推しが推しを殺ス世界で。僕だけが唯一『推し』になれる

南川 佐久

第一話 こにゃたん はぁ、はぁ……(*´Д`)

 僕には、命よりも大切な『推し』がいる。


「はぁ、はぁ……こにゃたん。可愛い……」


 自分の学校をそっちのけで彼女の学校に忍び込み、こうして体育の授業を眺めに来てしまうくらい。世界で一番好きな推し。


 アイドルユニット『いろは坂十三番隊』のゆるふわ天使ちゃんこと、猫峯ねこみねこねね。愛称、こにゃたん。


 小柄な彼女は、「よーい、ドン!」の合図と共にトラックを駆けだし、ゆるっとした桜色のツインテールを靡かせる。

 女子校だからか、背丈の割に大きな胸が揺れるのを気にもせず、懸命に汗を流して走っている。体力も根性もない彼女は、持久走ではいつも周回遅れだ。そこが可愛い。


(がんばれ、こにゃたん……)


 草木の影から、無音で声援を送る。


 ここは国内でも屈指のアイドル養成学校で、在校生の九割は何かしらのユニットに所属して活動している現役のアイドルたちだ。


 つまり、僕は不法侵入者。


 バレてはいけないドキドキと、こにゃたんへの胸の高鳴りが共鳴して、今にも身体が張り裂けそうだ。


 ――パァン!


(……え?)


 裂けたのは僕の胸ではない。


 見ると、校庭をまばらに周回していた生徒達は皆足を止め、一様にある人物に目を向けていた。

 ピストルを構えた女子生徒――先程まで、クラスメイトのタイムを記録していた委員長が艶やかな黒髪を耳にかけ、紅い唇を開く。そうして、囁くように唱えた。


 『よーい……ドン!』


 パァン! と二発目の銃声が弾けて、その場の全員、アレが本物の拳銃だと確信した。そうして、なぜか委員長がクラスメイトを撃ち殺す。


 普段ならライブステージに黄色い声援の響くグラウンドが、正真正銘の悲鳴に満ち、阿鼻叫喚の渦を巻く。

 「キャアア!」と逃げ惑う生徒達。その姿をにたりと眺め、委員長は三発目の引き金を引いた。


 しかし、動く的にはもう当たらない。

 銃声は虚しく空を切り、委員長は残念そうに人のいなくなったグラウンドに銃を打ち捨てる。そうして、鞄から取り出したマイクで呼びかけたのだ。


「これより、桜崎さくらさき高等学園、『第一回 大粛清会』を開催いたします。粛清、と聞いてどきりとしたそこのあなた。思い当たる節があるのではなくて?」


(……!!)


 胸の高鳴りどころではない。

 冷や汗が滝のように流れ出て、僕の手足は震えはじめた。

 ……が、どうやら委員長は、あくまで在校生であるアイドルたちに呼びかけているようだった。


 委員長がつらつらと何事かを説明し出すが、何も頭に入ってこない。

 ただ言えるのは、

 『この学校の生徒を対象に、粛清という名のデスゲームが始まったこと』

 くらいだ。


(やばい。やばい。やばい……!)


 どこから用意したのか、校門の下からは分厚いフェンスが生えてきて、外壁を見上げる遥か先まで封鎖する。空気の確保のためか空はかろうじて見えるが、それでも「わずかに光がさすレベル」。密封の一歩手前と言っても過言ではないだろう。


 外部に救援を求めさせないためか、スマホも当然圏外になるし、逃げ場なんてあるはずもない。


 僕は、委員長の死角を縫いながら、弾かれたように校舎を目指した。


(やばい。やばい。やばい……!)



 こにゃたんが、危ない!!!!



