第38話 無様に、なりふり構わず、死に物狂いで

「涙ノ力……ダト?」


 ベリウスの呟きに俺は「ああ」と続ける。


「その体から癒しの聖水を生み出すとされる聖女。唾液は傷を癒す。そして汗は様々な身体の異常を癒す。さっき俺の麻痺状態を治したみたいにな。じゃあ、涙は?」

「フム……」


 ベリウスが唸る。

 拳を顎に当て、考えるような仕草を続けたかと思えば。


「興味深イネ」


 ニタリと口元を歪めた。


「非常ニ楽シミダ。汗トイッテモ部位ニヨリ成分ハ異ナルカラネ。マズハ衣服ヲ剥イダ少女ヲ蒸シ風呂ニ長時間放置シ、汗ニ塗レサセタ全身ヲ舐メ回ストシヨウカ」

「なっ……」

「モチロン汗ダケデハナイ。血液。胃液。鼻水。乳液。尿。ソシテ涙。心身ノ状態ニヨル変化モ研究シガイガアル。聖水ハ無限ニ沸キ続ケルカラネ。全テヲ解キ明カシタ暁ニハ、少女ノアラユル体液ヲブレンドサセタ聖杯デ乾杯トイコウジャナイカ!」


 ベリウスは長い舌をレロレロレロと虚空に這わせる。

 口元からはボタボタと唾液が滴り落ちていた。


「ソウイウコトデ、クズ君。君ニ聞カズトモ僕ノ舌デリリカ君ノ全テヲ紐解イテミセルヨ」

「お前、ゴブリンより気持ち悪いな」

「君ハ研究ノ邪魔デシカナイ。トットト消エタマエ」


 ベリウスがまた翼十字を構える。

 全身はあちこちに裂傷が刻まれてはいるが、致命傷に至るほどの一撃を与えることはできていない。まだ余力を残している。


「はっ……仕方ねえな。来るなら来てみろよ」


 俺は右手の短剣を逆手に持ち替える。

 そして黒いゴブリンへと強気の目を向けた。


「ただし次からは反撃させてもらうぜ。倍返しでな」


 言いながら、俺は左手で黒い髪をクシャリと撫でつける。

 それを合図とするかのように――


「……ヌッ!」


 ベリウスが反射的に振り返る。

 その先にあったのは、先ほど壁に叩きつけられて滑り落ちたヒナタの体。

 うずくまったまま、ぴくりとも動かない。


「…………」


 ベリウスが無言でまた俺の方を見る。

 俺は吐き捨てるように言う。


「ちっ。実は死んだフリしながら俺からの合図を待ってるってのを一パーセントくらい期待したんだが……さすがに虫が良すぎたか」


 力尽きた相棒を前にヤレヤレと肩を竦めながら、


「もともと獣人ってのは力と敏捷性の両方に優れる代わりに、極端に燃費が悪いという欠点がある。ようはすぐに腹が減って動けなくなっちまう」

「…………」

「で、武器の『白零』は切れ味が鋭い代わりに非常に脆い。もう二本とも刃毀れして砕けかけていた。こっちの方も限界だったろう」


 ヒナタは俺にとって無二の相棒であり、同時に最大の切り札だ。

 獣人としての特性と武器の特性も相まって、『高い戦闘力を誇るが時間制限付き』。だからこそ、こいつの運用のタイミングは俺に委ねられていた。


「だが……あいつはもう十分にやってくれたよ。ここで黒いゴブリンに変化したあんたと戦うのはちょっとした予定外だったからな」

「ククク……」

「あいつは頭が獣だから、一度に覚えられる仕事は三つまでと……」

「クハハハハハハハハハハハハハハハ!」


 俺の説明を押しつぶすかのように。

 ベリウスの嘲笑が礼拝堂を教会中を揺らした。


「ククククク。ヨク喋ルト思エバ」


 ベリウスが興奮気味に声を弾ませながら言う。


「ソウヤッテ意味ノナイ言葉ヲ並ベテ、時間ヲ稼イデイルノダロウ? コノ僕ノ変化ガ解ケルマデノ時間ヲ! 思エバ僕ガゴブリンニナッタ時モ! 僕ノ素性ヤ思惑ヲ意味モナク得意気ニ語ッテイタネ!」

「…………っ!」

「チナミニ君ノ認識ハ正シイヨ。僕ノ変化ハ無制限デハナイ。ヤガテ自然ト元ノ姿ニ戻ルコトダロウ」


 ニタリとゴブリンの顔を歪め、嗜虐的な笑みが浮かべられる。


「シカシ残念! マダマダ十分ニ残サレテイルヨ。頼リノ相棒ヲ失イ、クダラナイ妄言デ取リ繕ウシカナクナッタ君ヲ物言ワヌ肉塊ニ変エルクライノ時間ハネ!」

「ま、待て!」


 危険な空気を感じた俺は慌てて両手を突き出す。

 必至な声をあげて待ったをかけた。


「お、俺をやったら『朽ちた黒羽レイヴン』が黙っちゃいねえぞ!」

「ナンダッテ?」

「『朽ちた黒羽レイヴン』が『慈愛の聖女』を狙っていることに変わりはないんだからな! しかも『朽ちた黒羽レイヴン』の連中は目的のアイテムを手に入れるための手段は択ばない代わりに、仲間思いだ! 俺とヒナタがやられたなんて知ったら怒り狂うぜ!」

「ホウ……」

「その先にあるのは『朽ちた黒羽レイヴン』と『死に至る福音タナトス』の全面戦争だ! はっ! 純粋な戦闘で『朽ちた黒羽レイヴン』に勝てると思うか? 皆殺しだぜ、あんたら」

「…………」

「だが俺なら! 今なら俺があんたたちとの仲をとりもってやれる! そこで提案なんだが、どうだ。ここは俺達に『慈愛の聖女』を渡してくれないか。あんたが欲しいのは、あいつから出る聖水なんだろ。あんたにだけは特別に、俺がいくらでも」

「シツコイ」


 ベリウスに握られた翼十字がブンと振り下ろされる。


「うわああっ!」


 俺はとっさに後ろに跳んで逃げる。


「耳障リダ。トットト消エタマエ」


 ブオウ! ブオウ!


