十三話

「会って、いただけると? しかも、わざわざこちらへいらっしゃって?」


 アデルは驚き過ぎて、声を抑えず聞き返した。その隣に立つクロードも目をぱちくりさせてマデリーンを見ていた。


「ええ。手紙にはこちらからうかがいたいと書いたのだけれど、返信にはご本人自らうかがうとあって……」


 二人はこれまでと同じように、まずはマデリーンに頼んでマウリスとの約束を取り付けてもらうことにしたのだが、相手が大貴族と知ったマデリーンは、今回は力になれないかもしれないと弱気だった。さすがの彼女でも王都に住む大貴族に知り合いはおらず、またそこに至るつてもなく、期待はしないように言われていた。相手が相手だけに、二人もあわよくばという気持ちで頼んでいたので過剰な期待はなく、どうすれば会えるかを早々に思案していた。だが返信の手紙を読んでマデリーンは仰天した。マウリスが会ってくれることも驚くのに、その本人がガリフェ家を訪れたいというのだから、二重の驚きと共に自分の目を疑った。読み間違えか、あるいは書き間違えではないかと何度も何度も読み直したが、やはり文章には何の間違いもなかった。どういうわけなのか、マウリスは遠路はるばる本当にガリフェ家にやって来るつもりなのだ。その事実はマデリーンを喜ばせるよりも、大きく動揺させた。


「奥様、出されたお手紙には私共がお話をうかがうことは書かれたのですよね?」


「もちろんよ。こちらのメイド達がうかがうと書いたわ。それが何か気に障ったのかしら……直接不満を言いに来るわけではないわよね……」


 ソファーに座るマデリーンは、自分の落ち度ではないかとそわそわし始める。


「そのためだけに、わざわざ王都からいらっしゃることはないでしょう。もし不満を抱かれているのなら返信などせず、無視をするのではないですか?」


「そ、そうね。こんな丁寧な文面で不満を伝えるわけがないわね……。では本当に、こちらの意に沿うために来てくださるのね」


「マウリス様のお人柄は存じ上げませんが、きっと好奇心と行動力に溢れたお方なのでしょう。もしくは単なる気まぐれかもしれませんが」


「そういうお気持ちで来てくださるのならいいけれど」


「いずれにせよ、いらっしゃってくださるということは、ローザ様についてお話しなさるおつもりがあるということでしょう。期待薄と思っておりましたが、やはり奥様にご協力いただいて良かったです」


「私も、かなり驚きはしたけれど、ほっとしたわ。あちらと日時の約束が取れたらまた伝えます。……二人とも、長いこと調査をさせて苦労をかけるけれど、この先も頼むわね」


「はい。お任せください」


 二人は会釈をしてマデリーンの部屋を出る。期待していなかった手紙で、まさか会う約束が取れるとは思っておらず、その上あちらから来てくれるのは予想もしなかったことで、二人にとっては時間と金を使わずに済み、助かることでもあった。しかしなぜマウリスは王都から離れたガリフェ家に来ようとするのか。そこだけに疑問を感じながら、二人は約束の日まで過ごすのだった。


 そして数日後、マデリーンを含めた三人は緊張の面持ちでマウリスを迎えた。


「どうぞ、お座りになってください」


 館の応接間――灰色のビロードのソファーにマデリーンが促すと、マウリスはにこやかにそこへ腰を下ろした。


「こちらのわがままをお聞きくださり、ありがとうございます」


「わがままだなんて……私達はわざわざ来てくださったそのお心に感謝しています」


「そう仰ってくださると、少し安心しました。お時間を取らせてしまい、ご迷惑に思われているのではと思っていたので」


「いいえ。こうしてお目にかかれて光栄です。大したことはできませんけれど、お気を楽にしていただければ」


 二人の会話が途切れたところで、アデルは用意していたティーセットを机に運ぶ。紅茶を注ぎ入れ、焼き菓子の載った皿にフォークを添えてマウリスの前に差し出す。マデリーンにも同じように出すと、アデルはソファーの傍らに控えるクロードの横に並んだ。


