第15話 頭を撫でるお姉ちゃん

 家に帰った私は手を洗ってからすぐにひまりの部屋に向かう。ノックをすると「入っていいよ」と声が聞こえてきた。


 扉を開ける。ひまりの部屋には本棚が並んでいた。そこには漫画や小説が大量に並べられている。やっぱり創作には読書量が大切だというのは真実なのかもしれないなぁ、と感心していると、ひまりが「どうしたの?」と話しかけてくる。


「ひまり。なんか変なウイルスが入っちゃったみたいでさ。スマホ使えなくなっちゃったんだよ」


「……変なウイルス?」


 ひまりは眉をひそめて、キーボードを打つ手を止めた。使っているパソコンは相変わらず、お父さんのパソコンじゃなくて、私が買ってあげた最新式のパソコンだった。


「うん。変なウイルス。『妹と仲良くなるためのアプリ』だって。怖いよね。なんで私に……。ううん。なんでもない」


 ひまりはどうしてか不満そうにほっぺを膨らませていた。


「それでその『変なウイルス』はどんなウイルスなの?」


「……それが」


 私は口ごもる。


 まさか妹の頭を撫でないとスマホを一日使えなくなるウイルスだ、なんて言えるわけない。


 ただでさえ私はひまりに不信感を抱かれているのだ。それをお姉ちゃんにはならないと誓うことで払拭しようとしているのに、今ひまりを「妹」扱いすればまた逆戻りしてしまう。


 今度こそ、嫌われてしまうかもしれない。


 私が黙り込んでいると、ひまりは「スマホみせて」と不満そうに告げた。私は仕方なくスマホを手渡す。ひまりが画面をつけるとそこにはピンクの背景に白文字で「妹と仲良くなるためのアプリ」と表示されていた。


 それをひまりはじっとみつめている。


「わ、私、こんなアプリ入れてないからね? ほんとだよ?」


「……妹である、宮下 ひまりの頭を撫でましょう」


 ひまりは冷たい声でその文章を読み上げていた。血の気が引いていくようだった。


「ご、ごめん。ひまり。そのスマホすぐに買い替えてくるから」


 私がスマホを取ろうとすると、ひまりはスマホを遠ざけた。


「……ひまり?」


「そんなことしなくていいから。だって凛、私に高いパソコン買ってくれたでしょ? お金ないんじゃないの?」


 はっ。確かに。私は貯金を全て使い果たしてしまったのだ。


「それにさ、私、釣り合うようなクリスマスプレゼントあげられてないし。だから、いいよ? 私の頭くらい、自由にしても……」


 可愛い顔でそんなことを言われて、ぷつんと理性の糸が切れそうになった。でも私はそのか細い糸を何とかつなぎとめる。ひまりは私がお姉ちゃんになることなんて、望んでいないのだ。きっとそれに類する行為も望んでいないはず。


 それに、頭を撫でたからって本当にロックが解除される保証はない。そんなわずかな可能性のために、ひまりを嫌な気持ちにさせるのは嫌だ。


 私は自分の額に手を当てながら、肩をすくめる。


「良くないよ。私はひまりの頭を撫でない。お姉ちゃんみたいなことはしない」


 するとひまりはまたほっぺを膨らませていた。


「だったらどうするの? 連絡も取れないなんて、日常生活困っちゃうよ? もしも紗月さんが雪山で遭難したとして、助けを求めてきたのに凛がスマホ使えなかったら、どうするの? 紗月さん死んじゃうよ?」


