九話
ザカリーに招待された酒宴は以前訪れた山中の家で開かれるのではなく、街にある別邸で夕方から開かれている。それに合わせて二人は招待客としてふさわしい服装に着替え、馬車を使って会場に到着した。見上げるほどの大きな館には、次から次へと煌びやかに着飾った男女が入って行く。そんな光景を二人は怯えるような眼差しで眺めていた。
「……なあ、俺達ってやっぱ、場違いだよな」
「それは言わないで。前に進めなくなる」
クロードが感じたことは、アデルも同じように感じていたことだった。ザカリーの要望であり、礼儀や作法のために二人は宴に招待されるにふさわしい格好をしてきたつもりだったが、上流階級の人々の格好は遥か上を行く、豪華で上質なものばかりだ。生地はビロードやシルクなど、そこに金糸の刺繍やレースで贅沢に飾り付けられている。装飾品も頭から指先まで、眩しいほどに輝く宝石が本人達をより高貴に見せている。
一方の二人はというと、アデルは足首までの淡い緑のワンピースドレスで、腰の部分だけ少し膨らみを持たせ豪華さを演出してはいるが、装飾が少ないせいか逆に野暮ったくも見えてしまう。クロードは黒の上着、ベスト、ズボンできっちり決めていたが、招待客の男性で黒を着ている者は意外にも少ないようだった。青や白に装飾を施した服装が目に付く。個人が開く酒宴の場だから、黒の正装で来る必要がないのかもしれない。だが正装であってもクロードの服は見劣りする。貴族の服の生地はどれも高級品が使用されているが、街で庶民が買える服にはそれなりのものしか使われていない。一見黒に見えても、周囲の黒と見比べればクロードの服はやや薄く感じた。漆黒でなければ光沢もない、どこか使い古され、くたびれたような黒。それにはそこはかとない安物感が漂う。だが決して安いものではない。二人は自分の目で吟味し、宴にふさわしいものを選んで買ったつもりで、金をけちることもなかった。これで大丈夫と自信満々に着てやって来たが、所詮二人は庶民の感覚した持ち合わせていない。本当に高価なものを目の当たりにすると、ただただ言葉を失い、これで自信を持っていた自分達を恥ずかしく思うだけだった。
けれどこうして宴の場へ来てしまったのだ。恥をかきそうだからと帰るわけにはいかない。そのために仕事を放棄することもできない。安くはない服の出費分は話を聞かなければならないだろう。そうしないと金もザカリーの厚意も無駄になるだけだ。
「……それじゃあ、入りましょう」
二人は緊張の面持ちで正面玄関へと向かった。香水の良い香りを漂わせる招待客に混じり、まずはアデルが、続いてクロードが入り口に立つ男性に招待状を見せる。見慣れない顔のせいか、一瞬怪訝な目を向ける男性だったが、招待状を確認するとすんなりと二人を中へ通した。
「はあ……何か、溜息が出ちゃう」
玄関を抜け、奥の広間にたどり着くと、そこは一層煌びやかな空間だった。頭上に吊るされたシャンデリアの輝きが、その下で談笑する大勢の男女を照らし出していた。ガリフェ家にも広間はあるが、ここまで大きく豪華なものではない。宴を開くにしても限られた人数で身内を呼ぶことが多く、アデルはこういった大人数の宴を見るのは初めてだった。優雅に酒を飲み、笑い、楽しんでいる様は、いかにも貴族的な光景に思えた。庶民の宴なら酔った誰かが歌い出し、それに合わせて皆が酒を片手に踊って騒いだりするものだが、酒宴の場でも品を忘れず振る舞うのが彼らの作法のようだ。笑顔を浮かべて話しながらも、声は抑え、酒も一口ずつ。がぶ飲みしている者はどこにも見当たらない。
「酒宴なのに、酒を好きなだけ飲む雰囲気じゃねえな……」
クロードは仕事にかこつけて高価な酒でもを飲むつもりだったのか、そんなことを呟く。
「私達はお酒を飲みに来たわけじゃないんだから。目的を忘れないでよ?」
「わかってるって。でも酒も飲まずにうろついてたら逆に怪しい目で見られる。だからちょっとくらいは飲むべきだ。だろ?」