 大貴族と聞いて、アデルは高飛車だったり横柄な態度の男性を思い浮かべていたが、目の前のマウリスにそのような様子はなく、穏やかな笑顔と丁寧に発する言葉からは、自分が偏見を抱いていたことに気付かされた。初めて見る大貴族の人間だが、短く整えられた明るい茶の髪、宝石のような鮮やかな黄の瞳、細く高い鼻、口角の上がった薄い唇……と、端整な顔立ちではあるが、服装も装飾品も他の貴族と特に違いはない。大貴族だからと言って贅沢に着飾っているわけでもないようだ。だがマウリスの体格はフェルナンドやザカリーと比べると大きかった。太っているわけではなく、おそらく鍛えた大きさだろう。ティーカップを持つ指は、他の貴族の男性はまるで女性並みに細くしなやかなのに比べ、マウリスのそれは職人のようにごつく太い。貴族の使命は王国や国王に何かあれば、その命を賭して戦うことだ。聞いたところではマウリスの年齢は二十五。次代を担う貴族として、または国王への忠誠と課せられた責務のために日々鍛錬しているのかもしれない。若い貴族だからと飲んで騒いで遊んでいるばかりでもないようだ。やるべきことはやる、真面目さを持った人柄なのかもしれない。


 紅茶を一口飲むと、マデリーンが口を開いた。


「それでは早速、お話をお聞きしてもよろしいかしら?」


「もちろん。そのために私は来ましたので。ガリフェ夫人のご息女についてでしたね。彼女はいらっしゃるのですか?」


「ええ。部屋で休んでいます。お話は私ではなく、こちらの二人からお聞きさせていただきます。……さあ、あなた達の知りたいことをうかがって」


 言われて二人は一歩前に出ると、頭を下げてから質問を始めようとした。


「その前に、夫人にお話ししておきたいことがあります。良いでしょうか?」


 マウリスにさえぎられ、アデルは出かかった言葉を飲み込む。そんな彼女にマデリーンは視線で待ってと止めてマウリスに向く。


「……ええ。どのようなお話?」


「実を言えば、今日こちらにおうかがいさせていただいたのは、これを聞いていただきたかったためで……」


 マウリスはソファーに座り直し、姿勢を正すと、正面のマデリーンを真っすぐ見つめて言った。


「そちらのご息女――ローザとの、交際を許していただきたいのです」


「……は?」


 きょとんとするマデリーンの横で、二人も目が点になっていた。あまりに突然の告白に、考えていた質問内容は瞬時にどこかへ消えていた。


「驚かせてしまい、申し訳ありません。その、以前私は何度かローザとお会いする機会があって、容姿はもちろん、その内面の優しさにも惹かれ、慕い続けていました。そんな彼女と交際ができれば、どれほど幸せなことか……」


「うちの、娘に、好意を寄せてくださっていると……?」


「そうです。私はローザを愛しています。この思いは決していい加減なものではありません。もし交際を許していただけるなら、行く行くは二人での将来のことも考えたいと思っています」


 二人での将来――つまり結婚も視野に入れているということだ。大貴族の子息との結婚など、女性にとっては願ってもないことだろう。同じ貴族であっても言えることだ。大貴族の力を得れば、ガリフェ家は長く安泰でいられるのだから。だがそうなるにはマウリスとローザの間に固い絆が生まれなければならない。すぐに別れるような仲ではお互いが不幸なだけだろう。マウリスが慕っていても、ローザの気持ちはどうなのか――重要なのはそこだ。そうして三人の頭に思い起こされたのは、アーサーが結婚を迫ってきたことだった。一方的な思いの押し付けでは――三人にはアーサーの件で植え付けられた疑いの気持ちが同じように湧いていた。


「ええと、娘にはとても光栄なことでしょう。ですが、そちらのお気持ちだけで私が決めることは――」


「ローザも私と同じ気持ちだと思います」


 穏やかに、だが自信を持った口調でマウリスは言う。


「それは、娘もあなたのことを、好いていると?」


「そう私は感じています」


 照れもせず、マウリスはにこりと笑った。これにマデリーンは困惑した目でアデル達をちらと見る。どう答えればいいのかわからないようだ。その様子を受け取り、アデルは代わりに口を開いた。


「あの、横から失礼いたします。マウリス様はローザ様と、どのように親しくなられたのでしょうか?」


「各地の夜会などに出席していた時に、何度か彼女と一緒になることがあって、そこで親しくなった」


 ザカリー主催の宴で、確かにそういった姿は目撃されている。


「その夜会などで、何度ほどご一緒になりましたか?」


 これにマウリスは怪訝な表情を浮かべた。


「なぜそんなことを聞くんだ?」


「周辺の街で開かれる夜会や宴に、大貴族であるお方がいらしていたというお話は、一度しかうかがったことがないもので」


 その一度はザカリーの宴。しかしマウリスが目撃されているのはその時だけだ。多くの宴に顔を出しているフェルナンドの話によれば、大貴族が王都を出るのも珍しいのに、そこから離れた街の宴に出ることはまずあり得ないと言っていた。それを裏付けるように、フェルナンドは周囲の者から他の宴で大貴族の者を見たという話は聞いたことがないとも話していた。一方のローザはこれまでいくつかの夜会や宴に出席しているが、そのいずれも周辺の街での開催で、王都に行ったことはない。


