キャンパスライフ

悠木葉

キャンパスライフ

 鉄板が野菜を楽器として、キッチンをステージに音を奏でる。今日の夕食は野菜炒め。格好をつけてフライパンを振りながら炒めていく。自分がプロの料理人へとジョブチェンジしたかのような感覚を体全体で存分に受けながら炒める。炒め、味もつけ終わったそれを純白の皿に盛り付け、リビングへと持っていく。次はウエイターだ。六畳ほどの小さな部屋の端にぽつんと置かれたテーブルに皿を置き、続いて箸とコップ、白米の盛られた茶碗、インスタント味噌汁が入ったお椀を見栄えのいい配置で置く。すべてを運んだあと、最後に己をテーブルの前に持っていく。僕は客だ。ローカルバンドのステージのようになっているテーブルには目もくれず、さっさと箸を持ち、夕飯を口へと運ぶ。大きめのスマホスタンドに立てかけられたタブレットで洋画を鑑賞しながら、ゆっくりと摂取していく。映画が五合目に差し掛かったあたりで夕食を食べ終え、誰もいなくなった皿を楽屋もとい流しへと持っていく。しっかりと水につけ、そそくさとテーブルと向かい合わせになりに行き、映画の続きを鑑賞する。エンドロールまで映画を存分に楽しんだ後、再び流しへと向かう。少しずつ、遠くにかすんで見える山が色気づき、僕の住むマンションの敷地内に植えられている木々がその山の景色に見惚れ、顔を赤らめ、心を奪われる季節。ところどころに見える青紅葉が、彼女が化粧に慣れていないことを示しているようで、その初々しさたるや僕までも心を奪われてしまいそうになる。秋のちょうどいい気温で最適に調節された水道水で皿やフライパンを洗う。一流のシェフかと思っていたが、見習いの皿洗いであったことに少し残念さを感じながら、黙々と洗う。

 一人暮らしであるために大量の皿を洗わなければならないわけではなく、ほどほどの量の食器を二、三十分ほどで洗い終える。ただでさえ実家の二分の一ほどの広さしかない流しを、洗い終えた食器を乾かしておくための網がさらに圧迫する。都会の喧騒を背景にした満員電車の中のような様相は、食器の表面を撫でる玉のような雫もあいまって、真夏の大都会の退勤時のラッシュのように見えた。心の中でそっとサラリーマンにねぎらいの言葉を掛けながら、今は過ぎた夏の夜のやかましさを思い出す。時計は八時三十分を指していた。

 秋というものは、一日における立ち位置としては夕から晩くらいなのだろうか。一日は深夜の十二時から始まるが、春に夜のイメージはないし、「春はあけぼの」だなんだと天下の清少納言様も仰っているので、まあ春は朝だろう。六時から十二時。夏は十二時から十八時。秋は十八時から零時。冬は零時から六時。こんなところだろうか。申し訳程度にかけられた時計を見て、今はちょうど秋であることを確認する。今日は、特にこれと言ってしなければならないことは、もうない。お風呂には入らなければならないが、それ以外には何もない。課題も特になく、これは文系学生の利点である。理系のほうは、聞くところによるとめっぽう忙しいらしく、毎日ひいこら言っているようだ。だが、いくらやることがないからと言って、ここでただ徒に時を費やしてしまっては意味がない。暇が生まれるからこそ、それをどう使うかで差が生まれてくる。誰でもわかるようなことをどや顔で言う自己啓発本に書かれていそうなことを考えながら、風呂に入る。湯船につかっている間は、持ち込んだスマホで本を読む。本は紙媒体が一番だという考えを持っているが、風呂、満員電車などといった限定された場面では紙媒体は電子書籍の足元にも及ばない。なにせ濡れてしなしなにならないし、手の自由度が違う。自分の好きなほうを妄信するのはよくない。主観を大切にしつつ、客観的な視点も忘れないことが大切だ。


