1-5 妖精ルナとバスタイムトーク
「はあー……」
温かな湯の満ちた湯船に漬かると、思わず溜息が漏れた。
「疲れた……」
なんせ予想外の二周目転生したと思ったら瞬殺されて、女神に謝らえてまた二周目人生に。入った途端に一周目俺の即死イベに遭遇。身代わりになって腹に矢を受け殺されそうになった揚げ句、本来の主人公に遭遇しかかって逃げた。
なんせ俺はほら、悪役だからな。主人公と会ってヘイトを溜めれば、どんどんゲーム中盤の「俺死亡フラグ」を強化していくことになる。
そんで屋敷に戻ってようやく安らげるかと思いきや、口の軽い妖精ルナに振り回されたんだからな。
そら疲れるわ。
その証拠に今だって――。
「ねえねえゲーマ、少しは痩せなよ。みっともないよ」
ぴょこんと、水面からルナが顔を出した。今まで湯に潜って俺の腹とか触ってたからな。
「うるさいなあ……わかってるよ」
死亡フラグが強化されれば、いずれ「俺死亡イベント」が発動する。万一そうなったときに、身軽に逃げなくてはならない。そのためにも、余分な肉は落としておきたい。今日、主人公アンドリューからちょっと走って離れただけでも、心臓が割れるかと思った。これじゃあ未来は暗い。
「にしても転生初日だぞ。そう急かすな」
うんざりだわ。
前々世の底辺社畜、前世の即死モブと、苦労の多い人生を送ってきた。それで転生二周目は悪役だからな。まあゆっくり遊びながら考えるわ。
ガチになってあれこれしてたら、メンタル死ぬ。適当に手を抜きながら生きていくさ。それは底辺社畜として地獄を這い回った俺の処世術だ。そう考えるしか突破口がなかったからな、あの頃。
「まあのんびりやろうや。最悪、死ねばいいんだろ。アンドリューに殺されて。それまで遊びまくる人生でもいいよな。金ならあるらしいし」
「そりゃそうだけどさ……」
泳いできたルナが、俺の胸を這い上ってきた。そのまま肩に跨る。
「一応ボク、ゲーマをご主人様として助けるように、女神に任命されたしさ」
首に抱き着いてくる。
「そんなこと言われると、悲しくなっちゃう」
「あんまりくっつくな」
風呂だけに素っ裸だからな、ふたりとも。ちっこいとはいえ、ルナはちゃんとした女子だ。隅々まで女子の体として形作られている。首に小さな胸が当たっているし。温かくて、微かに鼓動を感じる。
「へへーっ。ボクのこと、意識してるの」
耳元で囁く。
「ねえねえゲーマ、ボクにいろんなことしてほしい? ねえねえ」
「んなことあるか。第一お前、フィギュアサイズだし」
「ボク、大きくなれるよ」ひそひそ
「えっ……マジか」
んじゃあ、ベッドに連れ込んであれこれとか……。
「うっそーっ。けけっ」
「この野郎……。ちっこいくせに人間様をからかうんじゃない」
摘んで湯に沈めてやった。
「ぶくぶくぶく……ぷはーっ」
顔を出すと、首を振って湯を飛ばす。
「にしてもあれだねー。『背中をお流し致します』とかなんとかエミリア、ぜえったいお風呂に入ってくると思ったのに……来ないね」
風呂の入り口を見つめている。
「来るわけないだろ。別に嫁じゃない。ただの使用人だし」
「へへへへっ」
「なんだよ。嫌な笑い方しやがって」
「使用人じゃないよ。ゲーマの『奴隷』だよ……」
「そっち方面の奴隷じゃないんだろ。知らんけど」
前々世で俺はこのゲームやり込んだけどさ、ラスボスでもない半端な悪党のバックストーリーなんて知らんわ。ゲーム本編ではそもそもエミリア自体、ちょい役程度の扱いだったし。
「ねえねえゲーマ、今晩、寝台にエミリアが忍んできたらどうする。ねえねえ」
「どうもせんわ。てか、忍んでくるわけないだろ」
「んじゃあボク、忍んでくるほうに賭けるね。当たったらご褒美だよ」
「ああ。なんでも食わせてやる」
そんなこと、あるわけないからな。
「やったーっ!」
小躍りして喜んでやがる。こいつ……あの女神に遣わされた妖精のせいか、やっぱ食い意地が張ってるな。なんか女神と直接的な繋がりでもあるんかな。
「なら楽しみにしておくね」
