第11話 ―蒼緒― A Bride and a Vampdoll 2

「うんうん、いいよな。そうだよ、いい……………………って、……えええええぇぇぇぇぇぇ!?」


 衣蕗いぶきが目を丸くして後ずさる。蒼緒あおだって吸血される時はあんなに恥ずかしがってるくせに、と言わんばかりの顔だ。

 ……いやそんなに抵抗されるとそれはそれで傷つくんですけど!? 私貴女の〈花荊はなよめ〉ですよね!?

 

「あ、蒼緒は嫌じゃ……ないのか?」


 い、嫌ではないって言うかむしろ嬉し……いやいやいやいや、それだと私がえっちな子っぽいけど、そりゃ誰だって好きな人と触れあえたら嬉しいっていうか、決して嫌ではないけど、嬉しいって言うとえっちな子っぽくてそうじゃなくて。(〇・一秒)

 

「――わ、私だって恥ずかしいけど……。で、でも、少しでも楽になるなら早く血を吸わないと……!」

 

 お互いに顔が真っ赤だ。

 赤い顔のまま蒼緒が言うと、衣蕗があからさまにしゅんとなって眉尻を下げた。捨てられた仔犬か。

 

 いやいや、こっちだってめちゃくちゃ恥ずかしいんですけど!? なんで私が悪いみたいになってるの!? 貴女が怪我したからですけど!? ていうか吸血が苦手な〈吸血餽〉ってなんなのよ。血ぐらいすんなり吸ってよ! ヘタレ衣蕗ちゃん!

 

 ……とは思うが、結局のところ蒼緒はいつだって自分の不都合より相手を優先してしまう。これは性分なのだ。

 だから特務機攻部隊の仕事だって、怖いけれど実はやりがいを感じている。いやもうほんとに怖いけれど。衣蕗は「なんで身も知らない人間のために」なんて悪ぶって悪態をつくが。

 でもそう思うのは、きっと、幼い頃衣蕗に助けられたお陰だ。怖かったはずなのに〈狼餽〉から助けてくれた。だからこそ自分が〈狼餽〉から逃げるわけにはいかない。あの日の衣蕗に恥ずかしくない自分になりたかった。

 知らない人でもいい。邪険にされてもいい。それでも誰かが傷つくより、傷つかない方がいい。

 それを言うと衣蕗は「お人好しめ!」ってむっすりするけれど。

 でも、そう思わせてくれたのは彼女なのだ。

 

 それはそうと傷は浅くない。衣蕗と二人して恥ずかしがっている場合なんかじゃない。決意を込めて顔を上げた。

 

「あらあら、〈花荊〉の方がよっぽどしっかりしてるじゃない」

「……だね」

 

 蒼緒は衣蕗を見つめた。

 

「衣蕗ちゃんは……、私の事、嫌、……なの?」

「はあああああああ!? ど、どどど、どうしてそうなる!? 蒼緒の事は……………………っ嫌……っ、な、わけな……っ、いや、あの、その。私が言ってるのは吸け――っ、いや、吸血だって嫌なわけじゃ、…………っ!」


 衣蕗の顔が真っ赤になる。けれど冷や汗もたくさん出てて。……やっぱり嫌なのかな?


 衣蕗が助け舟を求めるように雪音を見る。……が、雪音がツーンと顔を背けた。〈吸血餽〉同士なんだから協力しろよと衣蕗の顔に書かれているが、素知らぬ顔だ。衣蕗が、息を飲み、困り果てて言う。


「い、嫌じゃない! きゅ、吸血も、あ、……………………蒼緒も!」


 衣蕗は「言っだぞ!」とばかりにぎこちない笑みを浮かべるが、蒼緒の顔は晴れない。

 

(でも、それってやっぱり、……好きじゃないって事だよね)