 ゆっくりと歩を進めながら、翼十字を横薙ぎにするベリウス。

 俺は必死で避け、『玄武』で防ぎ、それでも必死の説得を試みる。


「だから待て! 今ならまだ間に合う! そうだ、まだとっておきの話が」

「往生際ガ悪イゾ」


 ベリウスの苛立ちを示すように、再び翼十字による攻撃が激しくなる。

 ゴブリン化が解ける前に、一気に俺を叩き潰すつもりなんだろう。


「ぐううっ!」


 ――ギィンッ!


 斜めに振り下ろされた翼十字を『玄武』で止めようとする。

 しかし完全には耐えきれず、とうとう左手の一本が弾き飛ばされてしまった。

 床に落ちた『玄武』がカランと無情な音を鳴らす。


「しまった! くそおお!」


 残された『玄武』は一本。

 これだけでは黒いゴブリンの攻撃を凌ぎ切れるはずもない。

 そして悲劇はこれだけではなかった。


「お、おい! どういうことだよ、これは!」


 体を纏っていた茶色いオーラ――土精霊の恩恵がゆっくりと萎み、消えていく。

 肉体を強化していた魔術が完全に解けたことを示していた。


「おいクソ精霊! なにサボってやがるんだこら! 俺に力を貸せよ! 『土くれの巨人ビルゴレム』! 『土くれの巨人ビルゴレム』! 『土くれの巨人ビルゴレムぅぅぅぅぅ!!」


 しかし何の反応もない。

 魔力が尽きたことを意味するかのように。


「トウトウ精霊カラモ見放サレタカ」


 そんな俺に黒い影が迫る。


「ひいっ!」


 俺はビクリと全身を震わせ、後ずさりする。


「待て! 違う、こんな! 助けてくれ!」

「フハハハッ!」

「いやだ……いやだいやだいやだ! 死にたくない! わあああああああ~~~!」

「無様ダナ。転移者ノ英雄」


 次々と迫りくる翼十字。

 一本となった『玄武』と土精霊の恩恵を失った状態でそれを防ぐことはできず、必死の形相で後ろへと足を運んでいく。

 しかしガツンと。

 礼拝の壁が、それを阻んだ。


「ククク! モウ逃ゲルコトハ、デキナイヨ?」

「……し、しまった!」


 いよいよ壁際へと追い詰められたのだ。


「今度コソ死ネ! アノ世デセイゼイ懺悔スルノダネ!」


 そしてトドメとばかりに、最後の一撃が俺へと放たれる。


 もはや俺の抵抗も逃亡もないと踏んだのだろう。

 巨大な翼十字が、ただ力任せに真っすぐに振り下ろされる。


 俺はその翼十字の軌道を目で追い――



 飛び込むように



 思考を切り捨てる。


 周りの音が消え、視界にある全ての動きがスローモーションに映る。


 視界に迫る翼十字。


 鼻先の距離でわずかに首を傾ける。


 翼十字が頬をかすめ、後ろへと過ぎ去っていく。



 攻撃が巻き起こす暴風に抗いながら一気に肉薄。

 体ごとぶつかるような勢いで、ゴブリンへと一気に距離を詰めた。



 密着するかのような超至近距離。

 懐に潜り込むことでベリウスの攻撃から逃れることに成功。


 それだけじゃない。


? 

「グ……?」


 黒いゴブリンの体の中央――鳩尾となるところには。

 一本の『玄武』が深々と突き刺さっていた。


「グオオッ!? グウアアアアアアアアア!」


 肉体を穿たれたベリウスが声をあげる。


「ガアア!」

「おっと」


 苦し紛れに振るわれた左腕を後ろに跳んで回避。

 射程の外に逃れたところで俺は口を開いた。


「お前の攻撃を何度も避けたり防いだりしてる間に、動きや軌道のクセはだいたい把握できたからな。正直あんまり怖くはなかったぜ」

「ナ……ニ…………?」

「あとは適当に追い詰められたように見せかけて、勝利を確信したお前が単調な攻撃をするようにし向けさえすれば……こうやって反撃するくらいの余裕は、さすがに見えてきたところだったんだよなあ」


 と、得意げに語る俺の全身は茶色いオーラに包まれている。

 土精霊の恩恵。

 魔力が尽きていたかのように見せていたが、この時のための余力は残してあった。


『玄武』は防御に特化した、あくまで護身用の剣。切れ味は皆無だ。

 しかし一本の『玄武』を両手で持ち、さらに土精霊の恩恵による筋力の強化。あとは一瞬の加速と全体重を乗せて全力でぶつかれば、攻撃へと意識が向き完全に無防備となった相手をぶっ刺すことくらいは理論上は不可能ではない。


 これが俺にとって唯一の攻撃手段にして最後の奥の手――『磨羯返し』。


 そして正面から向き合ってのカウンターだからこそ、できたこともある。


「さて。せっかくだから狙わせてもらったぜ。ガラ空きだった急所をな!」


 ヒナタの武器と立ち位置では難しかった致命傷となる一撃。

 ゴブリンになっても体の構造が同じなのかは知らないが――急所となる場所。

 そこを刺し貫いたのだ。


「バ、バカナ……ゴアアアアアア…………!」


 今度こそチェックメイトだ。

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