第三十話 エピローグその一
“ハルカノ”の初配信が行われた、その次の月曜日。
遼は少し早めに登校し、何食わぬ顔で教室の自分の席に座った。
何人かに挨拶はされたが、特別いつも以上に注目を浴びている様子はない。
〈ハルカ・ミクリヤ〉として配信を行うこと二回、未だクラスメイトたちは、ハルカの中の人が遼であるとは露ほども思っていない──と、思う。たぶん。
そう願いたい。
一方、〈ハルノ・カノン〉の中の人がシオン・スプリングフィールドであることは、顔見知りなら誰でもすぐに気がつくことだ。
あれほどの美少女、それも妖精の如き容姿を持つクォーターともなれば、そうそういるものではない。
それはシオン本人も承知の上でデビューしている。
間違いなく、教室では注目を集めることになるが・・・・・・しかし、彼女はもともと特級探索者の娘であり、自身も優秀な探索者であり、その上で目を見張る容姿の持ち主だ。
注目なら最初からされている。
周囲が少々騒がしくなるのは間違いないが、学校生活が一変するようなことにはならないだろう、というのが当面の予測だ。
遼は自分の席で、家庭料理のレシピ本を読んでいるフリをしながら、周囲の会話にこっそり耳を傾けた。
「やっぱりハルノ・カノンって絶対シオンさんだよな」
「間違いないって。ボスのプロデュースで配信者になるなんてスゲーよな!」
「シオンさんの両親って、昔ボスとパーティ組んでたらしいよ!」
「じゃあその繋がりで、って感じ?」
「シオンさんって、ハルカくんの中の人知ってるよな?」
「絶対知ってるって! まあ教えてくれないだろうけどさー」
「そりゃそうだろ。配信者のプライベートについては聞くのも教えるのもNGだって」
そんな会話が、そこかしこから聞こえてくる。
と、そんな中で──
「あっ、シオンさん!」
噂の渦中の人、シオン・スプリングフィールドが教室に入ってきた。
「お、おはよう、シオンさん」
「おはよう、シオンさん!」
「うん。おはよう、みなさん」
いかにも何か聞きたそうな様子のクラスメイトたちが挨拶し、シオンは至って平静な様子でそれに返事し、そのまま何事もなかったかのように席に着いた。
いつもと変わらぬ取り澄ました様子のシオンを、クラスメイトたちが遠巻きに見守る。
本当は皆、「土曜日配信やってたよね? 見たよ!」と言いたいところだろう。
だがどう見ても、シオンは
自分から話題に出すまでは、こちらから〈ハルノ・カノン〉の話はしない。
そんな合意が、クラス全体で無言のうちに作られようとしていたが──
「あのさ、土曜日の配信見たよ。シオンさんも
中には空気の読めない奴もいた。
誰あろう、このクラスのもう一人の
「知ってると思うけど、俺も
浅村は爽やかな笑顔を浮かべつつ自画自賛した。
少し前なら取り巻きたちが次々に追従して場を盛り上げてくれただろうが、今彼の周囲には何の応援もなかった。
〈ルーインド・キングダム〉の件と、遼との口論の件で、すっかり求心力を失っていたためである。
そして伝家の宝刀である〈天空〉からのスカウトの件も、実はオークに追われるところを配信してしまって以来、連絡が途絶えているのであった。
「そう。興味ないわ」
そしてシオンもこの上ない塩対応である。
「見てたけどさ、シオンさん結構ガチガチになってたよね。配信者としてあれじゃ全然ダメだよ。俺が先輩として、今度いろいろ教えてあげるよ」
「結構よ。頼りになる人なら、別にいるから」
諦め悪くなお言い募る正樹に、シオンはぴしゃりと言い放った。
現在、“ハルカノ・チャンネル”の登録者数は五十万人超。
対して正樹の登録者数は、以前は五万人を超えていたが、例の一件が響いて現在は三万人にまで落ち込んでいる。