アデルは横目でねめつける。言っていることはわかるが、それ以上に酒を飲む口実のように聞こえた。クロードは真面目に仕事をする気があるのか――そんな不安もよぎったが、この場に馴染むには確かに酒を飲むのも大事なことではある。
「……頭が鈍らない程度にしておいてよ」
「お前もな」
「私はあなたほどお酒好きじゃないから大丈夫」
二人は煌びやかな宴の中へ踏み込むと、見つけた給仕からグラスワインを貰い、話を聞く相手を捜し始める。
知りたいことは、アーサーの話がすべて本当だったかどうかだ。二人とも酒に酔っていたのか。特にローザは泥酔するほど飲んでいたのか。そして二人きりになった時間があったのかだ。その宴に来ていた客は今日この場にも大勢いるはずだ。まずは誰から聞いていこうかと見回していた時だった。
「あ、ちょっと」
近くから呼ばれ、二人は振り向く。とそこには貴族らしき若い女性がおり、クロードの持つグラスワインを見ながら言った。
「それ、いただける?」
「え……?」
他人の飲みかけのワインをなぜ欲しがるのかわからず、クロードは返答に詰まった。これに女性は怪訝な目を向ける。
「何? 私には飲ませたくないとでも言うの?」
「いや、いえ、でも……」
「……何なの? 何か言いたいことでも?」
じっと見られ、クロードが戸惑う様子にアデルは横から助けに入った。
「あの、すでに口を付けたワインより、新しいものを貰ったほうがよろしいのでは……?」
これを聞いた女性は最初、意味が理解できないような表情を見せたが、次には丸くした目でクロードを睨んだ。
「まさかあなた、給仕の立場で客のお酒を飲んでいたの?」
「は……? 給仕?」
「信じられない。こんな不届き者が紛れ込んでいるなんて……ザカリーに知らせてあげないと」
そう言って踵を返そうとする女性を、アデルは慌てて引き止めた。
「お、お待ちください! それは誤解です」
「……あなたは何? この男の仲間か何か?」
「私達は給仕ではなくて……この通り、あなたと同じ招待客です」
アデルは懐から招待状を取り出し、女性に見せた。それにならい、クロードも同じように招待状を見せる。しばらく見つめていた女性だったが、二人を見るとばつが悪そうに薄い笑みを浮かべた。
「やだ……私、てっきり給仕なのかと」
「本物の給仕なら、あちらにおりましたよ」
アデルが手で示すと、女性は振り向き確認する。
「そうみたいね……そんな紛らわしい格好だから間違えたみたい。失礼したわ」
笑顔でごまかしながら、女性はそそくさと去って行った。
「……俺達が場違いだって、やんわり言われた感じがするな」
「やんわりじゃないわよ。はっきり言われた。完全に」
給仕の服装は黒の正装。そしてクロードも黒の正装。貴族の目からすれば、この場でこの格好をしていれば皆給仕と思うのは仕方がないのかもしれなかった。やはり庶民が貴族に紛れるのは難しいようだ。
「あー、早く帰りたい。居心地が悪すぎる」
「それじゃあ頑張って仕事を終わらせましょう。片っ端から話を聞いてね――あの、少しよろしいでしょうか」
アデルは目に留まった者から順番に話を聞いて回った。クロードもアデルと分かれて別で聞き回った。到底上流階級の人間には見えない二人を疑い、警戒して口を利いてくれない者もいたが、多くは酒が入っているおかげもあり、アーサーやローザに関しての質問には答えてくれた。しかし大分前の記憶をたずねているわけで、大半の者は二人が宴にいたことすらあいまいで、かろうじて憶えていたとしても、酒にどのくらい酔っていたかなど細かに記憶している者は一人もいなかった。
「……その顔だと、成果はなさそうね」
「そっちもか。参ったな……」