「!?(なんで!? 嫌じゃないって言ったのに!)」


「……ねぇ。さっさとしてくれないかしら、この二人」

「まあまあ。僕は初々しくて楽しいけど」

 

「じゃあ、……いいの?」

「……………………うん、」

 

 二人してもじもじしていると、雪音がパンと手を叩いた。

 

「はいはい、決まりね。吸血なさい、今すぐ、さっさと! じゃないと貴女たちに付き合ってたら、日が暮れちゃうわ!」

「ひぃぃぃ!」


 二人分の悲鳴がこだました。



          *

 

 

 結局、吸血する事になった(当然だ)。 

 ――が、せめてもう少しひと気がない所、かつ雪音たちに見られない所で、と泣きついた衣蕗のために、工場裏手の倉庫などが立ち並ぶ路地裏へとやって来た。

 

 とは言え、少し薄暗いものの屋外である事には変わりない。二、三間――三・六〜五・四メートル――先の通りには見張りのための雪音と紗凪がいる。声を上げれば、聞こえてしまう距離だった。

 

 兵舎の室内とは違う雰囲気に、蒼緒は息を飲んだ。

 ……恥ずかしくないと言えば嘘になる。ていうかいつも以上にめちゃくちゃ恥ずかしい。

 だって、外で……なんて。

 ……声、絶対我慢しなくちゃ。


「ほ、ほんとにいいんだな……?」

「うん……」

 

 薄暗い裏通り。そこで壁を背に向かい合う。いわゆる壁ドンというやつで。

 なんだかいつもより、ドキドキ……してしまう。

 それは彼女も同じなようで、いつも以上に顔が赤い。

 ……気まずい。

 ——と、彼女が自分の外套を脱いだ。雨を避けるみたいに二人ですっぽりと被る。

 

「……この方が、外から見えづらいだろ……」

「……あ、ありがと」


 ……不器用なくせに気遣いが嬉しい。

 そういうところだけは優しくて。

 

 蒼緒は小さく息を吸い、意を決して軍服の詰襟に指を掛けた。ボタンを外していく。……と白い下着コルセットが見えてしまう。いつもの事なのに、なんだか余計に恥ずかしい。

 そう思ってちらりと衣蕗を見ると、彼女が目を泳がせた。

 

「……!」

「あ、えっと、か、可愛くない下着でごめんね……!」

「え? い、いや、だ、大丈夫だ! か、可愛くなくないし……!」


 ……って変な事言っちゃったかな?

 でも可愛くなくないなんて事ない。兵舎の浴場で見る〈花荊はなよめ〉たちはみんな可愛い下着をつけていて、驚いた。花柄とかレースとかフリルがいっぱいの。養護施設にいた頃は可愛い下着なんて見た事もなかったから、蒼緒は自分の子供っぽい、シンプルな下着にとても恥ずかしくなったのだ。

 次の俸給が出たら、買いに行こう……と思いつつ、下着の事なんて紗凪にも相談しづらくて今日まで来てしまった。でもこの作戦が終わったら、今度こそ紗凪に相談しよう。そしてあわよくば一緒に買いに行って貰おう。……うん!

 幸い特機は俸給がいい。というか〈吸血餽〉だけでなく〈花荊〉も士官扱いな上、かつ出戦手当が出るので、びっくりするような俸給を受け取れるのだ。

 まあその分、他の部隊からは「名ばかり士官」と揶揄されてしまうらしいが。つまり他部隊とはすこぶる仲が宜しくない。

 それはともかく、不慣れな自分が恥ずかしかった。

 

「い、いいよ、吸って」

「うん……」

「――あ、待って」

「え?」


 赤い顔のまま一旦壁から離れ、逆に彼女を壁際に立たせる。それから地面に腰を下ろしてもらった。


「……衣蕗ちゃん、座ってた方が楽でしょ?」

「それは……そうだけど。どうするんだ?」

「……こう、するの」


 そう言って蒼緒は衣蕗の腰を跨いだ。彼女に負担がかからないよう膝立ちして、そして上着を被り直す。


「っ、」


 衣蕗が息を飲むのがわかった。

 あ、あれ? 思ったより、ち、近い……?