 僕の命なんて、この際どうだっていいんだよ。

 推しが死んだら、僕も死ぬんだ。

 今はとにかく、こにゃたんを生かすことを考えないと。


 閑散としたグラウンドとは正反対に、校舎内は混沌を極めている。

 教室で肩を寄せ合う生徒たち。

 ある者は絶望のままに机に伏し、考えることは皆同じなのか、トイレの個室は全て鍵がかかっていた。まるで椅子取りゲームだな。個室に立てこもれなかった運のない者たちは、逃げ、戸惑い、屋上に向かう者、地下を目指す者と様々だ。


 僕は、その中で唯一とも呼べる安全地帯である『男子トイレ』に逃げ込んでいた。


 校舎の一階、示し合わせたかのように無人の職員室の隣。そこに、女子校内で唯一の、教員用男子トイレがある。男子トイレは元々個室が少ないし、この異常事態においても「なんだか入りづらいなぁ」なんて女生徒たちのなんとウブなことか。

 だが。僕は男子なので。何の遠慮もためらいもない。


 『万一見つかったとき用』に逃走経路、ならぬ身の隠し場所を下調べしていた甲斐があったというもの。

 まさか、こんな形で使う羽目になるとは思っていなかったが。


 僕は、急いで個室の扉を開いて、手荷物の中身を取り出す。

 そうして、服を脱ぎだした。


 長いまつ毛に繊細な髪、貧弱な体躯。

 幼い頃から男女おとこおんなとからかわれ、唯一の友人『とりてつ』によってアイドル沼に引きずり込まれるまで、僕は自分の身体が大嫌いだった。

 

 でも、今は違う。


 煌びやかなステージ衣装に身を包めば、誰もが感嘆の息を漏らしてくれる。

 フラッシュを浴び、興奮と喜びに満ちたカメラロール。


 男子トイレの鏡には、愛らしいピンクの髪をふわりとまとめた『推し』が君臨していた。

 再現度は90%を超えている。誰がどう見ても『こにゃたん』だ。

 だが僕は、その姿にため息を吐く。


「……可愛くない。」


 まだだ。まだ、まだ。

 僕にはこにゃたんの愛らしさの引き出せていない。


 どうあがいたって、見た目がどれほどそっくりでも、本物にはなりきれない。

 だって、こにゃたんは世界で一番可愛いんだぞ?


 先程までのとは違う、愛で埋め尽くされたカメラロール。

 『こにゃたんフォルダ』には、桜崎高等学園に忍び込んで撮り溜めた、彼女のあどけない日常が刻まれていた。


 その日常が、今、壊されてしまったのだ。

 あのいけ好かない委員長と、それを指示した……多分、上層部の手によって。


 ぶっちゃけ。真犯人とか、知るかボケ。


 こにゃたんのは僕のだ。


 僕は、鏡に手をついて、蒼いカラーコンタクトの先を見つめた。

 こにゃたんが焼き付いたその瞳に、今日は本物のこにゃたんを焼き付けることができたのに。今の気分は最低だ。

 だって、こにゃたんがピンチだから。

 きっと今頃、どこかで震えて怯えているに違いないから。


 でも……


 僕の女装癖があれば、を救うことができるかもしれない。


 そう、僕には『推し』がふたりいる。

 他でもないこの手で、彼女たちを救えるかもしれないんだ。


 でも、それで仲良くなってどうこう……みたいな考えはミジンコたりとも存在しない。畏れ多い。むしろ願い下げとすら言える。


 僕はただ、平和に。推しを眺めていたいだけなんだ。

 僕はただ――推しにだけなんだよ。


(ああ、こにゃたん……世界で一番、大好きで大切なこにゃたん……)


 君が危ない目にあうのは耐えられない。

 本来であれば、僕は一生草葉の陰から声援を送るだけの存在でよかった。

 握手会の列に並ぶのがせいぜいの、しがないオタクでよかったんだ……


 でも、こにゃたんが危ないのなら話は別だ。

 僕は、生まれて初めて――僕に課した【禁忌】を破った。


(ごめんね、こにゃたん……)


 今、会いに行くよ。



※あとがき

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