第3話 公爵令嬢との出会い
「本当に、戻ってきたんだなぁ……」
魔女の森を出て、馬車を乗り継ぎながら王都へやってきたダルクは、石畳の地面に降り立ちながらそう呟く。
戻ってきた、と言っても、ダルクが生まれ育ったカーディナル家は王都にはない。ここに来たのも数える程度で、名門の血を引く子供として、社交の場に顔を出しただけだ。
それでも、やはり五年間も人の営みから外れた森の中で過ごしていれば、見覚えのある景色を見るだけで「戻ってきた」という感慨を抱いてしまう。
「って、こんなことしてる場合じゃなかった。早く行かないと遅刻しちまう」
ミラが入学願書を出してくれたのはいいが、ダルクが確認した時点で日付は既にギリギリ。入学試験の開始まで、もう時間がない。
とにかく急ごうと、ダルクは懐から魔法杖を取り出し、軽く振るう。
「《
身体能力を引き上げる魔法を使い、風のような速さで町中を駆ける。
長距離の移動であれば、人の魔法より馬に頼る方が結果的に早く着くのだが、町中のごく短距離ならば魔法の方が速い。
もちろん、危ないのであまり大っぴらに使うのは褒められたことではないのだが、緊急時なのだから仕方ない──
「うおっ!?」
そんな考えは、あるいはフラグだったのか。
そろそろ学園だと思ったところで、ダルクは目立たない横道からフラッと現れた少女と衝突しそうになってしまう。
慌てて急制動をかけるが、一度ついた勢いは止まらない。
その少女ともつれ合うように転んでしまったダルクは、痛む背中を押さえながら顔を上げる。
「いてて……すみません、俺の不注意でした。怪我は……?」
咄嗟に受け身を取りつつ相手を庇ったが、大丈夫だろうか?
そう思いながら目を向けるとダルクの上に折り重なるように倒れた少女は、特に怒るでもなく無表情のままこくりと頷く。
「……大丈夫」
「そ、そうですか」
なんとも、不思議な雰囲気の少女だった。
ほとんど伸ばしっぱなしの長い銀髪が目元を隠し、声も平坦で感情が読みにくい。
服装はしっかりしているので、それなりに良い身分の人間だろうと察せられるのだが……良くも悪くも貴族“らしさ”が感じられないので、どう接したら良いか判断がつかなかった。
「立てますか?」
「ん……」
手を貸しながら、少女を助け起こす。
こうして立ってみると背は低く、ダルクと頭一つ分は差がある。その割には大きく実った胸の双丘が、幼い顔立ちと合わさってなんともアンバランスだ。
纏う雰囲気といい、随分と年下に見えるが……ぶつかった拍子に散らばった荷物を見て、そうではないとすぐに分かった。
「これ、魔法学園の受験票ですよね? あなたも受験生ですか?」
「…………」
こくりと、一つ頷きが返ってくる。
つまり、この子はダルクと同い年、十五歳ということだ。
そうは見えないなぁ……と失礼なことを内心で考えつつも、代わりに直近の問題について口を開く。
「なら、急がないとお互い遅刻ですね、行きましょう」
「……無理、どうせ間に合わない」
「え、無理? どういうことです?」
確かに、ここから学園までまだ少し距離がある。
だが、急げばまだ間に合うだろうと首をかしげるダルクに、少女はボソリと呟いた。
「……魔法、使えないから」
「え……」
魔法が使えない。そう聞いて、ダルクは思わず目を見開いた。
自分と同じような体質なのかと思ったが、少女の体からはこうして対面しているだけでもひしひしと肌に感じられるほどの魔力が放たれているので、魔法が使えないというのは他の理由だろう。
事情は気になるが、今はそれを聞いている場合ではない。
悩んだ末、ダルクは少女に手を伸ばした。
「なら、俺が連れて行きます。手をどうぞ」
「…………」
差し伸べられた手に、少女は一瞬びくりと体を震わせるが……恐る恐るといった様子で、最終的にはその手を握る。
それを確認したダルクは、改めて杖を振るい魔法を使う。
「《
普段であれば無理だが、少女が無意識に垂れ流す魔力が多いため行けると判断したダルクは、飛行のための風魔法を発動する。
ふわりと浮き上がる体に、少女の口から「おお……」と初めて感情が籠った声が聞こえた。
「丁寧な魔法……すごいんだね」
「それはどうも」
実はあなたの魔力を借りてるだけです、とは言えず、ダルクは曖昧な答えを返しながら少女と共に空を舞う。
やがて、さほどの時間も置かずに学園へ辿り着いたダルクは、その入り口へと少女と共に降下した。
「ん……ありがとう、空、気持ち良かった」
「あはは……どういたしまして」
お礼を言うの、そこなんだな。と、微妙にズレた言葉に生返事をするダルクに、少女はふと思い出したように問いかける。
「名前……なんていうの?」
「俺は……ダルク。ダルク・マリクサーです」
かつて生まれた“カーディナル”の代わりに名乗ったのは、彼の師であるミラジェーンの姓だ。
入学願書もこの名前で既に出ており、立場としてはミラの養子となるのだが……少女は特に驚くでもなく、「そっか」と呟く。
「私は、アリア。アリア・スパロー。……明日になったら、もう会うこともないかもしれないけど……よろしく」
「アリア・スパロー……ん? スパロー?」
その名を聞いて、ダルクの脳裏に過るのはかつての父との会話。
まだ、ダルクに魔力がないのは病か何かが原因ではないかと、あらゆる手を尽くしていた頃に聞いた内容だった。
──全く、これさえなければ、スパロー公爵家の令嬢との縁談とて容易に結べるというのに。
(それじゃあ、この子がそのスパロー公爵家の令嬢? 父様が、俺の婚約者にしようとしていた……?)
そこまで考えたところで、ダルクは首を降って思考を追い出した。
今この場に父はいないのだから、そんなことは確認しようがない。
それに、もし仮にそうだったとして、今のダルクにも……そして、アリア自身にも、全く関係のない話だ。
ダルクは既に、カーディナル家とは縁も所縁もない、ただの平民なのだから。
「……?」
「ああいや、なんでもないです」
こてんと首をかしげるアリアに、ダルクは誤魔化すようにそう告げる。
人里に戻って早々こんな出会いがあるとは思っていなかったが、貴族社会はそれほど広いものではない。
貴族が集まる魔法学園であれば、こんなこともあるだろう。
そう思うことにした。
「それより、早く行きましょう。ここまで来て遅刻したんじゃ、色々と台無しですから」
「……ん、分かった。行こ」
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