触られたいのはアナタじゃないの

なしごれん

第1回

ドアが開いて、客が入ってくる。入店音は決まってCMで流れるのと同じやつだから、こう何度も耳にすると嫌になってくる。あたしは総菜パンを並べるフリをして、客がレジに並ぶのをジッと耐える。あそこにいても立っているだけで、他にすることがないのだ。雑誌コーナー横のトイレに入った客が出てきた。きっと今日も何も買わずに出ていくのだろう。あたしはもう何度触ったかわからない、フニャフニャになったパンの包装ビニールを見つめながら思った。レジの呼び鈴が鳴る。深夜のコンビニはあたしと菊池さんしかいないから大変だ。あたしは急いでレジへ回る。あぁ、今日もこの人か。短髪で逆立っている髪。きっとワックスを付けすぎたのだろう。髪先が細く垂れてお風呂上り見たいだ。「530円になります」とあたしは言って、客がお金を出すのを待つ。この時間が一番きまずい。目線をどこに置けばいいのかわからない。だからいつも、レジの反対側にある飲み物が入ったショーケースのところを眺める。客が財布を持ったまま、何やらもじもじしだしてお金を出さない。あたしは店内を眺める。さっきより客足が増えだした。早く菊池さん戻ってこないかなァと、あたしは上を見上げる。見慣れた天井、見慣れたスナック、そして見慣れたコーヒーマシーン

「あの……料金を……」

「これ」

客は千円札と一緒に、一枚の紙きれをトレーに置いた。

「これなんですか?」

「中を見ればわかると思います」

睨みつけるあたしに、客はおどおどとした口調で言う。

「470円のお返しになります」

お釣りを受け取った客は、そのまま下を向いてコンビニから出ていった。

「お次にお並びのお客様」

とあたしは言う。来たのはさっきより厳つい、こちらもまた何度も見かけたことがある客だ。

「さっきの奴、あんたに何かあげただろ」

「はぁ……」

あたしは面倒くさそうに答える。

「ラブレターなんて今どき古いと思うんだ。考えてみろ、好意を伝えるために紙に文字を書くなんて、他に方法を知らないガキなんだよ」

あたしは何も答えずに「720円です」と言った。男はオールバックにした髪を何度も触り、なめるようにあたしを見てきた。

「一万円あげるから俺と遊ばない?」

「警察呼びますよ」

とあたしは言う。セクハラを言ってくるおじさんは何人も見てきたが、こんなに若いのに、コンビニの店員に目をつけるなんて、よっぽど出会いがないガキだな。とあたしは思う。

「ありがとうございました~」

男は店から出ていった。あのタイプなら、明日も何食わぬ顔で現れて、「好きなもの買ってあげるからインスタ教えてよ」と言ってくるだろう。あたしは眠い目をこすって次の客のレジに取り掛かる。いつまでたっても現れない菊池さん。きっと家族に何かあったのだろう。あたしは未だ握っている紙切れをポケットに入れる。


ひときわ強い風が、深夜のコンビニに入ってくる。菊池さんだ。あたしはいじっていた携帯を隠す。本当はもうバレていて、菊池さんも見てみぬふりをしてくれているのはわかっていたが、やはり二人きりになると話さないわけにもいかず、

「遅いですよォ。何してたんですか」

とあたしは言う。

「急に倒れちゃったの、主人が。家の近くに従妹が住んでいるんだけど、車を出してくれてね。店に戻らなくちゃいけないと思ったんだけど、なんだか今回のはいつものとは違うみたいで、緊急外来に行ったらすぐに見てもらえたわ」

「それで、ご主人は無事なんですか?」

「うん。くも膜下出血だったけど、初期段階だったから。今は手術も終わって安静にしているみたい」

「そうですか」

あたしは深く息を吐いた。一度もあったことないのに、なぜだが菊池さんのご主人が身近な存在に思えた。それもこれも、やはりあたしが家とコンビニを行き来するだけの生活を送っているからだろうと、菊池さんの、年のわりには白く透明な肌を眺めながら思った。

