第9話 「大衆」vs「公衆」
「大衆」と「公衆」は、どちらも人々の集まりを表す言葉。
もちろん、異なるニュアンスがある。
「大衆」は、指導者やエリート層以外の人々の総称である。ここでいう「指導者」とは、特定の分野の指導者的立場である人を指すが、決して小中高の教諭や、そろばん塾の先生のことをいうわけではない。政治・経済で大きな権力を持っている人たちのことだ。
一方、「公衆」は、特定の場所や施設、あるいは公共の場に集まった人々をいう。「公衆衛生」という言葉があるように、健康や衛生に関する問題に焦点を当てる場合にも使われる。
「公衆の面前で」という表現はされるが「大衆の面前で」とはあまり言わない。
ところで、2023年4月9日、統一地方選挙の前半戦が行われた。全国的に、過去最低の投票率だった。
私の住む三重県松阪市でも、過去最低の投票率で、前回を約10%下回り、ついに3割台に。つまり松阪市の有権者のうち、約3割程しか選挙に参加しておらず、その中でトップ当選したからといって、ほとんどの有権者は、その当選者を支持をしていない、という計算になる。
しかし、だいたい、世の当選議員様は、こんなセリフを吐く。
「国民は支持してくれている」
「県民は支持してくれている」
「市民は支持してくれている」
あなたのいう「国民」・「県民」・「市民」は、誰のことなんだ。
「ほんの一部の大衆」が支持をしてくれたからといって、その一部の大衆のことを「全国民」であるかのような、「全県民」であるかのような、「全市民」であるかのような発言をする議員の多いこと。
だいたい中部地区の半数以上の県議会議員は、選挙さえせず、無投票で議員になっている。
イコール「みんな支持してくれている」なんて、本気で思っているのなら、狂ってるぞ。
だがしかし、そんなレベルの低い政治家ばかりを生み出しているのは、まさに我々「大衆」である。
選挙に行かない理由は、わかる。行ったところで、誰がいいのかわからないし、そもそも、誰がなっても、いったい何が変わるちゅうねん、という諦観。そこは共感できる。筆者も投票所で困り果てた。投票したい議員が誰ひとりいないのだから。
それでも、今回、自民党に「喝」を入れたくて、自民党ではない議員を選んだ。
政治や経済が廃れると、文化まで廃れる。
しかし「大衆」の多くは、そんなこと、あまり関心がない。
そういう意味では、日本は平和な国なんだろうけれど、統計を見るまでもなく、人口は減り続け、経済は落ち込み続け、日本語まで衰退を続けて、もはや「先進国」とは言うに憚るほどの凋落ぶりを止められない。
しかしほとんどの「大衆」は、そんなことより、芸能人の話題や、スポーツの試合結果の方が気になる。きっと日本の経済が破綻するまで、日本の文化が壊滅するまで、目覚めることは無いのかも知れない。
ところが「公衆」となると、これがまた、日本という国は、世界に誇るべき、驚くべき力を発揮する。
スシローペロペロ事件。確かにあれは、モラルの低い若者による、程度の低い事件であったが、大切な事はその先にある。
#スシローを救いたい
あの事件の後、多くの人々がスシローに大挙した。
実は、筆者は現在、起業準備の傍ら、近所のスシローにも勤務している。2025年に新規事業を起業するまでの「つなぎ」として、これまでの人生で経験してこなかった様々な分野の仕事を体験してみたいと、複数の企業で勤務体験をさせてもらっていたのだが、その中のひとつだったスシローの仕事に、見事に「ドはまり」してしまった。
今まで経験してきたどの仕事よりも忙しいが、めちゃめちゃ楽しい。まだ初心者で、「先輩」の高校生のバイトさんに叱られることもあるけれど、それも含めて、楽しい。起業後も週に何度かここで働きたいと真剣に思っている。いや、そう決めている。もはや「生きがい」であり「趣味」である。
あの事件のあと、私がお会計のためにお席まで伺うと、お客様の多くがこんな声かけをして下さる。
「いろいろ大変だけれど、どうか、がんばって下さいね」
「あなたの一生懸命働く姿を見ていました。これならスシローは大丈夫。これからも通い続けますからね」
「子どもたちが、あなたに会いたいと毎日せがむので、また来ちゃいました。スシローも、あなたのことも大好き!」
いや、これ、実話である。写真や動画も撮られるし、まめじぃは結構、お客さまに人気がある(自分で言う)。実は接客がすこぶる得意だった、と50歳で気づいた。承認欲求が満たされて仕方がない。
「スシローがんばれ!」と、お客様方からの対処しきれない程の声援を頂いて、わずかな期間で、いったい何百回何千回「ありがとうございます」を連発しただろうか。お客様の励ましや優しさ、思いやりに、感極まって、勤務中に何度も泣いてしまっている。
人生で初めての飲食店での仕事。起業するまでの間、これまでの人生で経験してこなかった事をしてみたい、という私の試みは、スシローさんのおかげで、本当に「得るものしかない」・「かけがえのない」体験になった。
いつか「子ども食堂を立ち上げたい」という夢を持つことができたのも、ここで働く仲間たちや、お客様との関係性の中から生まれた。それについては、いつか詳しく書きたい。なけなしの500円玉を握りしめ、弟の誕生日だから、と2人で食べに来てくれた小学生きょうだいと出会った話など。
「大衆」は、我が国の衰退に無頓着で、目先のことしか関心がなく、政治に無関心な人が大半で、きっと一緒に自滅の道を進んでいくのかも知れない。
しかし、この国の「公衆」の「助け合いの意識の高さ」は、世界に誇れる。
スシローは、営利を目的としたお店である。お金儲けをしているところなのだ。そこへやってきて「負けるなよ」・「がんばれよ」と、たくさんの人たちが応援しに来てくれる。
確かに一部、民度の低いお客様もいらっしゃるが、それは少数派である。
ほとんどの多くのお客様から、励ましてもらい、笑顔をもらい、元気をもらっている。こちらが業務として、サービスをしなければいけない立場なのに、たくさんのお客様から、パワーを頂いているのだ。
日本って、何ていい国なんだろう。
心からそう思いながら、ある日は寿司を握り、ある日は皿を洗い、ある日は接客をし、日本一の回転寿司チェーンの企業戦略や、マネジメントシステム、人材教育手法を学びつつ、3割引きで食事ができる(体重増加待ったなし)。
スシローって、何ていいお店なんだろう。
そんなわけで
我が国の「大衆」とは、いつの時代も「愚か」なイメージがつきまとい、ネガティブワードになりやすい。しかし日本における「公衆」とは、いつも「礼儀正しくマナーがよく思いやりがある」良いイメージを伴う。一部例外を除く。
どちらも同じ、日本人一般を指すのに、語彙の違いで、こんなにも差が出る。
すごい語彙。
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