第32話 理解できないお姉ちゃん
夕暮れのリビングで私はひまりに抱き着かれていた。私は困惑しながら問いかける。
「留学をやめるって。でもひまりはプログラミングが好きなんでしょ?」
「……実は、そんなに好きじゃない」
「えっ?」
ひまりは私の胸に顔をうずめていた。
「お父さんが教えてくれたから、必死で頑張ってただけ。留学だって、お父さんのことを忘れたくなかったから、そうしようと思っただけ。……本当は、シナリオを書く方が、好き」
確かに、ひまりはプログラミングの話よりも物語に関する話を好んでしていた。それに、ひまりの部屋には小説や漫画がたくさん並んでいる。でもプログラミングの本はそんなになかった。
「お父さんを忘れるのは怖い。でもお姉ちゃんと離れるのは、もっと怖いから」
ひまりはぎゅっと私を抱きしめる。
「だから、留学はやめる」
私もひまりと離れたくはない。でも私は知っている。ひまりがどれほどお父さんのことを大切に思っていたか。大切であるがゆえに、夢の中で「お姉ちゃん」と慕ってくれていた私のことも、ずっと避けていた。
今のひまりの様子を見ればわかる。きっとひまりは本心では私を「お姉ちゃん」扱いしたかったのだろう。出会ったあの日から、もう既に。
「……離れないから。私なんかのために大切な人のこと、忘れようとしないで」
私はひまりを抱きしめかえした。だけどひまりは不満そうだ。
「……キスしてくれなかった癖に」
なんでそこに繋がるの? 確かに結婚式ではキスは永遠の証だけれど、別に私たちは結婚するわけではない。そもそもキスをしたからって本当に永遠が実現するわけでもない。
実際、私の両親は、離婚した。
でもひまりは心から悲しそうにしている。例え迷信でしかなくても、私とのつながりを強くするためなら、どんなことでも試したい。そういうことなのだろうか。
「……キスしたら、留学行ってくれるの?」
ひまりはじっと黙り込んでしまう。私は問いかける。
「大切なものを、大切なままにしててくれるの?」
「……それが、お姉ちゃんの願い?」
私だって、ひまりとは離れたくない。でもエゴを押し通せるほど、ひまりに責任をもてない。だって私は、ひまりのお父さんのことを何も知らない。ひまりがどんな風にお父さんを慕って、そして失ったのか。
何も知らないのだ。
だから、とてもじゃないけど、エゴのためにひまりの大切なものなんて奪えない。私はひまりのお姉ちゃんではあるけれど、お姉ちゃん歴はまだほんの半年くらいでしかないのだから。
だけど、とも思う。
亡くなった人に、いつまでも囚われる。
それは果たして正しいことなのだろうか?
考えても考えても、私のポンコツな頭では正解を導き出せなかった。
「……ごめん。ひまり。やっぱり私、よく分からない。自分でも何をするべきか、何を願うべきか、分からないんだ」
するとひまりは上目遣いで私を見上げてくる。かと思うと「お姉ちゃん。ちょっとだけしゃがんで」とささやいた。私はひまりの言葉に逆らわず、少しだけしゃがむ。
目線の高さが同じになった。
すると突然、ひまりは私にキスをした。唇に、である。私はなにが起こったのか理解できず、目を開いたまま、ひまりをみつめていた。まぶたを閉じたひまりのまつ毛が、小さく揺れている。柔らかくて熱いものが私の唇に触れたかと思うと、すぐに離れていく。
胸がどくんどくんと慌しく騒ぐ。
「私、お姉ちゃんのことが好き。だから、留学の日がくるまでに、お姉ちゃんが私のこと、引き留められるようにしてみせる」
「えっ?」
妹にキスされたという動揺のあまり、言葉の意味が理解できない。火照った顔をひまりに向けていると、ひまりは叫んだ。
「私、絶対にお姉ちゃんを惚れさせるから!」
顔だけでなく耳まで赤くして、ひまりは自分の部屋に走っていった。
えっ? ひまりが私のことを好き?
オレンジ色の光が差す夕暮れのリビングで、私は一人、呆然としていた。ひまりは姉妹百合のゲームを作るために、私と恋人になることを望んだんじゃないの?
いったい、いつから? どうして? なんで私? いろんな疑問と感情が渦巻く心の中で、私は喜びという感情をみつけた。そして、そんな自分にドン引きした。
私が望んでいたのは、妹じゃなかったの? お父さんとお母さんが喧嘩をしているときに、家族として苦しみを分かち合えるような存在じゃなかったの?
壊れやすい恋愛とは程遠い。
そんな関係をひまりに望んでいたんじゃないの?
その気持ちに向き合った瞬間、私は、怖い、と思った。私とひまりが本当の意味で付き合って、そして別れて、姉妹としてもばらばらになってしまって。
私はまた、一人になって。
それは考えるだけで恐ろしいことだ。なのにどうして私はひまりが私を好きでいてくれることを、こんなにも喜んでいるのだろう? 理解ができない。気持ち悪い。
なんで私の中に、こんな感情があるの?
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