01 帰

 新着のニュースレターは、その星の住民にとって当たり前の現実を、さもおかしげに伝えてくれる。

 海人草座第五惑星リレイヤーの空は色気狂いだ!

(前略)周囲を巡る二つの太陽のスペクトル型はF8およびB2と分類されるが、これはさして重要ではない。連星とはいっても、互いが互いのまわりをまわる形ではなく、B2のまわりをF8が公転しているに過ぎないからだ。地球を含む太陽系――お馴染のやつだ――でいえば、木星が太陽化したようなものなのだ。

 ちなみに、この太陽系は第九番目の惑星F8を除いて十二の惑星を従えている。よって、リレイヤーの空に二つの太陽が輝くのは一日三十二時間のリレイヤーの周期で、だいたい朝と夕方になるが、その軌道周期の詳しい算出法は、筆者には不明である。


「おーい、ベビーフェイス!」

 とデイヴィッド”ジェントリィ・ギタァ”オールドストーンが研究棟に向かう私に呼びかけた。中肉中背の大男で、顎一面が髭に覆われた二十代後半独身の微生物学者だった。リレイヤーでは、私たち科学者仲間は愛称で呼び合う。デイヴィッドは二十世紀最大の――と彼が信じている――ポピュラー・ロックグループのメンバーのひとり、ジョージ・ハリスンのフリークだった。それでジョージの作った曲の題名の一部を取って、ジェントリィ・ギタァと呼ばれていたのだ。

「なんか用か、ジェントリィ・ギタァ? 新種の微生物でも発見したかね?」

 おつにすまして私が答えた。二年も呼ばれ続けているのでさすがに慣れたが、童顔(ベビー・フェイス)なんて名前は、三十過ぎの少々疲れ気味の男には、ありがたくない愛称だ。それで、私はその愛称で呼ばれたときには、一応、気がつかない振りをする。

「ん、微生物だって?」

 ジェントリィ・ギタァは、明らかに不快そうな顔を見せて、問い返した。

「勘弁してくれよ! ここの微生物のマイナーチェンジが速いことは知ってるだろう。インフルエンザやエイズ並みとはいわないが、まあ、あいつらはウィルスだからな。それに比べりゃ、自動車のフルモデルチェンジ並みの遺伝子変異のスピードは……。おっと、そんな話をしにきたんじゃない!」

「…………」

「アキ・ザ・フローラが戻って来るんだよ!」

 アキ・ザ・フローラというのは、半年前まで私の妻だった日本人女性の愛称だ。本名はアキコ・クラハシという。鉱物および惑星物理学者で、一七二センチという身長は近頃の居住者の平均からすると低かったが、毅然とした威圧感のある物腰が相手にそれ以上の長身を感じさせる、そんな女性だった。もっとも結婚生活が破綻するまで、アキは家庭内ではいい女だった。ベッドの上ではもっとよかった。

「え? また、どうして」

 私が答えた。ゆっくりと自分の両目が見開かれるのを感じた。

「前の亭主のあんたが知らんのに、おれにわかるわけないだろう」

「そりゃ、ま、そうだ!」

「出迎えに行くかい?」

「どうするかな?」

「あんたが止めるんなら、おれたちも控えるが……」

「いや、気にしないでくれ」

「そうも、いかんだろう」

 ジェントリィ・ギタァのしかめ面。

「彼女が戻って来るっていう情報は、どこから?」

「第四宇宙港の無線技師、ミルトン”フライデー”バーネットからさ。ホラ、あのホラー好きの」

「ああ、あいつね」

 やせ型メガメのいかにも〈おたく(フリークス)〉って感じの男のイメージが頭の裏に浮かんだ。

「明日の朝十時の便らしい」

 とジェントリィ・ギタァ。

「まだ三十時間以上あるから、考えて、返事をくれないかな? あんたにこだわりがないなら……。フローラには、おれたちも会いたいからな」

「わかった。今日の夜までには連絡するよ」

 私は答えた。ジェントリィ・ギタァが肩をすくめる。

「そんな詮無い顔をするなよ。ベビーフェイスの名が泣くぜ」

 踵を返し、

「用事はそれだけだ。また、みんなで集まってワイワイやろうぜ。じゃあな」

 右掌をひょいと挙げると、ジェントリィ・ギタァはそれを別れの挨拶に代えた。空を見上げて、

「今日も晴れそうだな。暑くなるぞ!」

 本日のメインカラー、緑とオレンジと紫のぞっとしない艶やかな空の配色を判断した。

「そうかな、おれにはスコールが来るような気もするが……」

 すると、

「勘弁してくれよ。雨が振ってきたら、また、あいつらが違うやつらに変わっちまう」

「リレイヤーの神様にでも祈るんだな」

 私がいうと、

「フン!」

 ジェントリィ・ギタァは鼻を鳴らし、しばし立ち止まって逆雨乞いの格好で両手の手の甲を合わせると、私の研究棟より三棟先の彼の研究棟に向かって立ち去った。最後に彼は私に振り返るとニヤッと笑った。その顔の方が、私よりよっぽどベビーフェイスだった。


 そして、雑誌の記事は続く。

(中略)リレイヤーの空の色をひとことで形容するのは不可能だ!

