第1章:ソル・スプリングは恋した相手に恋される(5)

 のろのろと。

 千春は声の主を振り返る。そして、目を真ん丸くした。

 歳を取って色が落ちた、白い毛並のポメラニアン。その姿は、見間違えるはずがない。澤森家で飼っているペットの。

「タマ……?」

 何故か犬なのに『タマ』という名前がついている、そのポメラニアンは、耳をぴょこぴょこ動かし、つぶらな瞳をきらきら輝かせて。

「千春ゥ!」

 と、やっぱり体のどこから出しているのかわからない、姿に似合わぬ野太い声を繰り返した。

「とうとう来てしまったな、この時が!」

 やたらテンションの高い勢いで、タマは愛らしい顔のまま言葉を紡ぎ出す。

「え、待って」

 千春の頭の中は、混乱の極みで、極彩色がぐるぐると渦を巻いていた。

「この時ってなに? なんでタマが喋ってるの? タマってそんなキャラだったの? あの鳥なに? なんでクラスメイトがニワトリになってるの? というか、この状況はなに?」

「はっはっは、戸惑うのも無理はない!」

「戸惑わない人間いないよ!?」

 矢継ぎ早に質問しても、タマは可愛らしく舌を出しながら笑うばかり。思わずツッコミが炸裂する。

 しかし、タマは千春の困惑などよそに置いた様子で、

「まあ、これを受け取れィ!」

 と、棒状のなにかを差し出した。そう、ポメラニアンの手の中に、突然物体が現れ、ポメラニアンがその小さな手で差し出しているのである。ポメラニアンが。

 もう、まともに考えるのをやめたほうがいいのかもしれない。

 その結論に至った千春は、タマがこちらに向けているものを見下ろした。

 ステッキ、に見える。先端には、天使の翼が生えた、イースターエッグのように様々な模様が描かれた卵状の飾りがついている。

「我があるじの血を引きしお前なら、きっとできるゥ! この『シュテルン』で変身し、奴を討てィ!」

 タマが『シュテルン』と呼んだステッキで、『猛禽のラパス』を指し示す。

 もうなにがなんだかわからない。

 だけど、ここでタマの言うことを聞かなかったら、あの鳥人間は町じゅうへ飛び立ち、人々をニワトリに変えたり、この周囲の道のように、破壊を繰り返すかもしれない。

 なにより、克己が気絶している今、この事態に立ち向かえるのは、千春だけなのだ。

 その思いが、千春の背中を強く押した。

「……わかった。やる」

 浅くうなずき、『シュテルン』に右手を伸ばす。卵飾りに指が触れた瞬間、ぴりっと軽い電流のような衝撃が全身を駆け抜けたが、すぐに消える。代わりに、ぽかぽかと全身が温かくなるような熱が、おなかの底からわき上がってくる。

 ステッキを手に、タマに見守られながら、千春はラパスに向き直る。なにも知らないはずなのに、言葉は脳裏に浮かび、口をいて出る。それは、日本語ではなかった。


『来たれ、春の光。まとえ、咲きほこる花。ソル・スプリングの名のもとに!』


 途端、『シュテルン』が暖かいピンクの光を放った。それを高々と頭上に掲げる。

「おおゥ! ぽおゥ!」タマが歓喜のあまりか、完全に興奮した犬の鳴き声になる。

 光が花びらのように舞い、千春の全身を包み込み、手に、足に、髪にからみつく。

 同時に、全身がかっと熱くなり、自分が自分ではない別のなにかに変わってゆくのを、千春はどこか懐かしい気持ちで感じていた。

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