四十分後、合流した二人は広間の片隅にたたずみ、会話に興じる客達を眺める。証言がなければ、アーサーの話もローザの否定も真偽がわからないままになってしまう。判断ができない状況が続けば、父親と主張するアーサーが強引に結婚を迫ってくることも考えられる。それだけならまだいいが、報告できずにぐずぐずしていればミシェルも待ってはくれないだろう。娘の妊娠を良く思っていない彼は堕胎薬を飲ませたがっている。それはローザの身を危険にさらし、妊娠に喜ぶ気持ちまで砕く最悪の手段だ。アデルとしてはそれだけは何としても避けたいことだった。そのためには早いところアーサーの話の裏付けを取り、父親である相手を特定したいのだが、誰に聞いても証言が得られない今、行き詰まっているとしか言えない状況だった。
グラスワインをちびりと飲んでクロードは聞いた。
「どうする? 遅れて来た招待客もいるだろうし、もうちょっと聞き回ってみるか?」
「そうね。せっかく招待されて、成果なしで帰るわけには――」
「やーっと見つけたぞ!」
急に聞こえた明るい大声に二人は揃って振り向く。
「こんな隅で何の立ち話だ? ん?」
「ザカリー様……!」
ワインを片手に両手を広げ、笑顔を見せながらこちらに近付いて来るのは、二人を招待した本人であるザカリーだった。だが以前会った時とは大分印象が違って見える。
「私の宴を楽しんでなさそうな顔だな。もっと酒を飲んで思いっきり楽しめ!」
「は、はあ……」
クロードは肩をバシバシと叩かれ、戸惑いながら頷く。低く落ち着いた口調、少し強面の冷めた表情はどこへやら、ザカリーはいかにも陽気に笑いながら楽しげに話しかけてくる。その様子は前回会った時とはまるで別人だった。
「……ザカリー様、酔っていらっしゃるのですか?」
横からアデルが聞くと、ザカリーは少し上気した頬を引き上げて笑う。
「酔ってなどいない。これが本来の私だ!」
ろれつも足取りもしっかりしているが、ほんのり赤くなった顔は明らかに酔っている。彼は以前の話で、酔うことが好きだと言っていた。そうすることで別の自分を出せるとも言っていたが、それがまさにこの姿なのだろう。
「あの、本日はご招待いただき、感謝申し上げます」
礼を述べ、頭を下げようとしたアデルをザカリーは止める。
「堅苦しいことはやめてくれ。招待すると言ったから呼んだまでのことだ。礼を言うよりもこの場を楽しんでくれ! ほら!」
ザカリーは持っていたグラスを目の前に突き出し、何かを促す。一瞬わからなかったものの、すぐに気付いた二人は、持っていたグラスをザカリーのそれに軽く触れさせる。
「この幸せな時間に、乾杯!」
そう言ってザカリーはぐいっとワインを飲む。それを見ながら二人も一口だけ口に含む。ワインを飲んだ彼は本当に幸せそうで、顔にはずっと笑顔が絶えない。だが次の瞬間、笑っていた目が二人を真っすぐ見据えてきた。
「ところで、ガリフェ卿のお仕事のほうはどんな調子だ?」
明るい声から急に抑えた声に変わり、その変化にアデルは一拍おいてから答えた。
「……二人でお話をうかがい回ったのですけど、まだ何も……」
「ふむ……実は先ほど、苦情を受けてね。男女の庶民が入り込んで皆に話しかけていると」
二人は驚き、顔を見合わせる。
「それは、私共のことでしょうか……?」
「だろうな。その服ではそう言われても仕方がない」
ザカリーの向けた視線が二人の心を怯ませる。
「も、申し訳ございません。私共ではこの程度の服しか揃えられず、ご迷惑をおかけしていることはどうかお許し――」
「何を謝っている? 苦情などどうでもいい。ただ私は非協力的な者もいるが、めげずに仕事をしてくれと言いたかっただけだ。そのために私は招待したんだからな」
優しい言葉に目を丸くした二人をザカリーは笑って見つめ返す。本当に酔っているのだろうかと思えたアデルだが、この対応には感謝する。
「ありがとうございます。こんな私共にお気遣いなど……」
「何も気にせず、思う存分やってくれ。何せ私が主催する宴だ。手伝えることがあれば遠慮なく言ってくれ」
「ご招待していただけただけで、十分――」
「アデル、ザカリー様にもうかがってみたらどうだ?」