 なぜなら、その色は一色ではないからだ。もちろん地球でいう夕焼けとか朝焼けの話をしているのではない。虹の話でもなければオーロラの話でもない。リレイヤーの鉱物性植物――通称ポリマーローズ――が吐き出した多種多様の蛍光色素を持つ空中浮遊性蛍光色素微生物(フローティング・ルミネッセント・バクテリア=FLB)が、リレイヤーの空に浮かんでいる。空に微生物が棲み分けるなど、地球では聞いたこともない話だが、ここでは事実として存在する。綺麗というよりは、どぎつく、きわどい。その色合いをクレージー・フリーク・サイケデリックス(CFP)と形容したのは、二年前に公費でこの地を訪れたヘボ詩人集団(失礼!)のひとりだが、はっきりいって、そんな単純なものでもない。リレイヤーの地磁気とB2とF8の太陽風由来の磁気と、どうして浮いていられるのかいまだに不思議なFLBに含まれるコバルト磁石が醸しだす天空のカンバスには、絵を初めて描いた小学生のパレットに近いものがある。そのパレットをプールに投げ込んで、セメントミキサーで書き混ぜて、さらにディジタル・カラー・コピーに取って、立体映画館の三十メートル巨大スクリーンで逆まわしに映したところを想像していただければ、少しはイメージが湧くかもしれない。つまり、ぐちゃぐちゃ+光った空。総天然色ベクトルきのこ。にょきにょき生える色彩の群れ。コメディー映画の色つきパイ投げ。筆者は残念ながら詩人ではなく、その昔詩人に憧れたこともあったというだけの一地方雑誌の記者にすぎないので、そのくらいの形容で勘弁していただく他はない。現物の驚異は抽象絵画の比ではない。とにかく、要点はこうだ。

  海人草座第五惑星リレイヤーの空は色気狂いだ!


「やっほー、ベビーフェイス!」

 動物組織学研究棟――私の研究棟のすぐ隣だ――から小踊りしながら現れたのは、ウィリアム”カブキ”ジェファースンだった。

「いやいや、やっほー、ありがとう」

 急に近づくと、私の手を取り、勢いよく左右に振りまわしながら、そういった。

「いやはや、じつにおめでたい。今日もまた良き日あるかな」

「朝から、やけにご機嫌じゃないか。少しは研究に進展があったのかい?」

「いやあ、まったく、その通り。よくぞ聞いてくんなまし。おお、ゼッケイカナ、ゼッケイカナ」

 おかしな見栄を切りながらカブキが答えた。

「そう、そりゃぁ、よかった」

 私が答えた。けれども、きわめて陽気に会話を走らすカブキの精神状態とは裏腹に、間近で見る彼の顔には、ここ数日の完徹研究の疲れが浮き出ていた。目の下が黒く落ちこみ、髭が不精をかこって好き勝手な方向に伸びている。

「それで?」と私。「なにがわかったんだ?」

「太陽暑きリレイヤー。明確なるは四原理。生物多く視覚持つ。ああ、その秘密解き明かす、わが研究は偉大なり!」

 こりゃだめだ。すっかり舞い上がっている、と私は思った。肩をすくめて苦笑を浮かべる。だが、カブキは一向構わず、

「重要なのは視物質。そいつが実は四つある。赤、青、緑に、さらにまた、彼らが持つは超紫(ハイパー.ヴァイ)!」

 視物質とは視細胞の桿体および錐体と呼ばれる部分にある感光色素のことだ。地球人の桿体にはロドプシンといわれる明暗をつかさどる色素が、錐体にはエリスロラーベ、シアノラーベ、クロロラーベといわれる色感能性色素があり、後者は、それぞれ赤、青、緑の光に感能する。カブキはリレイヤーの生物にはそれが四つあるといっているのだ。

「ほう、そりゃ、大発見だな」

 あまり気乗りはしなかったが、上滑りする声で私は答えた。すると、

「わかったようだな、君、偉い。果たしてこれで、謎、解ける? 色素が先か、生物か?赤、青、緑、さらにまた、超紫の存在は、その謎解くか、深めるか? それが大きな問題だ!」

「つまり、きみの調べた生物の視細胞には、赤、青、緑と、うーん、超紫っていうくらいだから、紫外線に感能する視物質があったということだな」

 わたしの答えを聞いて、カブキが鷹揚にうなずいた。

 と、そのとき、私の頭に閃くものがあった。

「ということは、リレイヤーの生物が感じる色は七色じゃないのか?」

 私が訊くと、

「おお、それ、まさにその通り。対応させる、むつかしや。赤橙黄緑青藍紫、それが地球の視覚なら、それに加えてあと二つ、判別色が現れる。越紫(スーパー・ヴァイ)と超紫(ハイパー・ヴァイ)、吾した計算、正しけりゃ、彼ら九色、色を持つ!」

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