「よろしければ、どの街で開かれた夜会だったのか、教えていただけませんか?」


 これでぼろを出せば、マウリスもアーサー同様、嘘をついていることになるが……。


「悪いが、私は王都以外の地理には詳しくなくて、街の名前すらわかっていないんだ。でもこの街に住むザカリーという貴族は知っているかな? 彼の開いた宴には友人を通じて出席したことがある。それははっきり憶えているよ」


 王都住まいの大貴族が地方の街の名を知らないことはあるだろうが、こちらが把握しているザカリーの名だけ出すのは、アデルにしてみればどうも怪しさを感じさせた。


「他にローザ様とご一緒になられたのはどこでしたか?」


「だから場所の名前はわからない。友人に誘われて行っていたから」


「しかし、マウリス様はこちらでも有名な大貴族のご子息です。そういう場にご出席されて、周りの方々から好奇の目で見られませんでしたか?」


「そういうことはなかった。誰も私のことを知らなかったから」


「けれど、お名前を仰る時に、お相手がわかってしまうのでは……?」


 そう聞くと、マウリスは苦笑いを見せた。


「ここだけの話だが、王都を出て夜会に参加していることは秘密だったんだ。王都で開かれるものは格式ばって何も楽しくない。あれでは酒も不味いだけだ。だから気晴らしのつもりで友人を頼って夜会に行った。こんなことがばれれば当然叱られ、数日は監視付きだとわかっていたから、どの場でも偽名を名乗っていた」


「偽名ですか。ちなみに、どのようなお名前を名乗られていたのですか?」


「何だったか……いくつも名乗り過ぎて忘れてしまったな」


「ローザ様にも偽名を?」


「いや、ローザには本当の名を伝えてある。心を寄せる女性にずっと嘘をつくわけにはいかないだろう?」


 マウリスはアデルに微笑む。


「どうかな。これで私の疑いが晴れるといいが」


「い、いえ、そういうつもりでは……」


 アデルは思わず顔を伏せた。話を聞いた印象からは、まだ怪しさが残る。いかにもそれらしい説明ではあったが、裏を取りたいところだけはしっかり忘れている。それは都合が良すぎる気がした。彼は自分が疑われていると感じているようだ。だから小さなぼろも出さないよう気を付けている感もある。だとすると、やはりマウリスの言葉にも嘘しか詰まっていないのだろうか……。


 マウリスは紅茶を飲んでから言った。


「……ガリフェ夫人、こちらのメイドが私に聞きたかったことというのは、こういうことですか?」


「え、ええ。あなたとローザの関係についてお聞きしたいと……」


「私はローザとの交際を望んでいます。そして彼女も同じ気持ちでいるはずです」


「ですがそれは――」


 マデリーンの発した言葉を、マウリスは手を上げて止めた。


「わかっています。私がいくら言おうと、初対面の男の言葉などすぐに信じられるものではないでしょう」


「し、信じないわけではないのですが……」


 慌てて言い繕うマデリーンにマウリスは微笑む。


「お気遣いなく。私が夫人の立場であれば、まったく同じ気持ちを抱きます。ですから、私の思いと言葉が本当であると証明するために、ぜひローザに会わせていただきたいのですが」


 これにマデリーンの表情がやや険しくなる。


「ローザに、ですか?」


「会って話を聞けば、私の思い込みではないとわかってもらえるはずです。どうでしょうか?」


 言う通り、互いに思い合っているのか確かめるのならローザに確認するのが手っ取り早い方法だ。だがそれをすると、三人が未だに子の父親捜しを続けていることがばれてしまうだろう。幸いローザは数日後には機嫌を直してくれたが、二度目となると怒りは倍増するかもしれない。


