第23話 杉の声が聞こえる

 私は刻の長さ瞬きの連続性にのみ囚われていたのだろうか?闇が囁いた瞬きを大事に生きてこなかったのだろうか?春に美しく花開く桜のみを楽しみに生きてきた。桜の花が満開となる時は短い。1週間のみを楽しみとしその後はただ来年の春のみを楽しみに待つのみの退屈な日々であった。


 瞬きを意識したことさえなかったかもしれない。では瞬きとは何だろうか?わからない・・・・・


 意識を澄ます。周りの空気に音に風に太陽の光に意識を向ける。風がそっと通り過ぎる音が聞こえる。枝が揺れたくさんの葉のざわめきが聞こえる。わずかだけ残った桜の花びらが地面に舞い落ちるやさしい音さえ聞こえる。太陽の光が枝葉の隙間から宝石のような光の帯を作っている。


 今までこんな微かな音をこんな僅かな動きを意識したことがなかったかもしれない。何か意識に深く染みて何かときめき何か安らぐ、これが瞬きなのだろうか?


 『春って素敵だね。満開の桜、散り落ちる桜、風の囁きと光の宝石の帯』微かな声が聞こえた。初めて聞く小さな小さな声だった。同体する生である杉の声だった。


 同体する影と生は直接対話できるわけではない。影は生が夜見る夢や朧見る泡沫の幻、また生が感じる予感などを通じて生に訴える。一方、影は直接喜怒哀楽の感情の動きや生が抱く欲情を言魂として感じることができる。


 400年以上この杉と共に生きてきて初めての経験であった。影1910はたったひとりで動けず共感する仲間もいないまま立ち尽くしてきた。そう思っていた。驚きそして疑い意識を澄ませた。


 『輝く太陽、光る葉や草、甘い桜の香、爽やかな風、芽吹いたばかりの若い命の声が聞こえるようだ、春は美しい』今度は先程より少しはっきり聞こえた。


 『でも全ての命が光輝くような夏の強い日射しも好きだな。秋のせつなくて物寂しげな趣も捨てがたい。冬の澄んだ美しい雪景色も忘れがたいし』


 杉の声が確かに聞こえる。いままでなぜに聞こえなかったのか?自らの意識をふさいでいたのだろうか?刻の長さにのみ意識を奪われたまま・・・・・


 見ていても見えないものがある。目線の先に映るもの全ては見てはいる、しかし全てを見えているわけではない。聞いていても聞こえないものがある。耳に入る全ての音は聞いている、しかし全てが聞こえてはいない。

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