三十三、燃える森
二百年前、ファブール王国にはいくつもの魔女の森があった。
主を失い枯れていった森もあれば、人間との争いによって消失したものもある。
ファブールの魔女の森はたった一つを残して失われてしまった。
その一つは如何様にして生き残ったのか。
何本もの火矢が打ち込まれる。
森のあちこちで火の手が上がった。
延焼はしない。
始めに上がった炎すらたちまちのうちに勢いを失い、森にはわずかな焦げ跡が残るだけ。『迷いの森』にかけられた魔法と、ユイルが新たに発動させた魔法とが生み出した水の流れが、意思を持った生き物のように森中を駆け巡り、小さな火の粉の一粒までをもさらって行った。
それと同時に、もうひとつの魔法が発動する。
打ち込まれた矢を拾い集めたのは、森の中に生じた魔法の風だ。
無数の矢が木々の上空に留め置かれる。
天空から地上の鼠を狙う猛禽のように、遙かに高いところから反撃の狙いを定める。
二百年前ならば、その姿だけでも相手の戦意をいくらか奪うことができただろう。
しかし射手に向かって突き返された矢は、大きく頑丈な置盾にあっけなく跳ね返されただけだった。
「どうする? こちらの反撃が何も通じていないんじゃあ防戦一方と変わらないよ」
さっきの威勢はどこへ行ったのやら、マルシャンがおろおろし始めた。
「しかしあいつら、街の人間がいるっていうのに平気でしかけてくるねえ」
オネットがフンと鼻息を荒くすると、
「リッド! あんたそんななりをしてるんだから、あっちの陣に行ってガーッとかき回すくらいしてこいよ」
それ以上に熱く荒々しい剣幕でサージュがまくし立てる。
「あんなこと言ってるけど、どうする?」
リッドはユイルに問いかける。
「こちらからはあくまで攻撃はしない。森とみんなを守るのが最優先で、隙を見て話し合いを持ちかけるわ」
「こう言ってるよ」
今度はサージュやオネットに向かって言う。
街の人たちは顔を見合わせ「ユイルがそう言うのなら」と引き下がった。
持久戦かとリッドはため息を吐いた。それがしっかりユイルの耳に入ったようで、彼女は渋い顔でこちらを睨みつけている。
「何かご不満?」
「いや、そうなるとどちらが有利かなと思ってさ」
「前は退けられたわ」
「二百年前は、だろ」
ラパスの言葉を思い出せば、この二百年の間に兵器もより強力なものになっているという。森を焼くためのものがこの火矢だけで終わるとは思えない。
前進を続ける兵たち。彼らの武器の中、何よりも威圧感のある大きな砲身が見える。あの大砲による攻撃はまだ行われていない。
「ぬるい攻撃を――。しっかりと狙わないか! 攻撃の手を休めるな!」
兵たちの陣に指揮官の声が響く。
すぐに返事は聞こえてこない。にじり寄るようなざわめきのあと「しかし」と兵の一人が思わずこぼした。
ギロリと兵らに向けられた眼は声の主を探しているが、誰も彼も目を伏せてしまっている。ひとり遅れたものがその餌食となったが、彼は素直に
「あれを攻撃するのですか」
と問うた。
誰かがごくりと唾を飲み込む。多くの兵がその顔に戸惑いの色をのせていた。
彼らには森の前に陣取ったシャルムの住民の姿が見えていた。
「あれが魔女のやり方だ。お前らまで惑わされてどうする」
しかし未だ兵は動かない。
「我が軍に刃向かう者に情けはいらぬ。総員、かまえーっ!」
有無を言わさぬ号令に兵たちは戸惑いながらも武器を構えた。ふたたび火矢を構える者。大砲の照準を調整する者。
そのうちの一つの班に向かって指示が送られる。
兵たちは今一度互いの顔に目を遣って一人一人と頷き合った。
最後に頷いた者が大砲の後部に寄りそった。すでに火薬と砲弾が詰め込まれている。若い兵はその点火口に火縄を近づけた。なるべく森の方は見ようとせずに、その一点に気を向けた。
火矢による攻撃が続いた。
一度目は二百年前とさほど変わらぬ攻撃だった。
二度目からは手を焼いた。
火薬筒をくくりつけた火矢は森の上空で弾け可燃性の物質をばらまく。どろりとした油様のそれが葉に草にこびりついて魔法による消火を妨げた。
「君の魔法だけでは弱い。僕らを使ってでもいいから何かできないか? たとえばどこかから水を持ってくるだとか、道具を使うだとか」
魔女の持つ知識量ならば何とかなるだろうとユイルに呼びかける。
「魔女だからって何でも知ってるわけじゃないって言ったでしょ」
そう言いながらもユイルは難しい顔をして考えを巡らせている。
「基本的には私とあなたで、爆発する前に矢を止めるしかないわ」
「完全に止められるならその作戦に反対はしないよ。だけど全部というのは無理だろう? だとすると、取りこぼした分はどうするか、だ」
「それは……」
「街の人に消火活動を任せるにしたって、この辺りに水場らしい水場はないし無理がある」
