第8話 ―衣蕗― A Vampdoll

 〈吸血餽〉――ヴァンプドール――とは吸血鬼を指す。

 

 人の生き血を吸って生きる者の名だ。

 しかし御伽噺おとぎばなしとは違うのは、生きたしかばねなどではなく、霧にもなれない。招かれざるとも屋敷に入れたし、水を怖がったりもしないし、十字架もニンニクも恐れたりしない。

 強い日差しは少しばかり苦手だったが。それでも灰になる事はない。

 

 ただ、生きた屍でない代わりに、死にづらかった。

 

 腕を斬り落とされたとて簡単には死ねない。新たな腕が生えたりはしないが、二、三日もあれば傷がふさがる。ただしその間、死んだ方がましなくらい苦しみ抜く。痛みは人並みにあるのだ。

 それでも首を落とされたり、脳や心臓が激しく損傷すると、死に至る。

 それに感情だってある。元は人間だから当たり前だ。

 

 食事は当然、血だ。それも鮮度がいいやつ。かつ、若い女性であるとなお良い。美食家なのだ。老人や男性の血も飲むには飲めるが、不味い。動物の血では腹を壊すし、死んだ者の血を吸うと最悪死ぬ。

 人間が好む食事も口に入れる事は出来るが、不味くて飲み込めない。人間で言えば腐った魚を口にするようなものだ。

 ちなみに血を吸われた人間が吸血鬼になる事はない。精々貧血になる程度だ。

 

 それから、〈吸血餽〉は女性しかいない。少なくとも存在を確認されて以降、男性の〈吸血餽〉は発見されていなかった。

 

 とにかく〈吸血餽〉なんて面倒な事ばかりだ。

 

 おまけに、死にづらいばっかりに厄介ごとを引き受けねばならない。


 

           *


 

 破廉恥はれんちだ。

 

 〈吸血餽〉である衣蕗いぶきは激しく自己嫌悪していた。

 ――昨夜の吸血の事で。

 

 これまでに何度も吸血したが、その度に間違いなく自分は、その、こ、興奮していた。ていうか昨日なんて耳まで舐めちゃったし!

『んんんっ、っ、いぶきちゃ、あ、あっ、』

 思わず、身をよじる彼女はなよめが脳内再生される。

 

「ああああああ!」

 

 ぶんぶんと頭を振る。〈吸血餽〉の本能だろうとなんだろうと、破廉恥極まりない。

 いや破廉恥なのは蒼緒じゃない、自分だ。吸血ごときで心頭滅却出来ない自分が破廉恥なのだ。いやまあ、蒼緒もえっ――

「いやいやいやいやいや!」

 て言うかそんな自分が恥ずかしくてたまらない。

「ああもう! 私の馬鹿!」

 ――と、またも首を振った時だった。

 

「何しているの、衣蕗! 二時方向!」

 

 この馬鹿! といういらだった声が聞こえて、意識を前方に向けた。すると何か動く反応が見え、独特のフォルムから敵影とわかった。

 慌てて自動小銃アサルトライフル引き金トリガーを引いたが手応えはなかった。逃げられた。

 

「馬鹿! 援護するから追って!」

「りょ、了解」


 馬鹿馬鹿言い過ぎだろ。

 同僚の牽制射撃が始まると同時に飛び出す。官から民間に払い下げられた紡績工場は幾度か増築され入り組んでいて、古い案内板はさほど役に立たなかった。――が、すぐにまったく意味をなさなくなった。


 耳をつんざくような爆音がして、増築された木造部分の壁をぶち破って敵が現れた。

 

「うわっ!」

 

 思わぬ不意打ちの上に無数の木片が飛び散る中、狼にも似た巨体が見事に喉元を狙って飛びかかって来る。

 とっさに首をかばって左腕を出したが、至近距離過ぎて銃身の長いライフルは構えられない。左腕に食いつかれたまま地面を転がり、腰のホルスターから自動拳銃ハンドガンを引き抜き、喉首に押し当て、何度もトリガーを引いた。この辺りには硬い骨はないはずだ。

 案の定、弾着の衝撃で円状に膨れ上がったホローポイント弾が下顎骨の間を貫通し、脳をぐちゃぐちゃに破壊する。

 

 腕に食らいついた牙からわずかに力が抜けるのがわかった。――が、離しそうにない。衣蕗は地面に転がったまま敵の口に銃口を突っ込んでこじ開け、ようやく巨大な図体の下から這い出した。

 返り血とよだれでぐちゃぐちゃだ。自慢の黒髪が汚れなかっただけでもマシだが、とは言え砂埃がひどい。口の中も切れた。


 最悪だ。

 

「大丈夫? 衣蕗!」

「……援護してくれるんじゃなかったのかよ」

 

 駆け寄って来た少女に、起き上がりながら嫌味を込めた視線を送る。

 

「さすがに壁をぶち破って戻って来るとは思わないじゃな――」


 彼女がそう言いかけた時だった。

 死角からもう一体が現れた。

 衣蕗が振り向くより早く彼女がライフルを掲げ、衣蕗の肩越しに撃ち込み、頭に命中する――が、頭蓋骨が硬いため、斃れない。いやなしぶとさだ。素早く方向転換し、こちらへと迫る。咆哮を上げ、巨大な口があっという間に目の前にあった。