クロードにそうささやかれ、確かにと思ったアデルは早速聞いてみた。
「……あの、うかがいたいことがあるのですが」
「何だ? 言ってみろ」
「以前開かれた宴の場に、ローザ様と、イコール男爵のご子息であるアーサー様がいらしていたと思うのですが、憶えていらっしゃいますか?」
「ローザと、アーサー……」
腰に手を置き、少し考えると言った。
「二人が来ていたことは知っているが、宴でどうしていたかはあまり憶えていないな」
ザカリーもやはり憶えていない――がっかりしつつアデルは続けて聞いた。
「そこで、ローザ様がひどく酔っていたお姿をご覧になったことはございますか?」
「ローザは友人の連れとして数回来たことはあるが、いずれも酒に酔った姿は見たことがない。彼女はそういったことには気を付けている節がある」
これは本人も言っていたことだ。醜態をさらさないように飲んでいると。
「それでは、アーサー様はいかがでしょうか。お酒に酔われていたことは……?」
「彼は宴に何度も招待しているが、酔ったことはないと思う」
「わずかも、ですか?」
「ああ。酔う余地がないからな」
アデルは首をかしげる。
「どういうことでしょうか?」
「アーサーは昔から酒があまり飲めないんだ。体質なのか舌が美味さを感じないのか、宴に来てもグラスの半分も飲まない。だから酔うことはまずない」
「酒宴でありながら、お酒をほとんど飲まれないのですか?」
「彼が招待に応じるのは社交のためのようだ。酒そっちのけで客と話している姿をよく見る。そんな彼に以前、酒抜きでは楽しめないのではないかと聞いたことがあるが、自分はにぎやかな場にいるだけで楽しめていると言っていた。まあ、どう楽しむかは人それぞれだ。酒宴だからと言って必ず酒を飲む必要はない。それで十分楽しいのなら私も招待のし甲斐がある」
アーサーは酒があまり飲めない――これは重要な証言だろう。半分酔っ払ってローザを誘ったという説明とは明らかに食い違うものだ。アーサーの主張はやはり疑わしい。だがまだ決定的な証言とは言えない。酒は飲めないかもしれないが、ローザを誘った日だけは飲んでいた可能性もあるのだ。思いを寄せるローザに声をかけようと、緊張を打ち消すために無理に酒を飲んだとも考えられる。ローザと同じ場にいた時に酔っていたのか……その証言がなければアーサーの説明を完全に否定することはまだできない。それでも彼への疑いは二人の中で確実に深まりはしたが。
「招待と言えば、今日はフェルナンドが来ているが、もう会ったか?」
「フェルナンド様が? いえ、まだお見かけしておりません」
アデルがそう言うと、ザカリーはフッと笑う。
「だろうな。あいつは女に声をかけては、口説くために頻繁に姿を消すんだ。まるで捕らえた獲物を横取りされないよう陰に持って行く猫のようにな。今も館のどこかで、その獲物の女を口説いているんだろう」
「実にフェルナンド様らしい、ですね……」
根っからの女好きに、アデルもクロードも呆れた苦笑いを浮かべるしかない。
「あいつから女を取ったら、おそらく人生そのものが終わるんだ。女はあいつの生き甲斐だから、問題を起こさない限りは口出しはしない。そういう男だから、女に関してはよく見ているし、憶えていることもあるかもしれない。ローザとアーサーについて、あいつにも聞いてみたらどうだ」
「そうですね。ではお話をうかがってみます。けれど、一体どこへ行かれたのか……」
客が集まる広間をざっと見回してみるが、やはりどこにもフェルナンドの姿は見当たらない。
「女を口説くのだから、人気のない静かな場所などにいるんだろう。そういったところを捜してみろ。……では私は酒をもう一杯飲むとするか」
ワインをぐいっと飲み干すと、ザカリーは笑顔を浮かべて二人から離れて行った。
「……本当に、優しくて親切な方だな」
クロードがしみじみと言う。
「貴族だけど、中身は案外庶民的なのかも。ああいう方ばかりなら助かるのに。……それじゃあ、フェルナンド様を捜してみましょうか」