******


電子書籍ではあまり本は買わない。紙が好きだからだ。紙をめくる感じ、反射する優しい光、重さ、手触り、音、並べた時の見た目。そして何よりもインテリな感じ。こういったことをもろもろ考慮して、紙が良い。インテリな感じは、やはりモチベーションの維持において必要不可欠だ。本を読んでいる自分が格好良く思えるなら、その自分を再現することが読書のモチベーションになる。最初はそんな邪な動機でもいい。読み始めると、いつしか読むことが楽しくなる。やる気が出る。作業興奮ってやつだ。何事も始めるためのアクションのハードルが大きいだけで、その後はどうってことはない。いかにやり始めのハードルを小さくするかが大切だと、僕は思っている。

 まあそれは良いとして、とにかく僕は、本は紙で買っている。小さな部屋に三段ラックやら、実家から持ってきた本が入っている段ボールやら、邪魔ったらありゃしないが、まあいいとしよう。紙と電子。この二つを使い分ける僕にとって、どの本を紙で買うか、電子で買うかを考えるのは重要だ。まず、いわゆる大衆小説。ホラー、ミステリ、青春、SF。こういったものや現代の小説は基本紙を買う。又、評論などの、知識を求めるために読む本などに関しても紙媒体で買っている。対して、純文学、というより、『人間失格』や『羅生門』をはじめとした近代あたりやそれ以前に出版された小説は電子で読んでいる。この区別は単純で、著作権が切れているからだ。著作権が切れている小説はインターネットで無料で読めることがある。一人暮らしの貧乏学生にはありがたい。ということで、こういった区分にしている。

 今晩の風呂で読む小説は織田作之助の『夫婦善哉』。地元にゆかりがあるらしいという理由で決めた。ライブ会場のように、ほんの少し空気がぼやける浴室の中で、本を読む。いつの間にか、スモークが消えていることも、電球色で照らされた東京のアパートの浴室が、モノクロの大阪に変わっていることも、浴室の証明にも似ているようでそうでもない、秋の葉が木々の足元に散らばり、雪のように積もっていることもわからないほどに、ただ熱中していた。


******


 東京に星の数ほどある浴室の一つに帰ってきたのは、スマホの時計が二十二時二十五分を示していたころだった。一時間半にも迫るほどの時間、湯船につかりながら本を読んでいたおかげで頭が少しくらくらする。熱中症のようだ。いや、ただの脱水か。そんなことはどうでもよくて、さすがにのぼせたので風呂から上がる。寝巻に着替え、コップ一杯の水を流し込む。少し楽になった。二十三時ほどまで体を休ませ、パソコンと向き合い、キーボードを叩く。エンターキーをパチッと叩く奴はただの痛いやつとだと今までは思っていたが、明らかにエンターキーは大きな音が出る。アルファベットや数字の書かれたキーと同じ強さで叩いても、エンターキーのほうが大きな音が出る。おそらくエンターキーパチパチはメーカー推奨なのだろうとどこかで納得させ、己も先人に倣うかのように叩く。パソコンを使いこなす自分に酔いしれながら、ワンルームに、カタカタパチという音を小気味よく響かせる。それが三十分ほど続いた。


******


 時計は十一時三十分過ぎを指していた。パソコンを閉じ、本棚として利用している三段ラックの上にある、一段しかない、五冊程度しか入らないほどに小さな本棚から一冊本を取り、ベッドに飛び込む。小さな本棚は、いま読んでいる本や図書館から借りた本などを置くものとして使っている。読んでいる途中の本を本棚に入れて毎回取り出すのは、僕のどこかが許さないし、かといって机にポンと置くのも邪魔だし汚れるのは嫌だ。図書館から借りた本も同じように、借り物を自分の本棚には入れたくないし、机に置くのも邪魔だし汚したくない。というよくわからない個人的なこだわりで、小さな本棚を使っている。