 だが、彼女は冷静だった。トリガーを引く。目と口から鉛弾を撃ち込まれ、それが脳に達する。牙が衣蕗に届く直前で、そいつが体勢を崩して転がった。

 数間先――一間は約一・八二メートル――まで転がり、ようやく敵が斃れた。

 彼女の――雪音ゆきねの射撃センスは軍でも随一だ。射線さえ確保出来れば衣蕗のような無駄弾はほとんど使わない。まあ、こいつはなんでもそつなくこなすけど。


「良く二体目がいるってわかったな」

「ああ、さっき蒼緒が教えてくれたの。嫌な気配がするって」

「先に報告しろよ!」

「いいじゃない、斃せたんだから」

 

 とにかくお疲れ様、とやや雑に労ってくれたのは、同僚であり同じく〈吸血餽〉である雪音ゆきねだ。衣蕗より二つ歳上の十八歳。

 ゆるく波打つ金髪が美しく、また立ち姿にも気品があった。よだれと血まみれの自分とは大違いだと、衣蕗が独りごちる。

 事実、彼女は元華族だし。お嬢様なのだ。

 

「これで全部か?」

「ええ、蒼緒の反応からすると、間違いないわね」

 蒼緒の索敵能力は目をみはるものがある。――索敵能力だけは、だが。

 敵を「あっちの方から嫌な感じがする」と、言い当てるのだ。第六感とかそういう部類のものなんだろうが、傍目には眉唾だが、不思議と当たるのだから、概ね信用している。

 

 雪音がアサルトライフルの銃口を下げた。

 それから対狼餽用の特殊な着火剤を取り出して死骸の上に置き、すったマッチを投げた。勢い良く燃えていく。三十分もすれば骨も残さず燃え尽きるだろう。

 もう一体も同じように処理する。

 

「これで状況終了か?」

「ええ。すぐに二人も合流するわ。……傷は?」

「骨まではイッてない。一応止血してくれ」

 傷とボロボロの軍服を見て、雪音が美しい眉をひそめる。止血帯ターニケットを取り出し、手際よく止血していく。


「……さすがの雪音お嬢様も、慣れて来たじゃないか。初めの頃は何も出来なかったって話だったけど?」

「貴女が配属されてからこっち、無茶して怪我ばかりするからでしょう? ……それにいつまでも、紗凪さなにおんぶに抱っこじゃね」

「その自覚はあったんだな」

「うるさいわね」


 ギリギリとターニケットを締め上げる。


「いででででで! 締め過ぎだ!」

 

 紡績工場の中庭、軽口を交わす二人の側で異様な姿の獣が黒煙を上げて燃えて行く。

 

 それは〈狼餽ろうき〉――ウェアウルフ――と呼ばれている怪物だった。

 

 一見狼のようだが、容貌はもっと醜悪で、生態はもっと醜悪だ。

 大型獣かあるいは人間を捕食し、森を住処としているようだが、実態は不明だ。あまりに凶暴で危険なため、調査が進んでいなかった。そして、こうして人里に降りて来ては人を襲う。動物よりよっぽど人間が好物なのだ。

 

 下顎と上顎から二本ずつ突き出た牙は天を向き、目玉も四つある。まるでヤマアラシのような太い針毛が頭部に生え、体毛も太く固い。四つ足で行動するが稀に二本足で移動する個体もあるという。体重は三百貫――千百二五キログラム――を超える個体もあったと言う。

 

 巨大な上、傷の修復が異様に早いため通常の武器ではほとんど歯が立たない。銃槍だろうと裂傷だろうと立ち所に消えてしまうのだ。おまけに熊のような爪と腕力で木造の家くらいなら破壊してしまう。正真正銘の怪物だった。

 つまり人間には対抗する手立てはほとんどない。軍隊が小隊から中隊を組んでやっと倒せるかどうかだ。

 

 ちなみに衣蕗たちの使用する武器は対狼餽用の特殊弾だ。それでも脳か心臓に打ち込むか首を切り落とすしか致命傷にはならない。

 やつらは百年ほど前から人里に姿を表すようになったが、実態はよくわかっていない。そのくせ人間を襲いに来る。


 そう、〈吸血餽〉の負う厄介ごととは〈狼餽〉退治だった。

 

 ――帝國陸軍特務機攻部隊。

 通称、〈野犬殺し〉――ストレイ・ドッグ・カーネイジ――。

 〈狼餽〉退治を主任務にする〈吸血餽〉、少女だけの部隊だ。

 

 兵籍を与えられ衣食住を保証される代わりに、怪物退治をしなければならない。ただ「死ににくい」というだけで。

 あと、人間より俊敏で怪力だ。それは〈異能〉――ギフト――と呼ばれている。恐怖も人よりは感じにくい。

 先程の衣蕗のように戦えるのは恐怖心を感じにくいせいだ。とは言え衣蕗は無鉄砲過ぎるとは、同僚である雪音の弁だ。


「――で、ここの責任者はどこへ逃げた?」

「さあ? 敷地の側にいればいいけれど」


 衣蕗は吹き飛んだ壁とガラクタと化した事務机を見てため息をついた。

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