第37話 一番大切な宝物
「ゴブリンへの変化は永遠じゃない。そのうち勝手に解けるんだろ。俺達から逃げた先でお前が人間に戻った瞬間までも、俺の相棒はキッチリ見ていたからな」
今もなお俺は、両手の『玄武』を構えて常にベリウスからの攻撃を警戒している。
その後ろではヒナタが獲物を狙うような眼を向け、牙を突き立てる機会を狙い続けている。
この構図が続く限り逆転の目もない――だから、あとは時間の問題だ。
「何故ダ」
「あ?」
「何故、僕ノ邪魔ヲスル……僕ノ偉大ナル研究ニハ『慈愛の聖女』ガ必要ナノダゾ! 君ゴトキニ邪魔ヲサレル道理ハ無イハズダ!」
ひゅーひゅーと息を苦しげに漏らしていたベリウス。
それでも感情を抑えられないのか、突如として激高し始めた。
「いや知らねえよ。俺も生活かかってんだから仕方ないだろ」
「黙レエ! 物ノ本当ノ価値モ理解シナイ盗賊風情ガ! ソノ唾液ハ傷ヲ癒シ! 汗ハ体ノ異常ヲ浄化スル! マサニ天使ノ力ソノモノダ!」
「別にそれぐらい、町の道具屋で普通に売ってるアイテムでもできるだろ」
「ソレダケデハナイ! 天使ノ力ハ無限ノ可能性ヲ秘メテイルノダ! 一級使徒ノ薬師デアリ『
「さらなる奇跡……だと?」
俺はベリウスの言葉に反応を示し、
「ソウ……! 不老不死デスラモ夢デハナイノダ!」
「プハッ!」
それを聞いて盛大に噴き出した。
「ナ、何ガオカシイ!」
「あ、いや。あまりにベッタベタなフレーズが出てきたものだからな。だって不老不死て。リアルで聞いたの初めてなんだけど。さすが異世界って感じだな」
「貴様ア! マタ、ワケノワカラナイコトヲ!」
「くだらないって言ってんだよ」
ベリウスという男は、いわゆる天才や狂人に分類される人間なのかもしれない。
だったら俺は、あくまで俺のような凡人の考えというものを教えてやる。
「少なくとも俺は不老不死なんてものに何の興味もない。ヒナタからすればミンチカツ百万個の方が遙かに価値がある。ただそれだけのことだろ」
「グウ……ッ!」
「けど、そうだな。あえて言うなら」
もちろん、これもごく普通の人の発想で。
「あいつの本当の価値を一番よくわかっていたのは、あいつの母親なのかもな」
「ナッ! ナンダトオ!」
しかし頭が幻想に支配されたベリウスには理解ができない。
「天使ノ力ヲ知リナガラ、誰ニ知ラセルコトモナク独占シテイタ大罪人ガ!? 馬鹿馬鹿シイニモ程ガアル! 奴コソガ一番ノ俗物ダロウ!」
「大罪人? 俗物? 人様の母親を大層な言葉でくくってんじゃねえよ」
リリカが憧れていた使徒が、聖翼教からは大罪人扱いされていた理由。
しかしその裏にある真実といえば大抵つまらないものだと相場は決まってる。
「天使の加護だか知らないが、その体質のことが周りに知られたことでどうなった? あいつは幼くして母親から切り離され、聖翼教では『聖遺物』とかいうわけのわからないものに祭り上げられ……人とも物ともつかない扱いをされ続けてきた」
そして、挙句の果てに。
俺達のような『
「そうなることが、わかってたから。だからあいつの母親は、聖水に関する秘密を誰にも明かそうとしなかったんだろ」
たとえその力を一人占めしていたなどという、謗りを受けることになろうとも。
聖翼教からすれば、慈愛の天使だかの加護を受けた『聖遺物』であろうとも。
『アイテム図鑑』にレア度SSS級なんてランク付けがされていようとも。
「母親にとってはただ自分の子供で……それこそが一番大切な宝物なんだからな」
「キサマゴドキガ、ワカッタヨウナコトヲ言ウンジャアナイ!」
「わかるよ。こんな俺にだって……母親くらいいたわけだからな」
俺は転移者だ。
しかし、この世界に転移する前の生まれや育ちがなかったわけではない。
母親のことを思うリリカの姿を見てしまえば、俺も自分の母親を思い出すくらいのことはする。
ずっと一緒に過ごしてきた――唯一の肉親で。
ようは俺にとっても、それなりに特別な存在だったのだ。
――ごめんね××君。最後まで、つらい思いをさせちゃったね。