「お客さん、たくさん来なかった?」

「ううん。いつも通りです」

「そう。それなら焦って帰ってこなくてもよかったわね」

菊池さんはふふふと笑った。

「それで……レジをしている時にお客様にこんなものを貰ったんですけど」

あたしはポケットから紙切れを取り出す。中はまだ見ていなかったが、きっとセクハラまがいなことが書かれているのだろうと身構えて、菊池さんに渡した。

「なぁにこれ?」

「メモ帳の端だと思うんですけど、怖くて中が見れないんです」

菊池さんはあたしに背を向けると、ぴらっとそれを開いて読んでいた。そしてまた、あたしの方へクルっと身体を向けると、

「大丈夫。何も変なこと書かれていないわ」

と笑顔で言った。

「本当ですか?あたし、なにか気持ちの悪いことが書かれているんじゃないかって思って……」

「ううん全然平気よ。この紙には至って普通のことが書かれている。ほんとそれだけよ」

「何て書いてありますか?」

「それはアナタが見ないとだめじゃない。せっかく貰ったんだから」

菊池さんはあたしに紙切れを渡してきた。あたしは合否の通知を開くかのように、ぎゅっと目をつむってゆっくりと開いた。


『ひとめぼれです』


「ほら、なにも心配することなかったでしょう?」

後ろから菊池さんの声がした。

「これって……つまりどういうことですか?」

とあたしは言う。

「決まってるじゃない。ラブレターよ、らぶれたあ。それもこの時代に珍しい手書きのやつよ」

「いえ、それはわかっているんですけど。あたしは何をすればいいんですか?」

菊池さんは急に黙ってしまった。あたしは紙切れを見つめた。横線の入ったメモ帳をきれいに切って、それがまた半分に折られていた。白い紙にボールペンで『ひとぼれです』とだけ書かれていて、他に何もなかった。

「そりゃあ、返事をしなくちゃいけないねぇ。シナちゃん、ラブレター貰ったことあるゥ?」

菊池さんは陳列棚に目を配りながら、ときおり入口の方をチラチラ見ていた。この時間帯は長距離トラックの運転手や、若いチーマーがよく現れるのだが、なぜだか今日は、一向に現れる気配がしなかった。

「小学校の時、一度だけ」

「へぇ、それでその子とはどうなったの?」

菊池さんの手はてきぱきと動いているのに、目線だけはあたしの方へ向いていた。

「そんなの、昔のことだから忘れちゃいましたよォ」

私は真剣な眼差しを向けてくる菊池さんに、笑いながらそう言った。本当はあんなこと、忘れるはずなんてないのに……あたしはお腹が痛くなったので、トイレを借りますと菊池さんに告げ、逃げるように入った。本当はお腹なんて痛くなかったのに、いざ便座に座るとお腹が重くなってきた。あれ、生理ってまだ先だったよねと、あたしは一瞬焦る。コンビニの端に置かれたトイレは、客が散らかしたであろうトイレットペーパーが散乱していて、中はほのかに化粧臭かった。しばらくすると痛みが治まってきた。よかった。最悪の事態は免れたなと、あたしはトイレの天井を見あげる。もう何度も使ったことのあるトイレなのに、天井だけを一度も眺めたことがなかったなと、以外にもきれいなトイレの、白いLEDをぼんやりと見つめる。忘れるわけないだろう、あんな出来事。あたしは心の中で何度もそうつぶやいた。



あたしは小学校にいい思い出があまりない。友達がいなかったからと言えばそれまでなのだけど、あたしはそもそも群れるタイプじゃなかった。いつもひとり教室で絵を描いていた。小学校というと、大人は序列のない平和な教室をイメージをすると思うけど、実はそうではない。入学する前からご近所同士、同じ幼稚園、保育園の者同士で固められているのだ。あたしはどこにも入っていなかったから、入学してから一か月。隣の子や同じ班の子たちとしか話さなかった。と言っても、それは授業中の話で、四時間目が終わるとまっさきに家へ帰っていた。クラスの子たちが話すアニメの話に、あたしはついていけなかった。あの時代は「アイカツ」やら「プリキュア」やら色々やっていたが、あたしはその時間、家族と「相棒」を見ていて、右京さんの独特な話し方をまねて遊んでいた。もちろん、ストーリーなどまるで理解していなかったけど、学校が終わった後の母と見るテレビは、あの時のあたしにとってはこの上なく楽しい出来事だった。

