第25話 通じる想いと机上の空論

「もっと?」


「うん。単なるお友達じゃなくて、もっともっと仲良しになりたいの。萌花ちゃんはイヤ? そういうの興味ない?」


 甘えるような口調の成瀬さんは、私の唇をジッと見ているような気がした。

 まるでキスをおねだりされているかのような気分だが、まさかそんなはずがない。


 きちんと彼女の言葉を読み解かねば。


 成瀬さんにとって両手を繋ぐのが『仲良し状態』なわけで、その上で『もっともっと仲良しになりたい』と主張してきたということは……。


 ……足か?


 私は心の中でひとり頷く。


 両手を絡ませたのだから、次は当然足だろう。

 手の指を絡ませたように、足の指も絡ませるわけだ。


「意外と興味あるかも。どんな感じになるのか想像つかないし」


「う、うん。わたしも想像つかない……恥ずかしい……」


 恥ずかしい?

 なぜ?

 手をつないだときはわりと平然としてたように見えたけど、足つなぎは特別なのか?


 彼女は目を伏せ、もじもじとしている。


「それでどっちからする……?」


「どっちから?」


「だからその……わたしからするか、萌花ちゃんからするか……」


 そんなことを聞かれても、足を絡める作法なんて私は知らない。


「当然成瀬さんからだと思う」


「当然わたしからなんだ……」


「こっちは完全に成瀬さんに身を任せるつもりだった」


「そ、そっか。でもたしかにそのほうが良いかもね。萌花ちゃんってこういうとき、かわいくなっちゃうタイプだもん。わたしがリードしてみせるから安心してね」


「……」


 こういうときに可愛くなる?

 どういう意味だろう。

 足の指を絡めるときに可愛くなるタイプ……そんなの聞いたことがない。


 疑問に思っていると、成瀬さんがごくりと唾をのみこむ音が聞こえた。


「じゃ、じゃあ萌花ちゃん。目をつぶって?」


 ……なんで?


 足の指を絡ませるのに目を閉じる必要なんてある?


 キスするときなら聞いたことがあるけど……。


 ………………………………。


 えっ、もしかしてそういうこと?

 さっきから会話に噛み合わないものを感じてたけど、もしかして成瀬さんはキスの話をしてたの?

 

 いやもちろん違うとは思う。

 違うとは思うんだけど、でも成瀬さんがしてるのこれ、キスの話じゃない?


 確認がいる。

 絶対に確認がいる。


「成瀬さん。ちゃんと言葉にして欲しい」


「え?」


 返ってきたのは不思議そうな視線。

 私はそんな成瀬さんに真剣に訴えかけた。


「今から私にしようとしてることをきちんと言葉にしてくれないと、不安で目をつぶれない」


「言葉に……」


 成瀬さんはしばらく口をぱくぱくさせていたが――。


「恥ずかしい……」


 そう言ってうつむいてしまった。

 どうも、口に出すことさえ恥ずかしいことを、私にするつもりのようだ。


 キスか?


 平然と手つなぎしてきた彼女が、足つなぎを恥ずかしがるとは思えない。

 

 キスか?


「恥ずかしい言葉だろうと、ちゃんと聞かせて。成瀬さんは、いったい私になにをしようとしてるの?」


「いじわる……」


 口ではそう言いつつも、どこかうれしそうな様子の成瀬さんは、上目遣いで私を見た。


「わたしは萌花ちゃんに――『ちゅっ』ってするつもりなの」


 キスだ!

 やっぱりキスだった!


 『ちゅっ』という擬音を使うことが許されるのは、キスをするときだけ!


 いやネズミの真似をするときも許されるかもしれないが、両手をつないだこの状況でネズミの真似を始めるわけが無いのだから、つまり当然キスだ!


 私たちこれからキスするんだ!


 ――驚いたけれど、でもその驚きは心地よいものだった。


 だって私にキスをする以上、当然成瀬さんも私のことが好きだということで……それも単なる好きではない。


 恋愛的な意味の『好き』なのだ。

 つまり私たちは両想いといっても過言ではない。

 

 こんな幸せなことがあっていいのだろうか……?


 いやでも、喜んでいるだけじゃいけない。

 

 両想いだというのならば、私もきちんと行動しないと!


