第16章 三上ヶ嶽へ その1 秘密兵器
麻呂子が遠征軍の大将軍を引き受けて葛城に戻ると、その日のうちに大臣から招待を受けた。
しかも舎人王女と一緒に訪問して欲しいとの希望も添えられていた。
既に麻呂子王子と舎人王女――つまりは茜のこと――とが夫婦となって十年が過ぎている。
二男一女をもうけており、麻呂子としては危険な任務を避けたい気持ちがないと言えば嘘になる。
「どういうことだろう」と麻呂子が訝しんでいると、茜が自分の推測を披露した。
「鎌姫大刀自様からのお話じゃないかしら。この度の任務で石上斎宮様が何かお知らせしたいと考えているんじゃない?」
「まだ、大将軍の件は内示だけで発表された訳じゃない」
「あら、今の大和の政策が額田部大王様と厩戸王子、蘇我大臣のお三方で決定されているのは子供でも知っているわ。まさか、この件が厩戸王子の独断だなんて思っていないでしょうね」
「思っているさ」と麻呂子はいささかムキになった。
「あの時のお話は、厩戸王子の私的な考えだったように感じたのだ。あんな話を他の方々にするはずがない。
あれは兄弟であるがゆえに心を許されてお話し下さったことだ」
「話の内容はそうでも、結論や決定事項は、三人で前もって話し合っているのよ。
いくら厩戸王子が摂政であっても事後報告で物事をお進めになるとは思えない」
確かにそうかも知れない、と自分の考えの甘さに麻呂子は嫌になる。
麻呂子がつい肉親の情などにほだされてしまうのに対して、茜は大王家育ちのせいか政治力学を軸に考えることが出来るのだ。
ただ、茜のような政治の裏を見通す目が必要な生活というものが好ましいかどうかとなると話は違ってくるのではないか、などと麻呂子は考えてしまう。
そんな麻呂子の心の内を見透かしたかの様に茜が言い足す。
「そんなことを計算して行動していくのは決して良い習慣ではないわ。子供達には麻呂子みたいに素直に育って欲しい」
多分、茜の正直な気持ちなのだろうが、そう言われると麻呂子は複雑な感情に襲われる。
茜は心から誉めているのだが、表舞台に立つ厩戸王子と、決して評価されることのない勤めを果たさなければならない自分とを比べると、漠然とした不満が心に湧き上がる。
これは永遠に変わらないのだろうかと鬱屈した気分にさえなるのだ。
そんな自分が素直と言えるのか・・・・・
「茜は厩戸王子からの依頼を警戒するけど、土熊が関わっているのなら、それは私の因縁――引き受けざるを得まい」
「私が気にしているのは、そっちじゃなくて、大将軍の任務の方よ。
あなたが引き受けなくても、適任者はいるはずだわ。豊浦や斑鳩の周辺で王子・王女の処世術を身に付けなきゃいけないような暮らしに麻呂子は向いていないもの。
竹田王子や彦人王子のような生き方が幸せだったとは思えない」
この頃には竹田王子も彦人皇子も他界されていたのだ。
「私が宮廷でそんな風に重きを置かれるとも思えないけどね」
「でも、厩戸王子は信頼できる者をすぐ近くで重用したいのよ。麻呂子はその有力な候補者なのだわ」
「要らぬ心配を・・・その時は自分で辞退するさ」
「ううん、麻呂子は人が好いから断れないわ」
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数日後、嶋大臣の呼び名の由来とも成った池と島がある庭を、麻呂子と茜は目にした。
蘇我大臣馬子の屋敷である。その島には松が生え、竹林までが作られていた。
「聞きしに勝る、とはこのことだな」と麻呂子が呟くと、「現世における最高の権勢を誇る大臣ですから、麻呂子も言動には注意しないと。厩戸王子と違って、大臣様は大王様や王子に事後承諾させる力をお持ちなのだから」と茜が注意した。
案内人に導かれ邸内に入ると、二人は庭の見える一室の上座に促されて座すことになる。
頃合いを見て、蘇我大臣馬子とその妻である鎌姫大刀自が入ってきて下座に腰を降ろした。
「武勇に誉れ高き麻呂子王子と、美貌で名高き舎人王女にお訪ねいただき光栄に存じます」と大臣は頭を深く下げる。
それから大将軍就任の祝いの口上なども述べられ、麻呂子も返礼の言葉を口にする。
そんな挨拶が一段落すると、ようやく鎌姫大刀自が口を開いた。
「私が馬子にお願いして麻呂子様をお招きするように頼みましたのは、石上斎宮様からの依頼があってのことなのです」
そういうと彼女は手を打ち合わせた。
それが決められた合図なのだろう、召使いがうやうやしく木箱を捧げ持つようにして入ってきた。
「これを麻呂子王子に使っていただきたい、と」
木箱が開けられると中には矢が入っていた。
以前に見た「天羽羽の矢」とは大分趣が違う。
麻呂子は許しを得て、直接手に取った。
矢は通常のものよりも長く、四尺近くある。そのせいなのか、自分の感覚より遙かに重くずしりと感じられる。
「これは?」
「棘矢(きょくし)というものだそうです」
「それにしても重たい。これでは弓で飛ばしても、さほど威力も出ないでしょう」
麻呂子が驚くのを見て、蘇我大臣馬子が得意気に説明を始める。
「カリンの木で出来ておる。カリンと言っても庭木で見るものとはちょっと違う。
南国に行くとカリンも巨木となり、堅く重い木材になるとか。その木材を石上神宮で入手し、鏃も新たな格好で鍛えて設えたということだ」
「鏃も大きく重さを増しています。このようなものは実用の武器になりませんね」
「いや、麻呂子王子、そんなことはないのだ。
これは弩につがえて使う。重く堅い材質で作られた矢を高速で撃ち出せれば、敵の甲冑を貫いて致命傷を負わせることも可能になる」
「弩ですか?」
「そうだ。発射台の上に弓を固定して、矢を飛ばす装置という訳だ。扱いに力は要るが、強力な矢を飛ばすことが出来る」
麻呂子にしても耳にしたことがあっても見たことはなかった。
「そんなものが手に入りますか」
大臣がすぐ脇に置いてある筒を麻呂子に差し出した。
「中をご覧下され」
麻呂子が開けてみると中に収められていたのは絵図面のようだった。
拡げてみると弩の絵が描かれ、細かく寸法などが記入されている。
弓の弧の取り付け方や射出機構の仕掛けなども細かく表示されている。
「これは・・・・!」
「大陸から入手した弩の設計図だ。これはこの先の我が国の秘密兵器となる。こんなものが反乱軍の隠れ家に大量に備え付けられたら、攻める側には大変な被害が出るだろう。だから、これは門外不出の秘密なのだ」
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