二人はグラスワインを机に置くと、広間から出て館の奥へ続く廊下に向かう。ここには照明がなく、窓から入る光のみで薄暗い。しかも人気もなく静かで、ザカリーが言った場所はまさにこういうところと思われる。
「この廊下、どこにつながってんだ?」
「さあ……でも家の作りなんて大きな差はないと思うから、このまま真っすぐ行くと多分――」
歩き進み、やがて前方に開けた景色が見えてくる。そこへ通じる扉を開いて二人は外へ出た。
「……思った通り、裏庭ね」
頭上は小さな光が瞬く夜空に覆われていた。その下の奥には街の灯りがちらちらと揺れている。それを背景に、目の前には美しく刈り込まれた植木と芝が一面に広がっていた。夜風が吹き、肌寒く薄暗い場所ではあるが、そんな庭にはちらほらと人影がある。
「宴の最中こんなところに来るのは、あの女たらしだけじゃないのか」
よく見れば男女の二人組ばかりがいる。考えることはフェルナンドと同じなのだろう。暗く、静かな場所で二人きりになりたい者がここに来ているようだ。愛を語らうには絶好の場として使われているらしい。
「フェルナンド様もどこかにいるかもしれないわ。捜して――」
「キャアアアア!」
その時、裏庭のどこかから闇を裂くような甲高い悲鳴が響いてきた。これに二人を含めたその場にいる者達が一様に声の方向へ視線を向けた。
「……今の、悲鳴?」
「そんな感じだな……行ってみよう」
周囲がにわかにざわめく中、二人は悲鳴のした庭の左側へ駆けて行った。
この辺りにも客達がまばらにいたが、何事かと気にする素振りはあっても見に行く者はいない。その間を抜けて二人は広く薄暗い庭を突き進む。
「……あそこ、誰か倒れてる!」
視線の先には二人の人影があった。地面に倒れている者と、その側に座り込んでいる者。おそらく悲鳴はそのどちらかから発せられたものだろう。
「どうされましたか!」
アデルは座り込んでいた女性に声をかける。一方のクロードは倒れた人物の様子を確かめる。
「か、彼が、突然、襲われてっ!」
女性は恐怖に引きつり、震える声で言った。
「襲われたとは、一体誰に?」
「わからないわよ! 気付いたら後ろに立っていて、彼の頭をいきなり……む、向こうへ逃げて行ったわ!」
女性は庭の奥を指差す。示された先には鉄製の柵があり、庭はそこで行き止まりになっている。それはつまり、犯人は柵を越えて逃げたということだ。
「顔は見ましたか?」
「暗くて見ていないわ。フードをかぶっていたし、服装も、マントで隠していて……」
本当に不意のことだったのだろう。犯人もそんな格好だったのなら顔が見えなかったのも仕方がない。
「お怪我はございませんか?」
「私は、大丈夫……それより彼を!」
女性が倒れる男性に触れようとしたのをアデルは引き止め、クロードに様子を聞く。
「怪我の具合は? 意識はあるの?」
「意識はある。かなり痛そうにしてるが」
「うう……」
うつ伏せに倒れた男性は芝に顔を押し付け、苦しげな声を漏らしている。
「怪我は、頭の一箇所だけみたいだ。そこにあるレンガで殴られたんだろう」
クロードが顎でしゃくって示した地面には、どこから持って来たのかレンガが落ちていた。その表面には赤黒い汚れが付着している。男性の血のようだ。
「早く医者を呼んでくれ。部屋に運んでやらないと」
「ええ、わかった」
アデルが側から離れると、女性はたまらず男性にしがみ付いた。
「お願い! フェルナンドを助けて!」
悲痛な声で呼ばれた名に、二人は思わず男性を見つめた。
「え、フェルナンド……?」
「まさか――」
クロードはうつ伏せの顔を間近にのぞき込み、そして瞠目した。何者かに襲われ、痛みに顔を歪めて倒れているのは、二人がまさに捜していたフェルナンド本人だった。
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