「…………、」
ある言葉と映像が頭をよぎる。
胸の内から黒い何かがこみあげてくるのを感じる。
異世界に転移したところで、その存在は心の奥底で静かに眠っている。
そして時折、このようにしてその顔をのぞかせるのだ。
最後まであんな顔をさせてしまったこと。
その願いと祈りに応えることができなかったこと。
それどころか、最後の最後でまた最悪な選択をしてしまったこと。
それは今の俺すらも縛り付ける――大きな罪の象徴。
――ぴしゃっ。
「あ……?」
意識が現実に戻される。
全身に何かを浴びさせられたような感覚があった。
目の前には、口からだらりと糸のようなものを垂らす黒いゴブリン。
「サスガノ僕モ、男ヤ獣ヲ舐メル趣味ハナイカラネ」
「…………、」
すぐに状況を察する。
唾液だ。唾液を浴びさせられた。
『ビラムの森』でモニクさんを麻痺状態にした、あの忌々しい唾液を。
「君ノヨウナ唾棄スベキ輩ニハ、コレデ十分ダロウ?」
「……モニクさんみたいな美人なら舐めたいってか? まあ、俺だって舐めれるものなら舐めたいけど……よ……」
「フハハハハ!」
軽口を叩く余裕すら許すまいと、ベリウスが翼十字を横に薙ぐ。
俺はどうにか二本の『玄武』を同時に持ち上げるが、
「ぐあっ!」
痺れた全身に力が入らない。
肉体への直撃だけはどうにか防ぎつつも『玄武』ごと大きく弾かれてしまう。
長椅子に背中を打ち付け、それでも次の攻撃に備えようとする。
しかし黒いゴブリンの意識はヒナタの方へと移っていた。
「コカゲ……ぐあっ!」
腹を蹴り上げられ、その小さい身体は教会の壁へと叩きつけられる。
ぼとりと床に滑り落ちたヒナタは、そのまま動かなくなった。
「クハハ……ハハハハハ!」
一瞬の隙をつかれた。
いや、どれだけ余裕を取り繕ったところで黒いゴブリンと向き合う中での極度の緊張と疲労には抗えなかったのだろう。だからちょっとしたことで別のことに注意が削がれてしまった。いつもの呪いに意識が支配されてしまった。
麻痺状態にする舌への警戒はしていたが、唾液を飛ばすという奇行に対する判断が遅れた。
その結果として、あっけなく形勢が逆転してしまった。
「…………」
俺は心を静め、懐から小瓶を取り出す。
これが割れなかったことだけは幸運だった。
震える手で蓋を開け、ゆっくりとそれを口に含む。
「……よし」
ベリウスの唾液による麻痺状態が解けたことを感じると、ゆっくり体を起こした。
それを見たベリウスが感心したように声を漏らす。
「ム……ソレハ、タダノポーションデハナイネ?」
「水だよ。ちょっとだけ『慈愛の聖女』様の汗をブレンドしてるけどな……」
麻痺状態に対する一度きりの備え。
なお汗の採取方法については企業秘密だ。
「フフフ。ダガ果タシテ、ソレガ君ニトッテノ救イニナルノカナ?」
黒いゴブリンの顔が禍々しく歪む。
こちらの絶望的な状況を、心から楽しむかのように。
相棒のヒナタは倒れた。
この戦闘での復帰は無理だろう。
かろうじて残ったのは『玄武』――殺傷力を削ぎ落とした護身用の武器だけだ。
麻痺状態が治っても『玄武』を持つ手は痺れが止まらない。何度も黒いゴブリンの攻撃を受ける中で既に限界を超えていた。体力も尽きようとしている。脇腹が酷く痛む。ベリウスの攻撃を完全に凌ぎ切れたわけじゃない。軽くかすっただけでも、おそらく骨にヒビが入っている。
そもそも、どうして俺達がこんな化物相手に戦っているのか。
俺達の状況なんてものは、いつだって絶望そのものだったのかもしれない。
それでも。
今日という一日を生き延びてきた。
「ソレトモ、君ハマダ切リ札トナル何カヲ持ッテイルトデモ言ウノカネ?」
「ああ。まだ、あるぜ……とっておきのやつがな」
「ナ……ニ……?」
俺は不敵な笑みを形づくりながら。
黒いゴブリンへと言ってやった。
「なあベリウス。あんたは、あいつの涙の力を知ってるか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます