第7話 平和な町の正義
「さわるな! はなせえ!」
パン泥棒は小さく、まだ子供のようだった。
体格のいい二人の衛兵を相手にするには、さすがに分が悪い。衛兵の一人――巨漢の男が暴れるボロ布を「オラあ!」と力任せに地面へ押し倒すと、「ぐえっ」という生々しい呻きが漏れる。
その暴力的な光景を前に、リリカは小さい身体をビクッと震わせる。周りからも驚くような声や悲鳴があがっていた。
それでもパン泥棒は抵抗をやめなかった。
ボロ布から出した細い手をブンブン振りまわし始める。
「この、このお!」
「いてっ! こいつ引っかきやがった! ブチ殺すぞガキが!」
「それはこっちのせりふだあ! くるならこい! 返り討ちにしてやる!」
追い詰められている割に、やけに強気なパン泥棒。
暴れることでボロ布からその姿が露出される。
それは小柄な少女のものだった。
「……あいつは」
「クズ?」
俺の反応に、リリカが怪訝そうな目を向けてくる。
「どうかしましたか」
「ああ、いや……その、なんだ。あいつ、獣人みたいだからな」
「獣人? あ、確かに……」
パン泥棒の姿は、他のフレスタ住民とは異なる部分があった。
褐色の肌。癖っ毛からのぞく獣のように尖った耳。お尻のあたりからも、シッポらしきものが伸びている。
いずれも純粋な人間ではない証――獣人の特徴そのものだ。
「でも、どうしてフレスタに獣人が……」
「ん? あ、ああ。そうだな。このあたりでは、確か獣人の居住権とかは認められていない。そうそうお目にかかれる存在じゃないはずだよな」
獣人は基本的に人間にとって害のある種族ではない。
しかしその姿形だけを理由に差別の対象となり、非人道的な扱いをされる地域もある。確かフレスタが属する国『セイバール』を始めとしたこの大陸西部は、概ねそんな感じだ。
「まあパンを盗むくらいだ。逃げた奴隷か身寄りの無い浮浪者ってところだろう」
「……やけに詳しいのですね。転移者なのに」
「この半年、冒険者としてそれなりに色んなところを回ったからな」
元の世界で十六年ほど生きた俺だが、実際に目にする世界はほんの一部だった。家から学校までが大半で、旅行とかにも数えるほどしか行っていない。
けど、この世界に来てからは同じ場所で生活するような平穏は許されず、本当にあちこちを回るハメになった。たった半年とはいえ、それなりに色々なものを目にしてきたと言えるだろう。
確かなのは、このアストラルドが露骨で厳しく理不尽な世界であるということ。同じ人間でも貴族や王族に生まれれば裕福な人生が約束されているし、逆に獣人のような種族は生まれた時点でハードモードな人生が待っている。
「あん? このガキ、よく見りゃ獣人じゃねえか」
巨漢の衛兵もパン泥棒の素性に気付いたらしい。
獣人の証である耳を見ては、下品な笑みを浮かべた。
「だったらよお。黙らせるために一発くらいブン殴っても許されるよなあ?」
「おやめなさい。誇りあるセイバール神栄騎士団の品格が疑われますよ……とはいえ、どうしてこの町に獣人が? それは少々、気になりますね」
そこで今まで静観していた長身の衛兵が、巨漢の男を宥める。
しかし不審そうに眉をひそめており、何らかの疑問を抱いているようだった。
「ううう……おなか、すいたあ……」
先ほどから必死に抵抗していた獣人少女は、もう限界のようだった。
地面に散らばったパンへとふらふら手を伸ばそうとするが、届くはずもない。
「おまえらぜったいに許さないぞ! ぜったいにぜったいに仕返ししてやるからな!」
その叫びは獣人少女なりの最後の意地だったのかもしれない。
しかしそれは、巨漢衛兵の嗜虐心をさらに煽るだけだ。
「獣人のガキごときがか? ハッ、笑わせやがる」
「ガキじゃない! 『
「なにい?」
「『
「ゴハン食べて仲間と合流してから、ぜったいにぶっつぶしてやるからなあ!」
「……おいおい、マジかよあいつ」
パン泥棒が発した言葉に、俺はついそんな声を漏らす。
周りに群がる町の連中も同じだった。その名前を聞いた途端に「『
「『
まだ幼いリリカには、聞き覚えがないようだったが。
仕方ないので簡単に説明してやることにする。
「『
「あ、当たり前です」
「まあ、布教の時も言ってたもんな。『
「と、とうぞくだん……」
リリカがごくりと喉を鳴らす。
盗賊団という響きだけでも小さい少女には怖いものかもしれない。しかし『
「レア度S級以上のアイテムだけを探し求め、狙ったものはたとえどんな相手でもその圧倒的な力で確実に強奪する。かつて五大国の一つ『鉄と砂塵の帝国・ラーガラット』を相手にたった六人で挑み、千を超す兵を血の海に沈めつつ王族の一人を殺害、その『国宝』を奪うことで一気に悪名を轟かせた」
「く、詳しいのですね」
「……有名だからな。とにかく噂が本当なら『
「では、あの獣人の人、ウソをついているということですか……?」
「当たり前だろ」
まさに巨漢の衛兵も、獣人少女の言葉を戯言と嘲笑うだけだった。
「こりゃ面白え! あの悪名高い盗賊団がパンを盗みましたってか!?」
「もし君が『
「う。うぅ……」
そして長身の衛兵が言うことこそが全てだった。
獣人が『
力のない獣人の少女には、もはや悲惨な結末しか残されていない。
「ま、そのあたりの素性は後でじっくり吐かせてやるよ。なにせ獣人で『
「仲間と合流などとも言っていましたね。いずれにせよ獣人がこの町に単独でいるのは不自然です。その背後関係も含め、じっくり探らせてもらいましょうか」
「ふ、ふざけるな。おまえらなんかに、おまえらなんかにぃ……ううぅ」
獣人少女の悲痛な声が、静まり返った町の風景に溶けて消える。
周りには同情の色を見せる人もいるようだったが、相手は国から派遣された衛兵だ。一応の権力者であり、この町における正義の象徴でもある。
だから誰もが黙って見ていることしかできなかった。
「はあ……」
俺はため息をついた。
心からの、盛大なため息だった。
背負っていた『サムネの書』をどすんと地面に落とす。
「……別に、パンを盗むような奴を助けてやるつもりはないぜ」
「えっ……?」
「ただ、獣人の境遇には同情の余地が全くないわけじゃない。なんつうか、似てるんだよな。周りと違うせいで世界に馴染めない、俺達『転移者』と」
「クズ……」
「それにあの衛兵達も仕事熱心なのはいいが、子供相手に少しばかり度が過ぎてるみたいだ」
「ちょっ、ちょっと……」
俺の異変に気付いたリリカが動揺をあらわにする。
しかし俺は止まらなかった。もはや黙って見てられなかったのだ。
「クズ! なにするつもりですか!? 待ってください!」
事態は一刻を争う。
俺は必死に呼びかけてくるリリカを置いて野次馬達をかきわけると。
真っすぐにパン泥棒と衛兵達の元へと向かった。
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