二年生になると、あたしの孤立は一層激しくなった。小学校には二時間目と三時間目の間に「中休み」と呼ばれる二十分休みがあるのだけど、男子たちは決まって校庭でドッジボールやポケモンごっこをはじめ、教室は女子だけの空間となる。あたしは前の席だったから、黒板でお絵かきをしている女子たちの視線が痛かった。「ねえねぇなに描いてるの」と一人が言うと、それに続いて何人も席に集まってくる。あたしは集中しているふりをして、何も答えずに堪えていたけど、あまりにも何度も尋ねてくるので、ある時多少声を抑えながら、「マーキュリーだよ」と答えたことがある。

「マーきゅりィ?なぁにそれ」

「知らないの?セーラームーンだよ」

「せーらーむーん?」

この時、あたしはもう彼女たちに何を言っても通じないなと思った。もちろんあの時は、あたしも画力なんてなかったから、適当に色と色を組み合わせて、ノートは抽象画みたくなっていたけど、あたしが今の画力で小学二年生に戻ったとしても、彼女らはセーラーマーキュリーとは答えられなかっただろう。

「「 水でもかぶって反省しなさい 」」


三年生になると、女子たちの話題はクラスの男子に移る。話の中心は、いつも習い事でサッカーをしている子か、足の速い子。当時の女子は、なぜみんな足の速い子を好きになるのだろう。クラスにいた岩須くんという男の子は、いつも宿題をやってこなくて先生に叱られていたけど、体育の、それも五十メートル走の時だけ人が変わったようにカッコよく見える。動物の本能なのだろうか。あたしは体育が嫌いだったから、いつも校庭の端にある、鉄棒の下に体育座りをして、みんなが走り終わってドッジボールをしている時に、端っこの方でこそこそとタイムを計っていた。

その時あたしの近くに、一人の男の子が寄ってきた。

その子は、あたしが走っているレーンの横に座って、じっとあたしを眺めていた。あたしは走る姿を人に見られるのが嫌だったから、下を向いて何とか五十メートルを二回走り切った。なぜ人間は走る姿を見られるのが嫌なのだろう。五十メートルというと、そこまで長い距離ではないのだけれど、クラスの女子、それにあたしも、男子に走る姿を見られたくなかった。きっとそれは、全力で走っている時の自分の顔が、すごくブサイクだったからだろう。けど今になって、親が撮ってくれた運動会の写真を眺めていると、あれ、なかなかいい顔をしているじゃない。確かに、教室で撮られたおとなしそうで無表情な、いつものあたしの顔ではないのだけれど、かけっこでビリになりながらも、一生懸命に走っている自分の姿は、白い妖精のように無邪気で可愛く思えた。あの年の子は、無理して人目を気にしなくても、ありのままの素材で十分に輝けていたから。今のあたしにとってはそれが少し羨ましい。

話を学校に戻そう。終わりのチャイムが鳴って、みんなぞろぞろと教室に戻っていく時、校庭であたしを眺めていた男の子が、近づいてきた。

「なんでぇ みんなとドッジやらんのォ」

声をかけてきたその子は、青色のTシャツにグレーの短パン、眉毛より上に短く切られた前髪の横に、大きな耳があった。

「疲れるから」

とあたしは言って、階段を上ろうとしたけど、その子が腕をぎゅっと掴んできたから、咄嗟に

「やめてよ」

と言ってしまった。下駄箱は同じクラスの子以外にも、上級生や下級生の子もいたから、みんなあたし達のことをジロジロと眺めていた。この場所にいると危ない。あたしはそう感じて逃げようと思ったけど、その子はあたしの腕を掴んで離そうとしなかったから、あたしは思いっきり力を振り絞って、彼を引きずるようにして廊下を走った。その時のあたしは、自分でも信じられないくらい、強い力で手を握っていた気がする。頭上から四時間目のチャイムが鳴りだしたが、あたしは教室へ戻らず、体育館裏の花壇のところへ走った。靴を変えなかったから、上履きが黒くなって母に怒られるだろうと一瞬後悔した。その子は未だあたしの手から離れようとせず、黙って後についてきていた。

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触られたいのはアナタじゃないの なしごれん @Nashigoren66

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