「それなら私が『ちゅっ』ってする」


「え?」


「私が成瀬さんに『ちゅっ』ってするから」


「な、なんで急にそんな積極的に……」

 

 困惑した様子の成瀬さんは、私の覚悟を決めた顔を見てハッとしていた。

 

「ちょ、ちょっと待って萌花ちゃん。もしかして、わたしがしようとしてること、なにか勘違いしてない?」


「してないよ」


「ほ、ほんとに……? でもそんなに積極的なのは、なんかおかしいよ。一応言っとくけど、『ちゅっ』っていってもネズミの真似をするわけじゃないからね……?」


「そんな勘違いするはずないじゃん」


 私は呆れ気味に答えた。

 そして付け加える。


「私と口づけを交わそうとしてるんでしょ?」


「ホントだ勘違いしてない!」


「そして口づけした状態で、私の肺に新鮮な空気を送るつもりなんでしょ?」


「でもなんかちょっと勘違いしてる! それはキスじゃなくて人工呼吸だよ!」


「え? キスのときって、相手の肺に空気を送り込まないの?」


「送り込まないよ……たぶん」


「じゃあどうやって呼吸するの? 口はふさがってるよね」


「…………鼻呼吸?」


「へえ」


 私は感心した。

 口で呼吸ができないのなら、鼻で呼吸をすればいい。


 盲点というやつだ。


「成瀬さんに窒息のリスクを負わせるわけにはいかないし、キスするときは私が酸素を送り込む側になろうと思ったけど、そういうシステムじゃないんだね」


「うん。わたしもキスしたことが無いから確かなことは言えないけど、そういうシステムじゃないことだけは確かだと思う」


 矛盾する言葉をひと息で吐き出してから、成瀬さんは私の肩に手を乗せた。


「肺に酸素を送り込まれても困るから、やっぱりわたしから『ちゅっ』ってするね」

 

「手つなぎはもう終わり?」


 名残惜しさとともにつぶやくと彼女はあいまいに微笑む。

 

「うん、終わり。だってこれからわたしたち……もっと仲良しになるから……」


 声が震えていた。

 気が高ぶっているのだろう。

 

 しばらく見つめ合ってから、彼女の顔がゆっくり近づいてくる。

 その潤んだ瞳をずっと見ていたかったが、なんだかとても照れ臭くなり、私はそっと目を閉じた。


「……んぅ」


 そして、唇に触れるやわらかな感触――その瞬間私の全身に衝撃が走った。

 思わず目をカッと見開く。


 なんか……なんか想像と違う!

 成瀬さんのキスを素直に受け取ればいいだけだと思っていたのに、とてもじゃないが落ち着いていられない。

 私の身体が勝手にぐいぐい前進していくのだ。


 これがキスの魔力!

 なんか……すごくすごい!


 今まで感じたことがないような強烈な衝動に突き動かされ、私は成瀬さんの背中に手を回した。

 そして力強く彼女を抱きしめつつ、好きだという気持ちをここぞとばかりに唇から伝える。


 私の反応に触発されたのか、成瀬さんも身体を押し付けるように密着してきた。


 互いに抱き合い交わすのは、情熱的でありながらも、とろけるような甘い口づけ。


 ……そうやってキスを始めてからどのくらいの時間がたったのだろう。

 ふと気づくと私は――。


「…………ぅぅ…………」


 窒息しかけていた。

 

 口で呼吸ができないなら、鼻呼吸をすればいい?


 実際にキスをしてみて分かったけれど、そんなの机上の空論だ。


 だって唇と唇が触れ合うこの近距離で鼻呼吸なんてしたら、私の鼻息が成瀬さんにかかってしまう。


 こんなにもロマンチックな状況なのに、キスしてる相手が顔面に鼻息を吹きかけてきたら、成瀬さんはどう思うだろう?


 100年の恋も醒めるというやつではないだろうか。

 

 ……そんなの絶対にイヤだ。

 鼻息のせいで嫌われるくらいなら、酸欠になったほうが断然マシだ。

 

 そして当然キスをやめるつもりなんて、私にはまったくなかった。

 だってすごく幸せなのだ。

 成瀬さんの気持ちが、びっくりするほど直接的に伝わってくる。


 これをやめるなんて、とんでもない。


 お互いの気持ちを確かめ合うような情熱的なキスはそれからもしばらく続き……呼吸ができない私の身体は、とうとう限界を迎えたらしい。


 彼女の背中に回していた手から、徐々に力が抜けていく。

 そしてベッドに倒れ込む、私の身体。


「も、萌花ちゃん!?」


 焦ったような成瀬さんの声が遠くに聞こえる中で――けれど私はふわふわした幸福感に全身を包まれていた。


 これがキス……私……成瀬さんとキスしたんだ……。


 すっごく心地よくて……すっごくしあわせ……。




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(作者より)


次週で最終回となります。(たぶん)

最後までよろしくお願いします。

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