海峡のガランス

shinmi-kanna

第1話 アストロメカニクールで出会った人

 1970年3月、大阪で日本万国博覧会が開催された。77か国と地域、団体など150以上のパビリオンが立ち並ぶ、万博史上最大の規模であった。

 着工からオープンの日まで、延べ100万人近い人たちが従事し、彼らの努力により、6ヶ月の開催期間中、6422万人が来場し、万博史上初の黒字も達成した。


 困難を極めた工事に就いたのは、全国から駆けつけた技術者と職人たちであった。

 神谷隆一は北海道釧路市の会社から、電気工事士として仲間3人と共に万博建設に派遣された。

 隆一は中学校卒業後、北海道立釧路職業訓練所を終了した電気工事士であった。

 隆一たち3人を派遣した会社は社員数10人の零細企業で、仕事のほとんどは大手電気工事会社の下請けで、万博の工事では大阪の三和大栄電気という会社の下請けであった。


 現場での宿泊場所は三和大栄電気が用意した仮設の飯場で、他の会社の工事士たちとの共同生活であった。

 狭い畳敷の部屋は一人当たり、畳2枚くらいしかなく、布団を敷くとバッグの置き場もないほどであった。

 風呂は別棟で順番待ちの列ができていた。食事だけはパートの女性がいて、毎日美味しい料理を出してくれた。


 隆一にとってはこんな暮らしでも、子どものころに、比べればまだましであった。

 隆一の父は会社を転々とし、母が働く収入だけだけの苦しい生活をしていた。

 中学校を卒業し他の生徒は高校に進学したが、隆一は進学を諦め2年で卒業できて、電気工事士の資格が得られる職業訓練所に入所した。


 万博が開幕すると飯場での暮らしも終わり、北海道に帰る日が近づいたある日、三和大栄電気の番頭(現場責任者)の杉山が隆一に声を掛けてきた。

「お前、北海道へいぬる(帰る)つもりでおるんか。オレやったら帰らへんけどな。

 同じ下請けに川島電気という会社があるやろ、あそこの番頭が『イタリア館はあいつの仕事やろ、よう出来とるわ。仕事は出来そうだしうちに来てほしいんやけどな』と言うとるで」と言った。


 川島電気と言う会社は神戸にあり、ソ連館を請け負っていた。隆一の会社と同じように三和大栄電気の下請けであるが規模も大きく、独身寮も完備していた。

 隆一は寒い冬の日も休まずに、冷たい水を使う水産加工場で働く母のことを考えた。北海道に比べたら大阪も神戸も暖かく、天国のように感じていた。


 隆一は神戸の小さなアパートの温かい部屋で、テレビを見てくつろぐ母の姿を想像した。自分が神戸の会社に就職し母を呼べるとしたら、どんなに喜んでくれることか。これで親孝行ができる思った。