 部屋の電気を消し、枕もとの小さなライトだけを点ける。ライトを置いている台に水を入れたコップを置く。またもや電球色の優しい光が部屋の中をうっすらと照らし、水面に反射する光が目に入る。部屋のライトは白くていいけど、こういった手元を照らしたり、夜に少し明かりが欲しい時は電球色に限る。変に強い刺激を受けないから、目が覚めない。淡い光を利用して、就寝前の読書をする。今回は青春SF小説。タイムリープして想い人を救うというありきたりな設定の作品。十二時を回ったあたりまで読書をし、切りのいいタイミングでしおりを挟む。台に本を置き、コップが倒れても水が本にかからないように、残っている水を飲み干す。少し寝相が悪くなってコップに手がぶつかっても、これで問題はない。安心して寝れる。明日は土曜日。とくにこれといった用事のない退屈な休日で、夜更かしすることもできるが、昼に起きてしまうとどこか貴重な休日を無駄にしてしまったように感じてしまうし、その日一日の気分が上がらないことを経験的に知っている。愚者は経験から学ぶが、僕の経験もまた歴史の一部であることには変わらないので己は賢者であるし、経験からすらも学ばないのは愚者にも成れぬ救いようのない阿呆であるという考えのもと、ライトを消す。ワンルームにも夜が侵入してくる。夜の帳がとっくに下りていることをおとなしく受け入れ、それに倣うかのように、目にも帳を下す。アラームをセットし忘れていたことに気付いたが、休日なのでいいかと楽観的にとらえ、睡魔に膝枕してもらうことにした。


******


 太陽に優しく起こしてもらう。時刻は八時三十分。レースカーテンを貫通する朝の陽ざしが顔を直撃し、自然と目が覚めた。上体を起こし、コップと本を持ってベッドを後にする。本は小さな本棚になおし、コップは流しで洗う。洗い終えたコップを網に置き、乾くのを待つ。その間に、目覚ましもかねてシャワーを浴びる。夜の風呂よりも冷たい温度で出力し、目を覚まさせる。風呂に入ることは大切だが、入りすぎると必要な油分なども洗い流してしまい、かえってよくないと聞いたことがあったので、軽く浴びる。浴室から出て、しっかりと体を拭く。秋にもなって少し肌寒くなったので足早に服を着て、洗濯物を回す。その間に歯磨きをしながらスマホをいじる。昔はよくソシャゲをしていたが最近それをする気分でもないので、スマホを触った時は映画やアニメをサブスクで観るか動画サイトで何かを見ている。歯磨きが終わったので口をゆすぎ、食器棚から新しいコップを取り出し、冷蔵庫の中で冷やされた水を入れて、一杯飲む。体の内からもすっきりしたところでやっと朝食を作る気になった。最近は同じものばっかりになるが、朝はベーコンと目玉焼き、わかめと油揚げの入ったみそ汁と前日の残りの白米だ。朝からいちいち献立なんて考えるのは面倒だったので、毎朝同じものを食べることにしている。だらだらと動画を見ながら朝食を食べた後、散歩に出かける。おっさん臭いというか、年寄りな感じだが、朝日を浴び、運動をすることで気分が上がるので、できるだけ散歩するよう心掛けている。もちろん面倒なときもあるが、その気分を吹き飛ばすためにもどうにか散歩には行くようにしている。


******


 イヤホンとスマホという最低限の装備だけを手に、外に出る。軽快な音楽を聴きながら晴れた街を闊歩するというのはとても気分がいい。寝巻でも別に散歩してもいいが、外向けの服よりも、どこかニートのような、浮浪者のような、そんな印象を与えてしまうので、外向けに着替えてから散歩に行くのをお勧めする。三十分から一時間の間、気分で街を歩き回る。太陽の温かさが服の上からじんわりと伝わってくる。一歩一歩、地面を踏むたびに血が巡るのが分かる。九月の何回目かの土曜日。朝からスーパーへと向かうのであろう老人や、おしゃれをした若者。それぞれが午前の町を歩いている。

