第5話 生の悪行

 明が高校生になる頃、標的は昆虫よりも魚や小動物に変わっていた。そして大学に通う頃には町で犬や猫の突然の不明や不審死が噂となり、さらに母親の他界後は子どもへと好みが変化していった。


 忘れられない。今でも・・・・・

 呆然から恐怖へと変わる表情が・・・・・

 両手の平に残った痙攣が・・・・・


 震えた。罪の意識に・・・・・

 止めた。良心になって・・・・・

 訴えた。何度も夢の中で・・・・・

 止められなかった。肉を感情を・・・・・


 影4219は明の魂として明が行うすべての言動を認識していた。『生』が肉と感情を担い『影』が魂を担い同体して活動を行う。生の快感は影の快感でもあり苦痛や悩みもまた同感する。


 しかし魂が生のすべてを制御しているわけではない。無意識状態下での行動や激情に流されて行う行動は魂の制御外のものである。


 ひとりの人間が人生において行う様々な悪行はその人物に課された運命であるため魂を担う影自体の罪ではない。悪行を行った人間の影は、行動を考え悩み止め省みながら人生を全うすることが与えられた責である。


 影の操りによる生の運命的な悪行の変更はなく、影の操りによる悪行を変更がなされた場合はそれが本来的運命である。


 影に本来悪性はない。人間としての悪行は生の一時的な感情の成すものであり運命としての行為である。


 運命としての生の悪行に苦しむことが影に与えられた課題であり生と伴に耐えることが影の責である。魂として影の責は重く不変である。


 3人の神隠しは生が肉欲として行った感情発動でしかない。影4219は生の感情発動を止める様々な方法を行ったが無駄であった。


 悪行自体は魂としての影にとっても刺激的媚薬でもある。影には本来的な悪性はない。しかし悪性はないということは悪性が存在しないということではない。


 悪性がないというのは一般的確定であって絶対的確定ではない。ごく稀に悪性を持つ影も存在するし一時的な悪性に陶酔する影もある。


 明が神隠しを行うとき影4219は禁忌行為に畏れ怯え震える。しかしその畏れ怯え震えという異質の激情は断ち切れない中毒性、反復性を含むものでもある。


 生の感情が肉が求めている。行ってはならない行為であるからこそ行いたい。あの激烈な禁忌行為を。


『ダメだ! やっちゃあダメだ!人間としての誇りはどうした!地獄に堕ちるぞ!』


 魂として生の明に訴える影4219。生の感情に肉にまったく届かない魂の叫び。生の感情発動は肉欲の求めるままに進む。

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