ぷよぷよの俺の頬に、ちゅっとキスしてくれた。使い魔ってのはいいな。顔も体も、こんな醜い俺なのに、気にせず慕ってくれて。
「それでさあ……ゲーマ、これからどう動くの。明日から」
「そうだなあ……」
口のすぐ下まで湯に沈めて、しばらく考えた。俺の人生には、三つのクエストが立ち塞がっているも同然だ。まず、自分の死亡イベントを回避する。次に、一周目俺、つまりモブーの死亡フラグを、陰ながら折って回る。最後に、悪役としてのゲーム内立ち位置をうまくこなすこと。
どれも難題だ。最後のひとつは一見簡単に思える。悪役なんて、とっとと降りればいいんだからな。
元のゲーマはともかく、憑依転生した俺は別に貧乏人や窮乏貴族から生き血をすすりたいわけではない。底辺社畜の俺は、それこそ半額弁当となんちゃってビールさえあればたいして欲求はなかった。だから飯が食えるだけの商売をすればいいんだ。
だが、ここはゲーム世界。悪役がいきなりその座を降りれば、ゲームシナリオが大幅に狂うのは見えてる。そうなると、俺やモブー死亡フラグを管理するのが難しい。だってそうだろ。わかってたイベントが全部変わるんだからな。いつなんどき降ってくるかわからない死亡フラグに対応するとか、困難の極みじゃん。
俺がそう説明すると、ルナは頷いた。
「そうだね。ボクもそう思うよ。ゲーマとしての人生運営って、想像以上に難しそうというか」
「困ったなあ……」
「ならどうするの、ゲーマ。ねえねえ、どうするの」
いや、知らんがな。
「とりあえず、悪役の座は維持だな。悪役なんだから、好き勝手な人生を送るわ。正義の義務とか社会の責務とか、そんなんうんざりだし。俺はもう社畜じゃない。気楽にいくことにする」
「そうだね。お金もあるし」
ルナは頷いている。
「悪辣な行為からは徐々に撤退だな。そんなんやりたくないし。目の前で女子供に泣かれたりしたら気分悪い。徐々に悪役として地味になっていって、いつの間にかフェイドアウトする。……要するに、主人公アンドリューに敵視されなければいい。ゲーマの噂を聞かなくなればあいつだって、殺そうとか倒そうと思わなくなるだろ」
俺の死亡フラグが折れるので、一石二鳥だわ。
「いいね。ボクも賛成」
「問題は、一周目俺、つまりモブーだ。俺の前世だけに色々覚えてるけどさ、地味にあいつ、死にそうな目に何度も遭ってるぞ」
「なんの能力もないモブだったもんね」
「今思うとあれ、二周目俺、つまりモブーが陰で助けてくれてたんじゃないかと」
タイムリープものの定番展開だよな、これ。未来の自分が過去の自分やら恋人を助けるっての。今回の場合、未来から来たんじゃなく、二周目転生してるわけだけどさ。
「あり得る話だよね。ゲーマとして面白おかしく暮らすとしても、モブーを放置しとくと危険かな。死なれたらゲーマもおしまいだし」
「そうそう。なので大事なのは、遊びながらもモブーの動向を探ることだ。モブーの人生イベントを知っているとはいえ、俺ゲーマの人生が原作から離れていけば、あっちのイベントも変わる可能性が高いからな」
「あるある」
「どうすればいいんだろうな。見た目赤の他人の動向を探り続け、離れた場所に居てもわかるようにするには」
「それなら任せて」
ふっと飛ぶと、俺の目の前に浮かんだ。
「ボクに心当たりがあるよ。えっへん」
自慢気に胸を張った。いややめてほしいんだが。そうすると、胸がよく見える。しゃべるフィギュアだくらいに考えようとしてるのに、ヘンに女子として意識しちゃうからさ。なんせ俺はほら、非モテ人生を二度も貫徹した猛者(泣)だぞ。
ルナにわからないように俺は、心の中で溜息を漏らした。あーちなみにその晩はもちろん、エミリアが忍んで来たりはなかったよ。独りで寝たわ。ルナとの賭けには勝ったが、喜んでいいのか泣いていいのかわからん。
とはいえルナが首筋に抱き着きながら添い寝してくれたから、独り寝よりは多少心安らいだけどさ。
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