いた。


「ワン!」


 犬の鳴き声がすると急に大きな衝撃に襲われた。


 突撃してきたのは桃乃の家で飼っているゴールデンレトリバーのココアだった。飼い主である桃乃は相変わらずココアに引っ張られている。


 いや、俺が居たから引っ張られていたのだろう。


「今日もココアに好かれてますね」


「称号の影響だろうな」


 称号"犬に好かれる者"を手に入れてから、困るぐらい犬に好かれるようになった。


 この間ふとコボルトに会いたいと思い、現実世界でペットショップに入った瞬間大変だった。


 それまで寝ていた犬達は急に目を覚まして、尻尾をふりながらケージの中でアピール合戦をしていた。


 動物を売るという行為自体があまり好きではないが、流石にあれだけ好かれたら俺も悪い気はしない。


 結局、購入しようか迷っていたお客さんの犬まで俺のところに来たため、あまりの居心地の悪さにすぐに帰ってきてしまった。


「今日お洒落してますね」


「金を稼ぎに行くわけでもないからな」


 桃乃は俺が普段とは違うことに気づいてくれたようだ。シンプルな服装でもお洒落に見えるなら問題ない。若干すでにココアの毛で汚れているが仕方ない。


 ネットショッピングで同じ体型の人を探して、マネキン買いをして正解だった。


「そういえば、材料買っておいたぞ」


 俺は今回作るコロッケのほかに、桃乃の提案でデザートまで作ることになった。デザートに関しては最悪レシピ通りに行かなくても、妹が手伝ってくれるから大丈夫らしい。


 自宅にお邪魔するため、ご家族にも手土産を用意していたものをついでに渡す。


「ありがとうございます」


「いや、こちらこそ休みの日にすまないな」


「最近ずっと休日一緒にいるから気にしてないですよ。中にどうぞ!」


 確かに最近は基本的な桃乃に会っている気がする。彼女のデートの邪魔になっていなければいいが……。


 この間も会社の女子トーク中にもデートの話が出ていた。付き合っている人がいるなら、あまり誘わない方が良いのかもしれないな。


 そんな俺を心配するようにココアは顔を覗き込んでいた。そのまま抱きかかえ、家の中にお邪魔する。


「あっ、お姉ちゃんおかえり。先輩さんも……ふふふ」


 俺の腕の中にいるココアがずっと俺の顔を舐めているからだろう。優しい笑顔で俺の顔を見ていた。


 ココアは久しぶりに抱きかかえられたからか、興奮して、俺の顔はココアの涎まみれになっている。


 最近は新しい仕事が忙しくて、ランニングもあまりできなかったため、ココアと久しぶりに会った。


 コボルト達にも会えていないため、久しぶりに犬らしい犬を補給できた。


 桃乃はココアの足を拭くと、元気に家の中に入っていく。


「よかったらタオル使ってください。洗面台は奥にあるので」


 花梨さんからタオルを受け取ると、俺は洗面台に向かった。


「いやー、今日の花梨さんも可愛いね」


 俺は顔を洗いながらつぶやいていると、突然後ろから声をかけられた。


「先輩、声漏れてますよ?」

 

「うぉ! びっくりした」


 俺に声をかけたのは桃乃だった。今のははっきり聞かれただろう。


「花梨は簡単には嫁に出さないですよ?」


 どことなく無言の圧がかけられる。この間どこかで聞いた覚えのあるワードが俺に向けられていた。


「じゃあ、キッチンで待ってるんで来てくださいね!」


 桃乃はキッチンへ戻っていく。


 俺は顔をタオルで拭いていると、ふと目の前にある歯ブラシが気になった。


 大きな一軒家に住んでいるのに、置いてあるのは青とピンクの歯ブラシ二本だけだった。


「俺の入る隙間はないってことだな」


 俺は桃乃姉妹にも何か事情があるんだと思い、それ以上のことは触れないように心の奥に留めることにした。

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