「…………水がなくてもどうにかなるかも」
ユイルは辺りを見回して言った。
「森を少し入ったところにグウルドの木が生えているわ。丸太みたいな大きなものは無理でもそこから葉や枝をいくらか運んでくれば――」
「ああ、『精霊の水瓶』か」
マルシャンがぽんと手を打った。
筋肉自慢の男たちが隣りで首を傾げる。
「幹に傷をつけるとどばどば水が噴き出すという不思議な木だよ」
祖父から聞いたことがあると言うマルシャン。一方で多くのものは初めて聞いたという顔で辺りの木々に目を遣った。
「『どばどばと』というのは大袈裟だけど、大量の水を含んでいるというのは本当よ」
昔はファブールのあちこちにあったが、今では魔女の森でしか見かけない貴重なものだという。
「それで火を消すと?」
サージュが怪訝な顔をしてみせた。
「いえ。そこまでの効果は望めないと思う。でもうまくいけば延焼の速度をいくらか遅らせることができるわ」
「そうだとして、どうやってその枝や葉を持ってくる?」
木があるのは入り口付近とはいえ確かに森の中である。
ユイルがリッドの顔をじっと見た。何を言いたいのか、言おうとしてためらっているのか容易に想像がついた。
「取りに行っている間僕が一人で食い止める、と言えばいいのかい? そうするのが最善だろうから言われればそうするけれど」
言うとユイルはむすっとふてくされたような顔をした。
「違ったの?」
「違わないからよ。あなたに負担がかかりすぎるとわかっているのに、それしか方法が浮かばないのが悔しいの」
「魔女だからって何でも知っているわけじゃないって、君自身がそう言ったんじゃないか」
馬鹿だなと笑うとユイルはいっそう険しい顔をしてリッドを見つめた。
「こんなひどいお願いをしてもいいの?」
「構わないけれど、そんなに長くはもたないだろうから、できるだけ早く済ませてくれると助かるよ」
リッドはいくらか冗談を含んだ物言いをしたつもりだった。しかしユイルは変わらず真剣な眼差しを向けてくる。
「すぐに戻ってくる。約束するわ」
ユイルが思い詰めたような顔をして言った。
「馬鹿だな」
リッドは笑ってユイルの頭にそっと手を置いた。怒られるかもしれないと思ったけれど、そうせずにはいられなかった。
「約束なんていらないよ。だからここは僕に任せて行っておいで」
リッドの手のひらの下でユイルはしっかりと頷く。リッドも応えるように頷いて、ユイルと街の人たちの多くを送り出した。
いくらか残った人たちがリッドをじっと見つめ指示を待つ。その中にサージュの姿もあった。
自然と目が合った。
こんなときなのに、サージュは「答えはわかったのかい?」などと聞いてくる。
リッドは首を横に振った。
「答えは、まだ出せていない。だけどこの光景を見ていたら、何とかなるような気がしてきたよ。だってここにはヒトと魔女と、よそ者で獣人の僕がいて、それなのにみんな同じ方向を向いているんだから。一緒に食事したいって気持ちがあれば、そう想い続けていれば、きっと何とかできる。何とかなるまで、僕は何とかしてみようと思う。だから今はこの事態を乗り切ってみせるよ。……そうだな、まずは、一緒に食事したいって言わなくちゃね」
リッドは言い切って、サージュから視線をはずした。視界の端の彼女は笑っていたように見えた。それがとても心強く思えた。
リッドは街の人たちに向かって言った。
「僕はこれから死に物狂いで何十、何百の矢を落とすだろう。だけど僕は『僕に続け』などと言う気はない。ただ僕の姿に何か思うところがあったのなら、その場合はどうか手を貸して欲しい。ここにいて、ひとつでも多くの火を消して欲しい。ファブールの魔女が――あなたたちの古くからの友人が、あなたたちの仲間とともに、きっと希望をたずさえて戻ってくるから。それまでの辛抱だ」
彼らがどんな反応を示したか、じっくりと確認するような余裕は与えられなかった。
無数の矢が山なりに飛んできた。
燃料を積んだ矢が自身の重みも利用して、急降下で森に迫る。
その攻撃を防ぐべくリッドは跳んだ。
片っ端から届く限りの矢を掴み、くわえ、火薬筒が弾ける前に森とは離れた場所に突き返す。
掴まえきれなかった数本が森に到達し木々に燃え移る。人々がそれを素早く消火しにかかったのを見つけて、リッドはまた次の攻撃に備えた。
あと何回、これを堪えることができるだろうか。これよりもずっとずっと強力な武器はいつ登場するのだろうか。
その答えはきっと希望とは縁遠いものだとわかっているのに、リッドの口もとには自分でもどうにもならないような不敵な笑みが滲んでいた。
前方、敵陣で大きな爆発音が鳴り轟音と共に砲弾が放たれてもなお、その感覚は途切れることがなかった。
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