 ある程度散歩して満足したので、自分のアパートに戻る。手洗いうがいをすませると、前日の夕飯時などに使った椅子に座る。机にパソコンを置き、立ち上げる。すぐに立ち上がる優秀なパソコンに倣うかのように、僕も座ってすぐに立ち上がる。飲み物を忘れたからだ。コップにカフェオレを注ぎ、ポテトチップスを一袋、机に持っていく。好きな時に好きなものを食べても、誰にも咎められないのは一人暮らしの特権だと言えるが、ただその分自己管理をしなければ太るばかりのため、一概には良いとは言えない。幸いなことにあまり脂肪のつく体質ではないためどうにか助かっているというのが現状で、そろそろこういうのもやめるべきだと悟る大学一年の秋であった。半年以上一人暮らしをしていると、はじめは楽しかったこれも、いつしか悪いところばかりが見えるようになってきた。倦怠期のようだ。実家のありがたみをこれでもかと思い知らされる。

 キーボードが汚れないように、箸でポテトチップスをつつきながらパソコンをいじる。おお菓子を箸で食べるなんて、とか思っていた時期は僕にもあったが、確かにこれは便利だ。汚れる心配などを一切しなくていいというのは大変ありがたい。考えることが減るので、その分の脳のリソースを他のことに割くことができるようになり、作業効率が上がったような気がしないでもない。おそらくそんなことはない。


****** 


 適当にパソコンを触っていたり、本を読んだり洋画をみたり、だらけていたらいつの間にか日付は変わっていて、日曜日の夜になっていた。二十三時。寝る前のルーティンとして、まずパソコンを立ち上げ、三十分ほど触る。その後、ベッドに入り本を読み、睡魔を誘う。十二時になったあたりでいったんは読書を切り上げ、電気を消して、眠りにつく。本当に寝られないような日は、この後さらに読書をして眠くなるのを待つ。今日は眠れそうなので、このまま眠りにつくことにする。明日の講義で使うペンケースなどを用意していないことを思い出したが、未来の自分に丸投げする。今夜は眠りにつくと決めたのだ。


******


 月曜日、アラームの音と朝の陽ざしで目が覚める。時刻は七時三十分。どうにか気合でベッドから離れ、目覚ましもかねてシャワーを浴びる。着替えて、歯磨きをして、その後いつもの朝食をとる。

 その後、いろいろと雑務をこなしていたら、八時は四十五分になっていた。大学と近いアパートから自分の自転車で走りだす。五分もすると大学が背の高い建物の間から顔を出し、僕を出迎える。駐輪場に自転車を止め、足早に講義で使う指定の講堂へと向かう。

 広い講堂には、無数の椅子があるが、大体は初回の講義で座った席で固定される。自由席ではあるものの、帰巣本能とばかりに皆が同じ席を使う。それは僕も例外ではなく、前回座った席に、己の専用座席かのごとく当然のように座る。そして眠気を我慢しながら、イルカのように半分寝ながらどうにかこうにか講義を乗り切って、食堂に集まる友人のもとへと向かう。さっきまでとてつもなく眠たかったというのに、なぜか休み時間となると眠気が吹き飛ぶ。眠くなってはいけないときに眠たくなり、眠くなっても良い時には眠たくならないという、この欠陥構造をなぜ進化の過程で淘汰しなかったのか甚だ疑問だ。講義のない時間は友人と談笑し、ある時はそこそこ真面目に受講する。それが無数に繰り返される大学構内は外界とは違った時空間の進み方をしているようにも感じられる。西洋と東洋の時間概念の違いのようで、少し面白さを見出す。

 ふとした時には、すでに空は橙色に染まっていた。西からその色は始まり、東の方向へ進むにつれて暗くなっている。美しいグラデーションにちょっかいをかける雲もまた、空と同じようなグラデーションがひかえめにかかり、良いアクセントとなっていて、これもまた快晴の夕暮れとは違った魅力がある。そんな空に見下ろされながら、帰路につく。一日が終わる気配を感じ、また一日分、年を取ってしまったことに少し悲しさや寂しさを感じながらも、新鮮な明日に思いを馳せる。過ぎゆく今日に未練を感じながら、来る明日を心待ちにする。矛盾しているような、相反するような気持ちを抑えていると目の前にアパートが見えてきた。自転車を止め、自分の部屋へ向かう。今日との決別と、明日を迎える準備のために鍵を開け、部屋の中へと消えていく。


