第6章 丁未の乱 前哨戦 その3 激戦

砂金の袋の数を目の当たりにして喝采はいっそう大きくなった。


その反応に頃合いかと葛城臣と巨勢臣は頷き合う。


「敵は本拠地を前に激しく攻撃してくるであろう。だが、勇者よ!大和の猛者よ!奴等に目に物見せてやれ。

莫大な恩賞が待っているぞ!

それ、かかれ!」


葛城臣のかけ声と共に兵達が一斉に山を駆け下り始めた。


何十人もの兵達が一斉に河原を走り出し、彼らの足音が夏の空に響き渡る。

何十人という人の波はすぐに百人の大波となり、更に多くの兵達が続いて行こうとする。

その波は餌香川の東側から勢いよく川岸に到達しようとしていた。


それでも何も起こらない。

ただ味方の喚声が大きくなるだけで、離れていれば祭りのどよめきのようにも聞こえた。


拍子抜けするくらいに穏やかに時間が過ぎようとしているかのようだった。


だが、先頭の数名の兵が餌香川に足を入れようとした瞬間、ぱたぱたと倒れだした。

すぐに河原の向こう岸の茂みの中から一斉に矢が降り注ぎ始めたのだ。

喚声は一転して悲鳴と怒号に変わった。


それまで先行していた兵達は楯を並べてしゃがみ込む。


敵からの矢は途絶えることがなく、味方は身動きできない。

激しい矢の援護の下、物部の兵が茂みから姿を現して進んでくるが、朝廷側は楯の影に身を隠してどうすることも出来ない。

どうやら物部の兵は河原で身動きできなくなった朝廷の兵を包囲しようとしているようだ。


葛城臣は「弓兵、前に出ろ」と号令を発した。

楯に身を隠しながら、自ら弓兵と供に河原を突っ切ろうとする。


その動きを見て物部側の兵達も迅速に対応し、餌香川の更に上流側を別動の小部隊が渡り始めた。

援護の弓兵を押し返して、餌香川の東側で足止めされている朝廷の兵の包囲を成功させようというのだ。


それを見つけた巨勢臣が慌てて叫ぶ。


「葛城臣と弓兵を助けよ。者ども、進め!」


敵の別働隊が弓兵を押し返したら、餌香川の手前で身動きできない味方の兵達は包囲されて皆殺しになってしまう。

だが既に、朝廷側の兵から見れば河原は危険このうえない場所でしかない。

巨勢の号令に対して、山間にとどまる味方の兵の動きは悪い。


どうしたものか、と巨勢臣が歯噛みしていると忍ぶように近寄る者があった。

中臣勝海を討ち取って勇名を馳せる迹見赤檮である。


「巨勢臣殿、私に御命じ下さい。我が配下により、葛城臣を救い出して見せましょう」


「おう、迹見赤檮であるか。頼んだぞ」


迹見赤檮の率いる兵は押坂彦人王子の元で長年に渡り訓練された舎人集団である。

俄仕込みで徴発された急増兵と違って、精兵部隊なのだ。迹見赤檮の命令一下、整然と河原を突っ切り、新たに餌香川上流を渡ってきた物部の兵に切り込んでいく。


それを見て葛城臣は一息つき、今のうちにと弓兵を展開させる。


「頃合いか」と迹見赤檮は兵を敵の右翼側へと誘導し、味方の弓兵の前を開けた。


「放て!」の葛城臣の号令一下、矢が放たれると、餌香川の上流を渡ってきた物部別働隊の兵が一斉に倒れた。


味方が多く倒れるのを見れば、気が削がれるのは兵の常。

別働隊は一気に統制を失い、退却し始めた。


敵の弓兵から矢が放たれ出したのを見ると、他の物部側の兵も包囲運動を諦めて引き返えし始める。


物部側の指揮官は物部守屋の次男の物部辰狐(たつこ)であった。

自分の兵の士気が低下し、押されそうなのを悟ると、すぐに新たな命令を発した。


「ぐずぐずしていると、馬子の軍勢は数を増やすばかり。

今のうちに一気に押し戻せ!」


そう叫ぶと、残りの軍勢を集めて一気に餌香川に攻め寄せてきた。


それに対する朝廷側は兵達を叱咤して山間部から河原へと出撃させていく。

河原に降りても、その先に見えるのは餌香川を渡りきれずに楯を並べて矢を避ける兵達ばかりである。

指揮官達は新手の味方兵を上流側の左翼に展開させて渡河を目指そうとする。


迹見赤檮の兵集団は葛城臣の弓兵の楯の影に身を寄せて、次の攻撃を準備していた。


馬子が巨勢臣のそばに来た。


「戦況はどうだ」


「こちらの軍勢が上手く機能しない。数が多くても川のせいで戦闘範囲が限られていて、強引に攻めても消耗するばかりだ。

餌香川のこちら岸と向こう岸で死屍累々だ」


「どっちの兵が多く倒されている」


「・・・・・・・我らの側だ。

こんな山間から出て、白昼に川を渡るというのだから、敵は事前に十分な準備も出来る。しかも、六月以前から訓練されていた兵ばかりで、こちらよりも質も上だ。そう簡単に数の優位だけでは勝てないぞ」