 ていうか思っていたよりも密着してしまう。自分でした事なのに、蒼緒は顔が真っ赤になっていくのを感じた。顔が熱い。せめて外套で暗くなっていて良かった。……が。

 衣蕗も目を逸らす。

 

「……っ、」

 

 う……。は、恥ずかしい……。

 ……ま、跨るなんてしない方が良かったかな? でも立ったままだと衣蕗ちゃんに負担がかかっちゃうし。でもでも衣蕗ちゃんも困ってるし!

 

「……っ、ごめん! や、やっぱりこの体勢、無し!」

 

 そう言って立ち上がろうとした時。――衣蕗に手を掴まれた。

 彼女が言う。密着しているから声が近い。


「……い、いいよ、このままで。私を気づかってくれたんだろ?」

「っ、…………うん……」

「じゃあ、これでいいよ。……えっと、す、吸うからな?」

「……う、うん……」

 

 二人して顔は真っ赤だったが、もういいよとばかりに、衣蕗がゆっくりと近づく。

 ……それだけでドキドキしてしまう。

 でも、きっと無理をしている。こんなの、恐らく彼女は望んでいない、はずで。却って気を使わせてしまい自己嫌悪する。

 彼女の息が肌に触れる。

 それから一呼吸おいて、今度こそ首筋に、


 ……唇が触れた。

 ちゅぷり、と小さな水音がして、舐められる。


「っ、」

 

 触れるやわらかな感触に心臓が、――身体が、跳ねた。いつもよりドキドキしてしまう。外套を被っているせいで、吐息や音が、こもって響く。それが余計に蒼緒を恥ずかしくさせた。

 それに気づいて、衣蕗も耳まで真っ赤になる。


「……っ、」

 

 彼女の舌が首筋を……はう。小さな音なのに、舐める水音と吐息が外套の中で響いて、――心臓がうるさい。

 小さい頃、お布団の中で内緒話していたのを思い出す。……が、その時とは違う。

 お互いの吐息と、水音と、その感触に、ぞわぞわとした感覚が湧き上がる。……お腹の奥が、むずむず、する。

 

「……い、衣蕗ちゃん、今日はそんなに舐めなくてもいいよ」

「え? 駄目……だろ。舐めないと痛いし」

「それはそうだけど、」


 ……でも。

 ドキドキすればするほど、なんだか胸が苦しくなって来る。

 彼女にとってはただの「食事」なのに、自分だけが変に意識しているみたいで。そのくせ舐められれば舐められるほど、身体の奥で変な感じがして。

 ドキドキするのと同時に、身体が熱くなる。

 嫌だ。これは――、


「んっ、」


 熱い。お腹の奥が、ジンジン、する。

 ジンジンして、熱い。


 これは独りよがりなおもいなのに。なのに勝手に身体が熱くなって。


「……衣蕗……っ、ちゃん、っ、」


 彼女の〈花荊〉になるのに、迷いはなかった――はずだった。自分だけが彼女の隣にいられるのだと、嬉しかったはずなのに。

 けれど、吸われるたびにこの感情はいらないものなのだと思い知らされるみたいで。吸血されればされるほど、吸われた傷ではなく、胸が痛むなんて、知らなくて。

 だって、彼女にとってはただの「幼馴染み」だから。

 彼女の〈花荊〉になりたいと望んだのは自分なのに、でもこの痛みは彼女にとっては「いらない気持ち」で。そんなのわかっていたはずなのに。覚悟だってしていたのに。


「っ、衣蕗っ、……ちゃ、っ」


 それなのに、身体が熱い。


「んんっ、……んっ、あっ、っ、んっ、」


 熱い。熱くてたまらない。

 我慢出来なくて、膝立ちで身体を支えきれそうになくて、後ろの壁に手を着いた。すると、体重をかけてもいいからとばかりに引き寄せられる。抱き締められているみたいだ。

 ……違うのに。これはただの「食事」なのに。引き寄せたのはただの「優しさ」なのに。

 でも、思ってしまう。

 ……このまま本当の「花嫁さん」になれればいいのに、って。

 