******


 ワンルームで一人、パソコンのキーボードを打ち続けている。最近の趣味だ。読書という趣味の延長で、自分も小説を書こうと思い立って、こうして書いている。面白い作品の設定が脳内を休みなく駆け巡り、頭で考える前に指がキーボードを叩き、完成した作品を投稿すると瞬く間に人気作となり、即書籍化。そんな妄想は物書きならば誰でもしたことがあるかもしれない。実際はいまいちな設定ばかりが頭に浮かび、設定の矛盾や物語がご都合主義的にならないようにするのも案外難しい。僕の場合プロットを作らないのでなおさらだ。面白い設定が浮かんだとしても、それを面白く書けるかはまた別で、思った通りに事が運ばない。言葉が言うことを聞いてくれない。自由奔放な言語を巧みに操る有名作家のすごさを、創作という新しい趣味を通じて理解した。部屋の三段ラックに並べられている作品の作者に尊敬の意を示す。思い通りにならないのは不快ではあるだろう。ただ、書くこと自体は楽しいので、どうにか続いている。


******


 毎晩、少しずつ作品を書き進めてきた。そしてようやく、完結させようと思うところまで来た。五千文字以上ではあるが、一万字にも満たない、短い作品。それでも、この作品をここまで作り上げたという達成感は十分で、愛着もある。面白いかは別として。作品もクライマックスに達し、最後までしっかりと書き上げたい、今日でこの作品を完成させたいという思いのもと、黙々と書き続ける。

 今日は木曜日。明日は講義があるが、昼からしかないのである程度夜更かしができる。完成まで粘ることができる。時間は一時を回っていた。木曜日はすでに昨日となっていて、金曜日が今日になっていた。思いのほか集中していて、もうこんな時間なのかと、時間の経過を早く感じた。あまり生活習慣を乱したくない。一人暮らしの弊害として、生活習慣は己しかコントロールできない。一度崩してしまうと、それをなおすのは大変だ。だからそろそろ寝たいが、あと少しで終わりそうだったのでどうにか耐える。

 最後の段落に入った。これでもう作品は完成する。終わらせる。残りは、あとがきだけだ。

これを書ききって、眠りにつくとしよう。


******


あとがき

 

 この作品は、僕の大学生活を基にして今現在進行形で書いている作品だ。日記に近いかもしれない。そのため、あまり物語に「やま」というものはない。物語世界の住人ならばともかく、現実世界にそんなものはあまりないだろう。他人の人生なんて面白くないということは、この作品からもわかると思う。みんなこんなものだ。せっかく自分を物語の主人公にするのなら、もっと欲望を詰め込めばいいと思う方も読者の中にはいるかもしれないが、そうしてしまうと、いつのまにか欲望の充足が最優先のものになってしまい、物語世界の設定という名の秩序が崩れかねない。そういった考えのもと、これを避けるために できるだけ事実に即して書いた。想像していたキャンパスライフではなかったものの、落ち着いた生活というのもどこか知的な感じがして、入学当初は少し不満だったが、今はそれなりに満足している。この感覚を自分以外にも共有したくて、これを書いている。書いている時は、ジャズを聴きながら酒を片手にバーでくつろいでいる自分を想像していた。冷静で、知的な自分を想像していた。まだ酒の飲める年齢ではないが。

 ロックばかりが人気なわけではなくて、ジャズのような落ち着いた音楽も一定数の需要・人気があるように、こんなキャンパスライフ―というより「大学生生活」と表記したほうがどこかしっくりするだろうか。―もまた一般的に想像するキャンパスライフとは違った魅力があって、満足している。僕の性格的に、これくらい落ち着いたほうがいいというのもあるかもしれない。

 キャンパスライフの一興を伝えたくて、自分自身の生活を基に作品を書いたが、プロットを作成していないこともあり、着地点を決めていなかったので、終わろうにも終われない。読者諸君には少し申し訳のなさを感じるが、ここらで無理やり幕を下ろさせていただく。僕はもう寝る。おやすみなさい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

キャンパスライフ 悠木葉 @yuukiyou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