 しかしそれよりも恐れるのは、ローザが妊娠している事実が知られることだ。まだ腹には目立つほどの膨らみはなかったが、緩やかな服装や動きでばれないとも限らない。何よりローザはあまり妊娠を隠そうとする気がなく、話の流れ次第では自らそれを明かしてしまう可能性さえある。マウリスが子の父親であれば何も問題はないのだが、それを確認するにはやはりローザに聞くしかない。結局のところ、父親捜しをしていることはばれる運命なのだろう。だができれば隠し通したいのが三人の気持ちだった。


「ローザに、会わせていただけませんか?」


 にこやかに迫ってくるマウリスに、マデリーンは引きつった笑みを浮かべていたが、おもむろに口を開いた。


「……その、会われずとも、私が今から娘に話を聞いて来ましょう。ですから、しばらくお待ちいただいてよろしいですか?」


 会わせず、話を聞きに行く――父親捜しはばれるかもしれないが、これなら妊娠を知られる可能性はなくなる。アデルには良い妥協案に思えた。マデリーンが腰を浮かせ、ソファーから立ち上がろうとした時だった。


「でしたら私もご一緒させてください」


 そう言ってマウリスも立ち上がろうとする。それをマデリーンは慌てて止めた。


「お、お座りになっていてください。わざわざ行かれなくても――」


「私が直接会い、そこでの話をお確かめになるほうがいいと思うのです。もし食い違えば、いちいち私に聞きに戻らずに済みますし」


「そうかも、しれませんが……ですが、まずは私だけで……」


「こんな男と会わせるのはご不安であろうと思いますが、それでも私はローザに話を聞いてもらいたいのです。どうか、お願いします」


 一緒に会いに行きたいと頼むマウリスに、マデリーンは戸惑いを見せる。先にローザに確認しない限り、マウリスを会わせるわけにはいかないのだ。こちらの都合など知る由もない彼は真剣な眼差しで頼み込んでいる。これは助けが必要だ――そう思ったアデルは前に出て言った。


「マウリス様、こちらのお菓子でも召し上がって、しばしおくつろぎください。奥様はすぐに戻られますから、長くお待ちいただくことはございません」


 笑顔で皿の菓子を勧めたアデルだったが、マウリスにその気はまったくなさそうだった。


「美味しそうな菓子は後ほどいただくが……夫人、一緒に行かせてください」


「ですから、それは……」


 口ごもるマデリーンを見てアデルはすぐさま言う。


「奥様はお一人でお話をなさりたいと仰っております。それまでお待ちください」


 これに続けるようにクロードも言った。


「大変失礼ではございますが、マウリス様はアルバクス家という名家のお方ではいらっしゃいますが、我々ガリフェの者とは今日初めてお会いしたわけで、まだどういうお方なのか知るまでには至っておりません。なのでご要望と言えど、お嬢様と直接お会いになるのはもう少しお互いをお知りになってからでないと……」


 つまり、まだ信用の置けない者は、警備上の観点から会わせられないという理由をクロードは作ったようだ。警備主任らしく毅然と言ったが、これで怒りを買わないかとアデルは内心ひやひやしていた。だがマウリスの顔には怒りではなく、怪訝な色が浮かんでいた。


「大貴族と呼ばれる者であろうと、知らなければ警戒するのが当然の対応だろう。だから君は間違ってはいない。だが……何か引っ掛かる。今日私が夫人とお会いしたのはローザの話をお聞かせするためです。それなのにローザにその話を直接確かめられないなんて……私はそんなに危険人物に見えますか?」


 マデリーンは勢いよく首を横に振る。


「そ、そんなふうに思っていれば、こちらに招いたりなどしません」


「ではなぜそこまで頑なに……他に、会わせられない理由があるのですか?」


 三人はどきりとしながらも、顔には出さずにマウリスを見る。


「と、とにかく、今日のところは私だけで話を聞いて――」


「ローザに、何かあったのですか?」


 疑う視線が三人の顔色を探ってくる。


「何も、あるわけがございません。なぜそのように?」


 笑みを作ってアデルは聞く。


「こちらの街で最近、貴族が襲われたという物騒な話を耳にした」


「ああ、その事件でしたらすでに犯人は捕まっておりますので、ローザ様が襲われることはございません。ご安心ください」


「そうか。それは良かった……。ローザの身に何も起きていないのなら、私と会うこともできるはずです。心配であれば警備付きでも構いません。どうかローザと話をさせてください」