 ――好き。

 

 衣蕗ちゃんが好き。

 不器用で、強がりな衣蕗ちゃんが好き。

 だけど、これが、いらない気持ちだって、わかってる。

 これはきっと罰だ。〈吸血餽〉になってしまった彼女の弱みにつけ込んで、自分から〈花荊〉になるなんて言ったりしたから。


「んんっ」


 声が、堪えきれない。

 少し離れたところには雪音たちもいるし、外だし、出来れば声は出したくない。けれど、彼女はわかってくれない。まだ吸ってくれそうにない。

 きっと彼女ははじめて吸血した時の失敗をずっと気にしてるのだ。お互い吸血の知識なんてなくて、いきなり噛まれたから確かに痛かったけれど。

 

 だけど、痛みは我慢すればいいと思ったが、そもそもいっぱい舐めてもらわないと血が美味しくならない。でもいっぱい舐められたら声が出ちゃうし。

 困ったな。

 いっぱい舐めてもらって、声を我慢したらいいんだけど、……出来る自信がない。

 そう思ってる間に、また舐められてしまう。

 

「あっ、……っ、っ、……っ、んんっ、」

 

 舌が、首筋やうなじをはいながら、吐息が肌に当たる。舐める水音が外套の中で響く。

 

「っ、っ、……衣蕗ちゃ、も、いいよ」

「……まだ、だ」

「……っ、」

 

 優しいのはわかるけれど、全然わかってくれない。

 だめなのに。

 

「っ、っ、……っ、だめ……っ、だからっ、吸って……っ」

「蒼緒……」

 

 やだ。名前なんて呼ばないで。勘違いしちゃうから。

 やだ。こえでちゃう、から。……だめなのに、そんなに……っ。

 

「蒼緒……っ」

「んんっ!」

 

 がまん……できなくなっちゃう……!

 

「ぁ……いぶき、ちゃ、……っ、すって」

「蒼緒……っ、んっ、ぁ……噛む、から、」


 その瞬間、

 ――牙が刺さるのがわかった。……痛いはずなのに、――気持ちいい。


「んんんんっ!」

 

 身体が跳ねる。

 

 お腹の下の方が熱い。

 血が出るのがわかる。それを彼女が吸う。……吸って、舐めて、吸って。ちゅうって吸われるたびに、痛くて気持ちいい。ジンジンする。

 懸命に彼女が舐める。そして、吸う。

 強く吸われると、たまらず身体がしなるように震えた。

 

「んっ、んっ、んんんんんんっ…………っ!」


 やがて蒼緒は力が抜けてしまった。それを衣蕗が支える。

 ……声、出ちゃった……。

 余韻のように身体がジンジンする。

 それから、波が引くのを待って、言った。

 

「……衣蕗ちゃんの、ばか。……だめって言ったのに」

「え? 私また失敗した!?」


 蒼緒は身体を火照らせながら、小さな声でつぶやいた。


「……ばか」


 なんだかいつもより胸が苦しかった。

 彼女が、蒼緒の事も嫌じゃない、なんて言うから。

 

 ――好きじゃないのが嫌と言うほどわかって。

 


          *



 蒼緒には「ばか」って言われちゃったけど。

 たぶん血は甘くなってたと思う。甘くなってたって事は、あまり痛くない……はずなのに、……それなのに何で怒られたんだ?


 衣蕗は外套を羽織り直しながら、首を捻った。

 腕の痛みは、さほど気にならないくらいには軽くなっていた。

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