第5話 異界の叡智( )
異界の叡智。
それは『漆黒の頭髪』に並ぶ転移者の象徴だった。
いつしかこの世界に現れるようになった『漆黒の頭髪』の転移者達は、この世界には知られていない知識や技能である『異界の叡智』を披露。アストラルドのあちこちで、まさに英雄のような活躍をしているのだという。
「異界の叡智って……なにをするつもりですか」
表情に乏しいリリカも、これには驚いたような目を向けてくる。
「いいから。黙って見てろよ」
俺は立ち上がり、『サムネの書』をとりあえず五冊ほど手にする。
そしてリリカが先ほどまで布教をしていた噴水前へと移動した。
適当なところで足を止めた俺は、町を通りゆくフレスタ住民達へと目を向ける。老若男女、様々な人。一人一人の風貌。表情。視線。挙動。その全てに注意を払う。
(よし、あの人にするか)
ちょうど良さげな人が通りかかったので俺はゆっくりと近づき、
「どうぞ」
流れるような動作で『サムネの書』を目の前に差し出した。
二十代前半くらいの穏やかそうな青年は「あ、どうも」となんとなくそれを受け取り、そのまま歩いていく――よし、上手くいった!
「お願いしま~す」
続けて別の人、今度は買い物帰りらしきおばあちゃんだ。「あらまあ、御苦労さま」とかいう労いの言葉と共にスッと受けとってくれる。これで二冊。
こんな感じで、適当な人を見つけては声をかけていく。
そのうち何人かが『サムネの書』を受けとってくれ、三分も経たないうちに手に持っていた五冊の『サムネの書』は全てなくなっていた。
リリカがとことこ歩いてきて、不思議そうに聞いてきた。
「えっ。えっ。これは、どういうことですか」
驚いてる驚いてる。そりゃそうか。
こいつが一時間以上もマジメに布教を続けたにもかかわらず一冊も捌けなかった『サムネの書』を、俺はものの数分で五冊も捌いたんだからな。
俺は不敵な笑みを浮かべながら、そのタネ明かしをしてやる。
「『ティッシュ配り』だ」
「て、てぃっしゅくばり……?」
リリカが初めて聞いたみたいな顔をする。
それも当然だろう。だから改めて丁寧に説明してやることにした。
「俺のいた世界では最もポピュラーな宣伝方法の一つだよ。その手順は至って単純。人通りの多いところに立ち、さっきみたいに手当たり次第に物を渡していくだけだ」
「…………」
「人は目の前に何かを差し出されたらなんとなく受けとってしまう、という心理が働くようにできているんだ。それは『サムネの書』だって例外じゃない」
まあ実際はもっと無視されたり鬱陶しがられたりすることもあるんだけどな。
俺もティッシュ配りとかしてる人を見ると、避けたりしてたクチだ。
けどアストラルドはティッシュ配りが浸透していない世界だからか、そういう警戒心のようなものは感じられなかった。もちろん、受け取ってくれそうな人を俺なりに選別はしたんだけど。
なんであれ、『ティッシュ配り』はこの世界には存在せず、俺のいた世界で生まれた独自の手法だ。
リリカにとってはさぞ新鮮だったことだろう。
率直な疑問を投げかけてくる。
「受け取った人は『サムネの書』をちゃんと読むのですか」
「さあ? そこまでは知らねえよ。この方法の目的は、とにかく数をバラまくことにあるからな。まあ、十人に一人でも読んでくれたら儲けものじゃねえの?」
「……そうですか」
正直、そこらへんはデリケートな問題なんだよな。
さっき『サムネの書』を受け取ってくれた善良なフレスタ住民達も、ぶっちゃけ中身はまでは見ないだろう。ティッシュならまだ使いようがあるし、チラシやクーポンなら見るくらいはするだろうけど。
俺達が配ってるのは分厚い本だ。よほどのヒマ人でも読まないよなあ。
けど、そういうことも含めてのティッシュ配り。
目的は数を捌くこと。まさにノルマを気にしていたリリカの意向に最もマッチした宣伝方法と言えるだろう。
「まあ、別になんてことはない。俺がいた世界のちょっとした知恵……ああ、この世界じゃ『異界の叡智』なんて呼ばれてるんだっけか?」
この世界に存在しない知識や技能が引き起こす、奇跡の如き所業。
それは時に荒廃した町に活力の火を灯し、時に数百年先の文明をもたらし、時に千の軍すらも壊滅させるのだという。
転移者達が英雄と称される所以でもある。
さて、あとは転移者っぽいセリフで締めれば完璧だな。
俺は苦笑気味に頭へと手を回しながら、
「あれ? もしかして俺、なんかやっちゃい……」
「もういいですから」
――ズゴッ!
リリカが俺の顔面を『サムネの書』で横殴りにした。えっ。
群がるハトに食われるパン屑を見下ろすみたいな目で言ってくる。
「『サムネの書』をなんだと思っているのですか。これは一冊一冊が女神様の教えを記すとても貴重な本で、そんな適当な扱いをしたらだめなのです」
「人の顔面殴る鈍器にする子に言われたくないんだけど!?」
角の部分が奥歯に直撃した。死ぬほど痛い。
いくらなんでもツッコミが辛辣過ぎるよこの子……
「まったく。それのどこが『異界の叡智』ですか。笑わせないでください」
ちゃんと結果を出したつもりなんですが。
どうやらリリカにとっては『異界の叡智(笑)』だったらしい。
「でも、そうですね。大衆に向けるのではなく一人一人に声をかけて布教するという発想は、悪くないのかもしれません」
しかし、なにやらこの幼女の中では納得できる部分もあったらしく。
「いいですか。女神の教えを説くことで、相手にちゃんと罪を意識させないと意味がありません。今度はわたしが手本を見せますね」
そう言って、リリカは迷いのない足取りで歩いて行った。
一冊の『サムネの書』を抱え、噴水の方へと向かう。
そして噴水の縁に腰かける屈強そうな半裸の男の前で足を止めた。
「そこのあなた」
「おお、なんだいお嬢ちゃん」
「あなたは自分の罪を意識したことがありますか」
「突然だな。罪? 罪ねえ……」
「考えるまでもないでしょう。頭悪いですね。あなたは罪深い存在です」
「……ほ、ほお? 例えばどういうところが?」
「見た目が暑苦しくて、汗臭いところです」
「なにい!」
「あなたの存在は町の景観を著しく損います。どうしてわざわざ人の心を潤わせる噴水の前にいるのですか。せめて人の目につかないよう、下水道か焼却炉の中にいるべき人間でしょう?」
「なんなんだこの幼女は! 失礼だな!」
「でも女神ラナンシア様はそんなあなたをも赦してくれます。この『サムネの書』をを読めばあなたは自分の罪深さを悔い、汚らしいゴミから良識あるゴミに……」
「いらんわ!」
何してんだあいつ!
俺はダッシュしてリリカの頭をスコーンと叩いて回収。
速攻でその場から逃げた。
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