 うっ。そんな具体例を出されると怖くなってくる。紗月の命とひまりからの信頼を比べれば、紗月の命が大切だ。


「分かった? 凛。今すぐに頭を撫でて。それしかこのウイルスを消す手段はないよ! 紗月さんの命を救う方法もないんだよ!」


 ひまりはずい、と私に詰め寄ってくる。私は仕方ない、と肩を落としながら頷いた。


「ごめんね。ひまり。頭、撫でさせてもらうね」


「……うん」


 ひまりは上目遣いで私をみつめてくる。あまりの可愛さに見惚れていると、ひまりは不満そうな声をあげた。


「早く、頭撫でてよ」


 はっとした。きっと注射針を刺す寸前で止められているような気分なのだろう。


 私は頷いて、ひまりの頭に手を伸ばす。すると恥ずかしそうに目を伏せた。


 そういうの、やめてほしい。ほんと。理性の糸が切れそうになるから。私は今でも本当はひまりのこと、妹にしたいと思っているのだ。ただ、理性で抑え込んでいるだけで。


 私はひまりの頭に手を触れた。ひまりの髪の毛はさらさらでとても触り心地が良かった。ずっと触っていたくなる。でも長引かせるのはまずい。私は誓ったのだから。ひまりのお姉ちゃんには絶対にならないと。


 私はひまりの頭から手を離した。でもひまりは目を伏せたまま、じっとしている。まるで「もっと撫でて」と主張してるみたいだった。


 いやもちろんそんなの私の妄想でしかないんだけど。ストーカーが自分に都合のいいように相手との関係を妄想するみたいなものであって。


 だけどひまりは、可愛い上目遣いで私をみつめてくる。


「……凛? まだアプリは満足してないみたいだよ?」


「アプリが満足……?」


 その奇妙な表現に困惑していると、ひまりはしばらく考え込むように顎に手を当ててから、こんなことを告げた。


「このアプリ、自立式のAIを搭載してるみたいで、満足のいく「頭なでなで」をみせないと、ロックを解除してくれないみたいなんだ。今分かったんだけど」


「そんな馬鹿な」


 ウイルスに「頭なでなで」の尊さを理解できるAIが搭載されてるなんて、技術の無駄遣い過ぎる……。じゃなくて。


 流石にそこまで荒唐無稽な話を「はい。そうですか」と信じられるほど、私も単純ではない。もしかするとこの「妹アプリ」にはひまりが一枚かんでいるのではないか。そんなことを思ったりもしてみるけど。


「もっと撫でてくれないとスマホ使えないままだよ? 紗月さん、雪山で雪に埋もれちゃうよ?」


 でもそうだとして、あんなにも私を拒んでいたひまりが、ここまで必死に頭なでなでを求めてくる理由がさっぱりわからないのだ。


 テロリストに体内に小型爆弾を埋め込まれていて、私が頭なでなでしないと爆発してしまう。


 それくらいの理由がないと、こうはならないと思う。


 んー、と私は考え込む。その間もひまりは可愛い上目遣いで私をみつめてくる。かと思えば次第に目がうるうるし始めているような気がする。私に頭をなでなでしてもらえないと、そんな泣くほど怖い目にあってしまうの!?


「凛。お願い。もっと私の頭を撫でて」


「……わ、分かったから、落ち着いて」


 私はまたひまりの頭に手を伸ばした。さっぱり状況がつかめないけど、今度は長めに撫でてあげることにする。指先で手のひらでそっと優しく傷つけないように、ゆらゆらと手を動かす。


 するとひまりは目を閉じて、気持ちよさそうにしていた。


 ネコなんて飼ったことはないけれど、今のひまりはネコに似ているようにみえた。連想ゲームみたいに、私はネコミミとしっぽの生えたひまりを想像してしまう。想像の中のひまりが可愛い過ぎて身もだえしていると、気付けばひまりはじっと私をみつめていた。


 でも目が合うとぷいと視線をそらしてしまう。どうしてかひまりは顔を赤くしていた。


「……もう、いいよ。ロック、解けたから」


 ひまりはまたぶっきらぼうな態度に戻って、私にスマホを返してきた。やっぱりなにか、私に頭を撫でてもらわなければならない事情があったのだろう。


 でもひまりのおかげでまたスマホを使えるようになった。それに頭も撫でさせてもらえた。私はひまりに「ありがとう」と感謝の言葉を告げて、ひまりの部屋を出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る