「厳しい戦いなのは分かる。だから、あんまり非難めいたことを口にするな。次期大王の初陣なのだからな。苦しい条件でも勝たねばならない。

何か上手い策はないのか」


「限られた戦場だから、兵の数が増えるだけでは」


「あっちから攻め込めないか」と馬子は右手の下流側を指した。


「・・・・・・下流は川幅も広くなるし、水も深くなる。鎧を着けた兵を渡らせるのは難しいだろう」


「そこだ。鎧なんか脱がせばいい。後から運ばせればいいじゃないか。

そんなことよりも、下流側から我が兵が姿を現せば、敵も驚くし、兵を分散させなければならなくなるだろう。いま、曲がりなりにも均衡しているなら、それだけで一気に物部側は退却せざるを得まい」


巨勢臣は馬子の非常識な提言に仰天した。


「そんな無茶な・・・・・・・」と言いかけて巨勢臣は考え直す。

「いや、均衡を崩す妙案かも知れませんな。これだから素人は恐ろしい・・・・・・・

問題は誰がやるかですな」


「それなら当てがある。

迹見赤檮の配下に命じよ。前線に出ているなら呼び戻せ。

そんな難しい任務なら、彼奴の配下ぐらいしか成し遂げられまい」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「そりゃ、無茶だ」と伝令からの命令を聞いて葛城臣が呻いた。


「そうでもありません。この状況を打破するには妙案です」と答えたのは迹見赤檮の方であった。


「物部の兵の方が手練れの者が多いですから力押しとなれば、最終的に勝ててもこちらの損害が多くなるばかりでしょう。そうなると、この先の行軍自体が難しくなるかも知れませんよ。奇策は早い内に打って、被害を減らしておきませんと」


「それにしても、迹見赤檮殿よ、難しい任務なのに変わりありませんぞ。それをやってくれると言うのか」


「我らの参陣はこういう時のため。戦果を上げるのが我が君の御為にございますれば」


そう言うと配下を引き連れて整然と立ち去っていった。


それを見て葛城臣は誰に言うともなく呟いた。


「見事なものじゃ。

大臣に水派宮(押坂彦人王子の本拠地)攻めを命じられても迹見赤檮がいるうちは辞退するほかあるまい」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


迹見赤檮は物見の者に先行させて少しでも川の浅いところを探させていた。

迹見赤檮が到着する頃には浅い場所が選ばれていた。


「この辺ではここが一番浅いですが、それでも胸までの深さがあります」


「よし、では先に渡るものは鎧を脱いで荒縄を持って向こう岸に渡れ。二人で渡って、二本の縄を川に渡すのだ。

残った者は鎧のままで川を渡れ。

一本の綱に一人ずつだぞ。

最初の者と最後の者の鎧は綱に結びつけ、最後の者が渡り終わってから綱を引いてこちらの岸まで引き上げよ」


迹見赤檮の命令は明快であった、それでも一本の綱に一人ずつ渡すのは時間が掛かる。


百名足らずの小勢と言っても渡り切るには一時以上が過ぎていた。


それでも迹見赤檮は部下の体が乾き、温まるのを待った。

死地に赴くのに体が冷えているせいで動けずに命を落としてはならないと考えたのだ。


ようやく彼らが動き出したのは夕刻に差し掛かろうかという頃だった。

それでも夏の日は長く、まだ辺りは明るかった。


下流側から隠れるようにして近づいたが、まだ餌香川を挟んでの一進一退が続いていた。


まず、彼らは離れた距離から矢を射かけた。


ありったけの矢が放たれた。新たな方向からの攻撃に敵が怯むのが分かる。


「いざ、参るぞ!」と勇ましい迹見赤檮の声が響き渡る。彼の配下は一斉に抜剣し、走り出す。


物部辰狐は唇を噛む。


「新手か!」


彼は何とか兵をひねり出して手当てをしようとする。


そこへ別の伝令が駆け寄ってくる。


「なに!」と物部辰狐の顔が青ざめた。


その伝令こそは朝廷側の別働隊が志紀に進出してきたという報せであった。


「ここでこれ以上の戦いをしても退路を断たれるだけだ」と、物部辰孤は苦渋の決断をする。


「撤収だ!速やかに撤退せよ!」


撤退する軍を追撃するのが常道であったが、既に朝廷側の軍にそんな余力はない。

敵が引き上げていくのを見て、疲労困憊の中で一様に安堵するばかりであった。

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