 何度も頼まれるマデリーンは困り果てた表情で答えるしかない。


「おわかりください。こちらは意地悪をしているわけではないのです。娘に会わせることはまだ……」


「夫人にもご都合があるように、私にも都合があるのです。王都からこの街まではかなりの距離があり、時間もかかってしまいます。頻繁に訪れることはできず、来られるのは予定が十分に空いた時だけです。次にいつそのような時間ができるかはわかりません。だからこちらに来られた今はとても貴重な時間なのです」


「遠路やお時間のことは理解していますが、そう仰いましても……」


「そこまで拒まれるのなら、なぜ会わせられないのか、具体的な理由をお教えください。でないと私は納得できません」


「理由、ですか……?」


 マデリーンは目を泳がせると、アデルとクロードへ助けを求めるように視線を向ける。マウリスを納得させる理由が思い付かないのだろう。だがそれは二人も同じだった。マデリーンの視線を受けても、助けになる言葉がなかなか出てこない。マウリスの懇願する様子には適当な嘘でやり過ごせない感じがある。納得するまで追及してきそうな気迫を見せているのだ。それほどローザへの思いが深いということか。しかしここまで諦めない人物だと知っていれば、ローザは外出中などと言って会えない理由を作ることもできたが、今さらそれは不可能だ。マデリーンが最初に、ローザは部屋で休んでいると言ってしまった以上、納得させる理由を作らなければいけない。けれど三人の頭には何も浮かばず、ただ焦りが募るだけだった。


 困り顔で黙るマデリーンを見て、マウリスは少し苛立った口調で聞く。


「理由など、ないのですか?」


「ない、わけでは……」


「それでは何なのですか? 仰ってください」


「………」


 マデリーンはうつむき、表情を歪ませる。どうにか頭を絞って良い理由を出そうとするも、やはり口は開かない。するとそれに業を煮やしたのか、マウリスはすっくと立ち上がると言った。


「仰らないのであれば、私はローザに会わせてもらいます。そしてお互いの気持ちが同じだということを証明します」


 そう言ってソファーの横を通り過ぎ、応接間の入り口へ向かおうとする。それを見たマデリーンは驚いて立ち上がった。


「ど、どこへ行かれるのですか?」


「もちろん、ローザの元です」


「お待ちください! 勝手に行かれては困ります! それに娘の部屋がどこなのかお知りでないでしょう」


「ここで働く者に聞けばすぐにわかります」


 扉へ一直線に向かうマウリスをマデリーンは急いで追うと、その前に回り込んで立ち塞がった。


「お客人とは言え、許しもなく勝手に部屋に入るなど、礼儀から外れた行いです」


「勝手には入りません。扉を叩き、ローザの返事を待ってから入ります」


「そ、その娘と会う許しを私は出していません!」


「理由を仰ってくだされば私は留まります。……教えていただけますか?」


 聞かれたマデリーンは途端に黙り込んでしまう。教える気がないと判断したマウリスは彼女の横をすり抜け、扉の取っ手に手をかけようとする。


「アデル、マウリス様を部屋から出すな!」


 クロードはそう言うとマウリスへ向かって駆けて行く。


「だ、出すなって言われても、どうやって――」


「引っ張ってでも押さえてでもいいから、とにかくお嬢様のお部屋には行かせるな!」


 駆け出したクロードを追って、アデルもとりあえず向かう。その先ではマウリスが部屋を出て行こうとしていた。


「行かれるのなら奥様の許可を得てからにしてください。それを拒むのであれば、こちらは多数の警備人を呼ばなければなりません」


 廊下に出ようとしたところで、マウリスは振り向いて言う。


「力尽くの手段を取るならそうすればいい。それでも私は会いに行くが」


 不敵な笑みを残して行こうとしたマウリスだったが、クロードはその腕をつかむと強引に部屋へ引き戻した。


「無礼だぞ。何を――」


「無礼なのはそちらだ。奥様を無視して行かせるわけにはいきません」


「無視などしていない。理由をはっきり教えていただければ、私には納得する余地もある。しかしそうしていただけないのなら、わかっていただくために私は行動するしかない」


 マウリスはつかまれた腕を振り解こうともがく。


「アデル、もう一方の腕を押さえろ!」


 クロードに言われ、アデルは渋々押さえる。引き止めたいのもわかるが、大貴族に対してこんな真似をしたら、後々どんな報復をされるかわかったものではない。びくびくした気持ちでアデルはもがくマウリスをなだめようと話しかけた。