登録者数というものは、必ずしも配信者としての実力と比例するわけではないが、上から目線で教えてやると言える立場ではないことは明らかだった。
「そ、そう言わずにさ。そうだ、今度俺とコラボ配信とかやってみない? あんなキモい女装野郎より、俺と組んだほうが絶対人気出るって!」
キモい女装野郎、という言葉に、シオンの眉がぴくりと動いた。
ハルカのファンになった生徒たちの間でも、微妙な空気が流れる。
だが、正樹はそれに気づかずにヒートアップする。
「だいたいさ、男がメイド服着て配信って意味わかんなくね? 本人も喜んでるリスナーもめちゃくちゃキモいよ。男らしくないって言うか、見てて恥ずかしくなるよ、ああいう奴。同じ男だと思いたくないよ──」
「──浅村正樹さん」
恐ろしく冷たい視線で正樹を射抜き、恐ろしく冷たい声で、シオンが言った。
「二度と私の前でハルカの悪口を言わないで」
「えっ、な、なん・・・・・・何いきなり? 本当のことだろ」
なぜシオンが怒っているのかわからない。正樹はそんな様子で、さらに何か言おうとする。
と、そこへ──
「浅村さあ、いい加減にしなよ」
「ほんとだよ。相方の悪口言われてシオンさんが喜ぶと思う?」
「ってか人の悪口で盛り上がる奴のほうがよっぽどキモいから」
そんなことを言い出したのは、クラスメイトたちである。
まったく思わぬところから飛び出た反撃に、正樹は驚愕した。
シオンと遼は別にして、それ以外のクラスメイトが自分に口答えしてくるなど、夢にも思わなかった事態である。
「オフの配信者に配信についていろいろ言ったり、コラボ要求するなんで完全なマナー違反だろ。自分も配信者なのに、なんでそんなこともわかんねーんだよ」
「ほんとほんと。シオンさんが興味ないって言ってるんだから、そっとしといてあげなよ!」
男女問わず、数名のクラスメイトが正樹を諫め、周囲もそれに賛同する空気が流れている。
「な、なんだよ。俺とシオンさんが話してるんだから、勝手に割り込んでくるなよ」
「割り込むとか、そういう問題じゃないでしょ!」
女子生徒の一人が、まなじりを吊り上げキツい口調で言い放った。
さすがの正樹も、うっと呻いて後ずさる。
遼は心の中で安堵のため息をついた。
この空気の中でこれ以上言い寄る度胸はないだろう。
正樹があれ以上しつこくすれば自分が口を出すつもりだったが、その必要はなさそうだ。
「シオンさん、またアイツに何か言われたら教えてね」
「配信も応援してるよ! あっ、これ言っちゃいけないんだっけ」
「ん・・・・・・ありがとう」
クラスメイトたちの温かい言葉を受けて、シオンは優しく自然な笑顔で応えた。
その笑顔を見たクラスメイトたちは、感動したり、顔を赤らめたり、にやけたりと様々な反応を見せた。
「よかったな、シオンさん」
遼は口元に浮かぶ笑みを本で隠し、誰にも聞こえない小声でそう呟いた。
これまで正樹とその取り巻きを除けば、シオンに積極的に話しかける生徒は、男子も女子も一人もいなかった。
その容姿と冷たい雰囲気から、触れがたい孤高の華として扱われていたのだ。
だが配信を始めたおかげで、決して他者に無関心な冷たい少女ではないということが、クラスメイトにも知られつつあるようだ。
またシオン自身も、二十万人の前で配信をするという経験がショック療法になって、他人と話すことに慣れてきているように思える。
この調子ならそう長くかからず、クラスメイトとも自然に打ち解け、友人として話すことができるようになるだろう。
放課後の買い食いしたり、カラオケに行ったりすることもあるかもしれない。
それはとても素晴らしいことだと、遼は思った。
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