「是非ともお願いします、川島電気さんのお世話になりたいと思います」

 翌日隆一は母が働く水産加工場に電話した。

「父さんも仕事をしてるし、こっちは大丈夫だよ、お前一人でやってみな、母さんも後で行くからね」と母は言った。


 母との暮らしはすぐには出来なかったが、父も働いているし元気な様子なので安心して川島電気に入社した。


 川島電気に入社した隆一が最初に就いた仕事は、明石市と神戸市にまたがる兵庫県営、明舞団地という中層住宅の工事であった。

 明舞団地は1964年から入居が始まり、1万世帯3万人が暮らすマンモス団地であった。

 JR舞子駅からバスで10分。明石駅から約15分の距離にあり、川島電気が請け負ったのは5階建ての中層5棟、100戸であった。


 完成した時隆一はその住宅の素晴らしさに見惚れた。

 隆一が暮らした家は終戦直後に建てられた粗末な木造アパートで、壁の隙間からは容赦なく冷たい風が吹き込み、トタン葺きの屋根からは雨漏りがしていた。

 それに比べるとこの団地の部屋は何と豪華なことか。まるで宮殿のように感じた。


 この部屋で母と一緒に暮らせたら、どんなにか幸せだろうと思った。

 そしていつかこの団地に住みたいと思った。

 その年の冬、母は過労の末床に臥せ、帰らぬ人となった。冷たい雪の日だった。

 父は「お前はオレとは違う。仕事もできる。内地(本州)の娘と結婚してうまくやってくれ」と言った。


 隆一の夢は破れ、心は荒れ、毎夜三の宮の街を飲み歩くようになった。

 ある夜、元阪急ブレーブスの選手が経営する店で騒ぎを起こしてしまった。

 客の男が壁に飾ってあった100勝記念ボールをを落としてしまった。

 ボールは転がり、カウンターの長い脚の椅子に掛けた女性の足元に止まった。

 女性の隣に隆一がいた。

 隆一は親切心でボールを拾おうと思い手を下に出した時、女性は椅子を回転させ、後ろを向こうとした、


 すると隆一が出した手は女性のスカートの中に入る恰好になってしまった。

「キャー!痴漢よ」と女性はけたたましい声を張りあげた。

「こいつ逃がさへんで」と数人の男に追われ、逃げた隆一は歩道に倒れバキッと音がした。気が付くと口から血があふれ前歯が折れていた。

 以来隆一は三の宮には行かず、休みの日だけ大阪に行くようになった。


 ある日、梅田の阪急ファイブ地下に「アストロメカニクール」というディスコを見つけ入ってみた。

 釧路にもシャンデリーというディスコはあったが、貧乏でまだ子どもだった隆一が入れる店ではなかった。


 アストロメカニクールでツイストを踊っていると、過去のことは全部忘れることができた。

 真っ暗な店内にストロボが点滅し、一瞬だけ見える人の顔が母だったり、寮のおばさんのように見えた。


 チークタイムとなり、メリージェーンという曲が流れてきた。

 英語の歌詞で意味は分からなかったけど、何故か切なくて涙が出てきた。

 気が付くと知らない男の肩に顔を伏せていた。


「なんやこいつ、気しょく悪いやっちゃな!」と言い、男は隆一を突き飛ばした。


 立ち上がった隆一に「兄ちゃ血ぃ出とるわ、これ使いな」とハンカチを出してくれた女性がいた。

 彼女は3人組で「うちらな神戸から来とるんやけど、兄ちゃんはどこから来はったん?」と聞いた。

 もう神戸に1年以上暮らし、関西の言葉にも慣れた筈なのに、彼女の言葉と声は

 天使の声のように聞こえた。


「ボク釧路から来ました」と言うと彼女は「クシロ?聞いたことあらへんな」と言った。

 彼女の率直な言い方がなぜか、母に言われているように感じた。

 気取った優しい言葉より、神戸の人のやや荒っぽい言い方が隆一の心に響いた。

「うちらな、このまま寝んと2001年宇宙の旅を見るんやけど、兄ちゃんも一緒に行かへんか?」と誘われた。


 映画2001年宇宙の旅は2年前に封切られていたが、梅田ではまだ上映されていた。

 午前5時ころ梅田地下街で、噴水の近くにある喫茶店に入った。

 他の二人はすぐに寝てしまった。

 彼女は「冷コー四つとモーニング」と4人分の注文をし、「これ全部うちらで食べてもええよな」と言った。気取らないその態度に隆一は、自分がすでに彼女に恋しているのを感じた。


 喫茶店を出て阪急東商店街をぶらぶら歩き、映画が上映されるまで二人はしっかり手を握りあっていた。

 映画の冒頭でリヒャルト・シュトラウスの 「ツアラウトストラはこうこう言った」が流れてきた。

 隆一は全身に鳥肌が立った。その後、ヨハン・シュトラウスの「青き美しきドナウ」が流れてきたとき、隆一は抑えられなくなって隣に座っていた彼女の首に手を回し、キスをした。

 周りの目を気にすることもなく、大胆な行動をした自分に驚きながらも、拒否しなかった彼女が愛しくて、母が亡くなって折れていた心が立ち直ったのを感じた。


 それからは二人だけのデートを重ねるようになった。

 ある日、隆一が携わった明舞団地を二人で見に行った。

「ええとこやな、うちらもこんなとこに住みたいな」と言い、彼女は自分たち二人はすでに結婚するのが当然という気持ちになっているようであった。


 その後二人は舞子海岸を歩いた。明石海峡の向こうに淡路島が見えた。

「うちなほんまは淡路の由良の出なんや、今度一緒に行こな」と言った。

 海峡の距離は約3キロ、達者な者なら泳いでも行ける距離である。

 波打ち際を裸足で歩いた。波が引く度に足の裏を砂が流れて行った。

 

 

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