「マウリス様、お願いですので、奥様を困らせないでください。こんなことをなさっても信用が失われるだけです」


「私の言葉が嘘でないとわかれば失われることはない。離すんだ」


「できません。再びソファーにお座りになっていただくまでは……」


「すみやかにお戻りください。これ以上に強引な手段は取りたくないのです」


「どうしようと私は構わない。足を切り落として止めてみるか?」


「なぜおわかりいただけないのですか。どうかお戻りに――」


 引き止め、説得しようとするアデルとクロードに対し、マウリスは意地でもローザに会おうともがき続ける。そのらちが明かない状況にたまりかねたマデリーンは自分の中で意を決すると大声で言った。


「あの娘は、妊娠しているのです!」


「………え?」


 マウリスは動きをぴたっと止め、マデリーンを見やる。同じようにアデルとクロードも止まり、愕然とした表情を向けた。


「お、奥様、そのことは――」


「こういうことなので、会わせるわけにはいかなかったのです。ご納得、いただけましたか?」


 もう本当のことを話さなければ止められないと思ったのかもしれない。懸命に引き止めた二人は脱力感を覚えながら、マウリスからゆっくりと手を引いた。


「……事実、なのですか?」


 見開いた目に見つめられたマデリーンは、小さな頷きを返した。


「まだ一部の者にしか話していません」


「なぜ隠すのですか? 妊娠したのなら結婚する相手が――」


「父親を明かしてくれないのです。まだ、言いたくないと……」


 マデリーンは視線を上げるとマウリスをじっと見る。


「なので私達はその父親を特定するために、娘と関わりのあった男性に話を聞いていたのです。心当たりはないかと」


 マデリーンの目は、暗にあなたはどうかと聞いていた。それを受けたマウリスはわずかに戸惑いを見せると、ふっと視線をそらして言う。


「そう、ですか……ローザが、妊娠していたなんて……」


「これを聞いても、まだ娘との交際を望みますか……?」


 迫る口調のマデリーンにマウリスは向き直る。


「……もちろん、私のローザへの思いは変わりません。ですが……少々驚いて、気持ちがすぐに整理できないもので……」


 好きな女性がすでに妊娠していたと知れば誰だって驚くだろう。身に覚えがなければ思いも激しく揺れ動くに違いない。マウリスは冷静に振る舞おうとしているが、内心は動揺に襲われているようだった。


「あの、とりあえずソファーにお戻りになってお話しを――」


 アデルが促そうとすると、マウリスはそれを制して言った。


「いや……ガリフェ夫人、私はここで失礼させていただきます」


「娘に会って話をしたかったのでは……?」


「そうでしたが、一度出直すべきかと。勝手な振る舞いで申し訳ないのですが」


「こちらこそ、感情的な態度を取ってしまい……非礼をお許しください」


「それはお互い様です。事情を知った今は理解できます。……では、次回はこちらからご連絡を差し上げますので」


 会釈をして出て行くマウリスを玄関まで見送ろうした三人だったが、それをやんわり断られると、仕方なく応接間で別れを告げて見送った。


「……あの方も、お腹の子の父親ではなかったようね」


 マデリーンは残念そうに言った。


「ご妊娠とお聞きになってからの勢いのしぼみようは、やはりがっかりされたのでしょうか」


 アデルの言葉にマデリーンは苦笑する。


「わかりやすい態度は探る必要を省いて、かえって助かるけれど」


「所詮その程度のお気持ちだったということでしょうか。ご連絡をくださるのはいつになることか……期待せずに待つとしましょう」


 クロードは肩をすくめて言った。


「大貴族のご子息なら申し分ないとも思ったけれど、父親でないのならしょうがないわ……引き続き、捜してくれるかしら」


 マデリーンに二人は頷く。


「はい。調査の上、他の方々に当たってみたいと思います」


 とは言ったものの、二人にはもう情報がなかった。他にローザと関係のありそうな人物は誰なのか、またそこから始めなければならない。先がなかなか見えない地道な仕事だが、提案したのはアデルなのだ。その責任を放り出すわけにはいかない。やる気を奮い立たせ、次なる行動を考え始めるのだった。


 そんな三人の会話を廊下で密かに聞いている者がいた。大貴族のマウリスが来訪すると聞き、応接間の周辺をうろうろしていたガリフェ家当主のミシェルだった。しかしその顔は暗く、落ち込んでいる。


「……ここまで、だな……」


 弱々しく呟くと、応接間の扉に背を向け、ミシェルは自分の部屋へ戻って行く。だがその足取りは力強い。何か決心したかのような、そんな雰囲気を感じさせていた。

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