第二六話 スモレンスクの奇跡・悲劇

「ジューコフは何をしていたのだ!」

「同志スターリン、僭越ながら申し上げますと、ジューコフ上級大将殿に責任を求めるのは間違いかと思います……」

「君は私に意見するのかね」


 モスクワの書記長室から、ヨシフ・スターリンとその側近のラヴレンチー・ベリヤの声が聞こえて来る。


「キエフ等の南西部の指揮を任せていたのはジューコフだ、そこがいとも容易く突破されたとなれば、それは総指揮官の責任ではないのかね? こうなれば、ジューコフも粛清すべきではないのかね!」


 スターリンはキエフが落ちたという報告を受け、怒り狂っていた。ソ連にとってウクライナは食物庫であり、大事な防衛拠点であったため、厳重な防衛線を引き、優秀な将として名高いゲオルギー・ジューコフ上級大将を指揮官に任命していた。

 だと言うのに、いとも容易く突破されたという事実を聞かされた、だからこそ、ここまで感情的になっているのだ。


「キエフが攻略された要因としては、三つ考えられます。一つは、敵将が西海岸の狐と言われるロンメルであると言うこと。一つは、ジューコフ殿が不在であったこと。そして最後の一つが……」

「なんだね、もったいぶらず言いたまえ」


 少し呼吸を整えた後、口を開く。


「現場の怠慢です」


 その言葉に、ピクリとスターリンの眉が動く。


「ほう、詳しく聞こう」


 ベリヤは報告書を取り出し、それを読み上げる様にして、スターリンに告げる。


「ジューコフ殿は、敵前線に機甲師団が合流したことを察知し、攻勢が来ることを予期していました。そのため、ジューコフ殿は現場にいた師団長や砲兵隊などに、機甲師団の侵入に備え、防衛線の強化、警戒態勢の強化を命じた、と言う記録が報告されています」


 スターリンは黙ったままだ。しかし口元はやや緩みだし、まるで、刈り取るべき雑草を、綺麗に整えている庭で見つけた時のような目をしながら聞いている。


「その後、ジューコフ殿は中央部で使用している機甲師団の一部を防衛に回すよう伝えた所、相手にされなかったため、直接交渉に出かけた二日後、キエフへの攻撃が始まり、慌ててジューコフ殿が戻ってきた時には時すでに遅く、仕方なくキエフを放棄、さらに後ろに防衛線を築き直したとのことです」


 スターリンはゆっくりと頷き、「そうかそうか、よく分かった」と言った後、ベリヤに指示を下した。


「ベリヤ君、現場指揮官たちはどうしているのかね?」

「は、既に拘束、弁明の余地を求めて直接同志スターリンに合いたいとおっしゃっておりますが、いかがいたしますか?」

「ふむ、キエフという重要拠点を失った責任は大きい、その責任を取ってもらおう」


 その命を受け取ったベリヤは、一礼し、書記長室を後にした。



 10月3日、新たにソ連の中で7人が粛清されたのだった。




 南方、北方の守備を指揮していた者たちが粛清される中、着実にロンメルとグデーリアンは合流すべく内陸に進撃を再開した。

 中央戦線で、ベルリンを目指す攻撃隊の指揮を取っていた、ニコライ・ヴァトゥーチンは、この行動は自分たちを包囲殲滅するための動きだとすぐに察知し、本国へ電報を入れる間もなく、全軍転進の指示を出した。

 しかし、中央部に進出していた部隊は、機甲師団、歩兵師団、砲兵連隊など、様々な師団が、全て合わせて約50個師団ほど展開していたため、迅速な方向転換や意見伝達が出来ず、各所で混乱を招いてしまった。


 それだけではなく、ドイツ軍は制空権を確たるものにした後、『Ju87シュテューカ』を軸にした爆撃隊にて、撤退するソ連軍へ爆撃、移動をさらに困難なものにした。


 その結果、ヴァトゥーチンが直接指揮を執っていた第1機甲師団と数個の師団は撤退に成功したが、その他多くの師団は、ロンメルとグデーリアンが合流したことによって閉ざされた、ドイツ軍の包囲網に取り残されたのだった。


 この報告を受けたヒトラーは歓喜の声を上げ、宣伝相のゲッベルスに、『スモレンスクの奇跡』として宣伝するように命じた。

 一方、スターリンの方は落胆の声を漏らし、罵声を軍部に浴びせ、『スモレンスクの悲劇』として嘆いていた。




10月30日。


「そっちはどうだ?」

「片付いた、この村に潜んでたアカソ連軍どもは全員始末できたと思うぜ」


 ドイツ軍は、おおよそ1ヵ月かけて約40個師団分のソ連軍を殲滅した。ロンメル、グデーリアンという二人の名将の進言もあって、ヒトラーは快く武装親衛隊を含む増援部隊を送り、殲滅の手伝いをさせた。


「これだけやれば、ソ連もあっという間に降伏するかもしれないな」


 ドイツ国防軍の一人がそう零す。


「どうだろうな、ソ連は畑から人が取れるなんて話が出るほど人が多い。いざとなったら、子供でも老人でも女性でも使って、師団を編制してくるんじゃないか?」

「まっさかぁ、どんだけ国が追い詰められても、そんなことするような奴が指導者なんてできやしないだろう」

「確かにな」


 二人がそうして笑い合っていると、ゴゴゴゴゴと地面を揺るがす履帯の音が響いてきた。


「はー、ありゃ第七機甲師団、ロンメル閣下直属の部隊だな……」

「本当だ……あの名将の部隊を直接拝めるなんてな……」


 この頃、ロンメルの率いる機甲師団は、ドイツ軍の中でもはや神格化されており、こうして一般の兵からは崇められるような存在となっていた。電撃戦を得意とし、一か所に留まっていることが珍しく、歩兵達がその姿を見るのがレアと言うことも、ロンメルの部隊を神格化させた一つの要因だろう。


「閣下たちの目標は、やっぱりモスクワだよな?」

「だろうな、スモレンスクを陥落させて、前線に突出していた師団のほとんどを殲滅できたんだ、息の根を止めにかかるのが普通だろうな」


 そんなことを話している間に、第七機甲師団の姿はどんどん離れて行った。


「お前たち、いつまでそこでボーっとしてるんだ」


 二人の背後から、迫る影が一つ。


「はっ、失礼しました、リード少佐殿」


 慌てて二人は敬礼する。敬礼する先にいる男は、ロンメルへと意見を渡した、リード大尉であった。今はその活躍が認められ昇進、少佐となり、第16歩兵師団内の、第112通常歩兵大隊の指揮官となった。


「これから俺たち16歩兵師団は、南方軍団の指揮下から北方軍団の指揮下に入り、モスクワ攻勢に加わる」


 その言葉に、二人は目を輝かせる。


「モスクワ攻撃に参加できるのですか!」

「そうだ、だからこんなところで足踏みしている暇はないぞ、さっさと他の奴らと合流して、行軍の準備を整えろ!」

「「はっ!」」


 ドイツ軍の進撃は留まることを知らない。しかし、その侵攻を脅かす影が、西側より伸びていることに気づく人物は、ドイツ国内にはまだ、いないのであった……。

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